人生の転機だと思ったから未知の世界に飛び込んだ

──大学卒業後、教育関係に進まれたのには、何か理由でも?

本当は建築関係に行きたかったんですけど、父が反対したからです。父は自営だったので、経営の大変さ、現場の大変さを知っていて、建築関係の仕事は“自分の力でやっていくもの”という考えがあったんじゃないかと思うんですね。だから、わたしには同じ業界に進ませたくなかったんだろうと思います

──大反対ですか?

「大反対なんてもんじゃなかったですね、猛反対。すごい剣幕(けんまく)で、何をやってもいいが、“建築業界だけは絶対に許さないぞ”みたいな感じで」

──それでやむなく他の業種へ? しかし、インテリアコーディネーターに転職したということは、やっぱり建築関係の仕事をしたかったわけですか?

「そうですね。前の会社での所属は営業部で、私立の進学校の理事長さんらを訪問して大学進学のための学習サポートプログラムや商材をご案内していたんですが、子供たちのこれからを支える仕事なのでやりがいはありました。ものすごく集中していたし、それこそ心血を注いで……、でも30歳になるくらいのときですかね、ずっと見てきた子供たちが大学を出て、ちょうど社会人になっていく時期でした。

 羽ばたいていく彼らを見ているうちに、わたしは子供たちを応援する仕事を選んだけど、わたしもそろそろ自分の人生を歩いてもいいんじゃないかって思うようになったんです。あのまま仕事を続けていてもよかったんですが、“わたしの人生はこれで決まっちゃうのかも”という不安もありました。そんなときにふと、建築のことを思い出したんですね

山崎里沙さん

──それで転職を決意したわけですか?

「当時わたしにはパートナーがいたのですが、同じタイミングでそのパートナーと奈良県に移住する話が浮上したんです。会社は辞めなければならないけど、現地の建築系の会社を手伝いながらデザインの勉強をしてもいいと言われたんです

──東京の会社にお勤めだったんですよね?

「はい。でも、デザインの勉強をするなら東京でなくてもできるし、新しいことにチャレンジするのだから、新しい環境に飛び込んじゃえって(笑)これは転機だって思ったんです。それに、奈良県には歴史的な建造物がたくさんあるじゃないですか。わたしの中では“行くべきだ”って、即決でした」