日本で“最初のソース”を作ったのはヤマサ

──味覚や嗅覚を鍛えられたエキスパートが集まって、新商品の味をチェックしていくのですか。

西谷「新商品の開発にあたっては、ちょっとずつ配合比率を変えるなど、いろんなバリエーションの試作品を用意して、味や風味などを比較します。刺身の赤身と白身で食べ比べたり、天ぷらやフライなどの揚げ物で試食することもあります。しょうゆを調味料で使うときの適性を見るのなら、里芋を煮てみたり、焼きおにぎりを香ばしく焼いてみたり、肉や魚に漬け込んだりもします。和食だけに限らず、洋食や中華料理との相性を見ることもよくあります」

──やっぱり、ソースやケチャップはライバルですか?

西谷「そういうふうに考えたことはないですね(笑)。さまざまな料理や食材に合うのが、しょうゆのよさだと思っています。戦後、急速に洋食が広まり、普及する中で、しょうゆは洋食やフレンチの“隠し味”に使われるようになりました。ステーキやハンバーグのソースにも、しょうゆはよく使われています。

 また、和食と洋食が融合して“現地の食文化”となじんだのも、しょうゆの世界進出につながりました。たとえば、日本の寿司が海を渡って、アメリカでカリフォルニアロールになり、それが日本に逆輸入されて、またブームになったというようなケースですね。そういった流れを経て、しょうゆはアメリカの食文化に定着しました。和食の世界だけにとどまらなかったから、洋食化がどんどん進んでも、しょうゆは生き残れたのではないかと思います。

 ちなみに、日本で“最初のソース”を作ったのはヤマサなんですよ。明治時代に広まった和風洋食の代表格がトンカツでした。そのトンカツに合わせて、明治18年(1885年)に弊社は“ミカドソース”という商品を発売しています。しょうゆベースで、酢や砂糖、しょうが、唐辛子などのスパイスを加えて作っていました。洋食でも、しょうゆベースの味わいを求めるあたりは、日本人の本能かもしれないですね」

豊島「生まれた国や土地によって、それぞれの食文化がありますからね。少し前にアジアから来ている留学生にしょうゆの味見をしてもらったことがあるのですが、彼らが口々に“日本のしょうゆは苦い”と言って驚いたことがあるんですよ。衝撃でしたね。われわれが自信を持って“おいしい”と思うしょうゆが、他の国の人には“苦い”と感じる。やはり“食は文化”だと痛感しました。だから官能評価でも“これがいい”と言い切れない難しさがあります」

醤油研究室の豊島快幸さん

──それでは、豊島さんが考える“いいしょうゆ”とはどんなしょうゆですか?

豊島「しょうゆ単体のおいしさよりも、“素材のよさを引き出す”しょうゆが、いいしょうゆだと思います。舌に素材の味よりもしょうゆの味が残ってしまうと、飽きがくることがあるので、個人的にはあっさりとして、キレのあるしょうゆが好みですね。贅沢(ぜいたく)を言えば、素材の生臭さなどの嫌な匂いはしょうゆがマスキング(覆い隠す)して、素材のいいところだけ引き出したり、少しだけ補ってくれるようなしょうゆが理想的ですね。ドラマに欠かせない名脇役のような(笑)」