今橋英明シェフとの仕事が転機に。今いちばんの目標は「女性が働く環境の改善」
そんな壮絶な経験を経て、8年のフランス生活に終止符を打ち、日本に帰ってきた。フランスでやりたいことはやり尽くした、という思いもあったが、余命宣告を受けた父親の看病をするためだった。
「父が亡くなったあと、地元の熊本では働きたい場所を見つけることができず、東京へ視察に行ったところ、六本木にあるミシュラン二つ星レストラン『エディション・コウジ シモムラ』での仕事が決まりました。そこで、今までやってきた経験を全部否定されたんですね。たぶん自分の中に、“フランス帰り”という思い上がりもあったんじゃないかと思うんです。23歳で日本を出ているので、まず、日本での社会人としての言葉遣いや常識を学んでいなかった。31歳で帰国したときは、ろくに敬語も使えず、注意されても、何が間違っているのか理解できなかったほどです。
“逆カルチャーショック”に陥っていたところ、転機となったのは、原宿の『KEISUKE MATSUSHIMA』(現在は閉店)に移り、今橋英明シェフと仕事ができたことです。デザートを作るときに今橋シェフの意見を取り入れると、自分ではできなかったような一品が生まれるんです。ひとりでやっていては、今のようなデザートは作れなかったと思います」
今橋シェフは、素材をとても大切にしている。1週間のうち、生産者のもとで週5日働き、鎌倉で農業に携わりながら、残りの2日でレストランにてシェフをしていた時期があった。そんな2人がタッグを組み、東麻布に開いた『レストラン ローブ』では、素材そのものの味や食感、香りを、高い技術を駆使して、その瞬間にしかないおいしさに昇華するメニューでファンを増やしてきた。
「トータルすると8年ぐらい、フランスのパティスリーで働いていたのですが、フランスと日本では甘さの好みがまったく異なり、使う材料の量も全然違います。フランスのレシピを日本で何回か試しましたが、日本人ウケしない味になってしまうんです。牛乳、バター、卵など素材も気候も違う。フランスから帰ってきたら、それまで積み重ねてきたものが一切、通用しなかった。イチからやり直しでした。
食材も、“フランス産がいちばんだ”という思い込みが強かったのですが、日本の生産者の方から、“こういう思いで作っているので、こんなふうに食べてほしい”と直接聞くことで、日本の農作物のすばらしさを知るようになりました。“フランスの白桃が世界一”、ではなく、日本の桃でも、素材を理解すればいくらでもおいしいデザートを生み出すことができることに気づいたんです。顔の見える生産者が育てた食材を扱うときには、皮や根や種まで全部、どうしたらおいしくできるかを考えるようになりました」
平瀬さんの作るデザートは技術や素材だけでなく、生産者に対する思いや優しさも加えられているから、食べ手の心をとらえるのだろう。次々とパティシエとしての新しい場を開拓してきた平瀬さんが、今いちばんやりたいことは、女性が働く環境を改善すること。子育てをしながら時短で勤務している女性パティシエなどが仕事を続けられるようにしていきたいと思い、彼女たちが働きやすい環境を作るため、オンライン販売にも力を入れている。
「今、女性のパティシエは増えているものの、結局、若い人しかいないんですよね。 30代後半から体力面も精神面も、もたなくなってくるんです。出産、育児、婦人科系の病気などが原因で、だんだん女性の働き手がいなくなっていく。実際、小麦粉50キロを運んだり、大量の粉や卵を混ぜたりするので、腰を悪くしたり、腱鞘炎になることも多い過酷な職場です。だから今、一緒に働いているパティシエは、子育てと両立できるように、プライベートを重視したスケジュールで働いてもらっています。働くママたちの事情を理解したうえで、いい働き方を提案できれば理想ですね」
男性社会で奮闘してきた平瀬さんは、女性のパティシエも生涯にわたり働けるような環境が増えてほしいと願い、戦い続けている。平瀬さんのような、人の心を打つデザートを作る女性パティシエが夢をあきらめないでいられる未来は、近づいているのだろうか。
『レストラン ローブ』平瀬祥子パティシエのスペシャリテ
◎ごちそうナスとカカオ
なんと、ナスを使ったこのデザートは、今橋シェフから「ナスが余ったから何か考えて」と言われ、パリで食べたナスのデザートを思い出してアレンジしたもの。中央にはナスのアイス、チョコレートのシフォン、サブレを置き、中にローズマリーとセージのクリームが入っている。いちばん下は、バルサミコで煮たオレンジのマーマレードとナスの葉をイメージしたチュイル。バーナーで若干焦がして苦味を加えた。焼きりんごのような食感で、ほんのり甘いナスが新鮮な余韻を残す。
◎りんごのデザート
手前の黄色いりんごは、ゆずとサフランでマリネし、酸味が効いたりんごはアップルパイに。隣りに紅玉で作ったタルトタタン、薄切りのりんごはグランマニエでマリネして、その脇にスペキュロスのムース、アップルティーのクリーム、キャラメルとシナモンのアイス、ジャンドゥーヤのムースに、りんごのチップで燻製にしたナッツを散らす。りんごと相性がいい素材をすべてひと皿に詰め込んだ。さまざまにりんごの味わいが変化していく過程を楽しめる。苦味があったり甘味があったり、人生をたどるようなデザートだ。
(取材・文/Miki D'Angelo Yamashita)
【PROFILE】
平瀬祥子(ひらせ・しょうこ) ◎1979年熊本県生まれ。お菓子作りが趣味で、自宅でパン教室を開いていた母親に影響を受け、その道を目指す。高校卒業後、ホテルニューオータニ熊本に入社。'03年、フランスに渡り、パリ最古のパティスリーで研修を始め、その後はエッフェル塔内のレストランなど多くの名店でパティシエに。'11年に帰国後、都内でも経験を積み、'16年にシェフの今橋英明氏と『レストラン・ローブ』を開業。'18年から、5年連続でミシュラン一つ星を獲得。'20年度『ゴ・エ・ミヨ ベストパティシエ賞』受賞。'22年4月、石川・金沢に『パティスリー ローブ 花鏡庵』を開店。
住所:東京都港区東麻布1-17-9 アネックス東麻布2F
電話:03-6441-2682
定休日:日曜・月曜
URL:https://www.restaurant-laube.com
備考:「Dinner HARMONIE」14300円(税込み、以下同)、「Dinner L'aube」25000円、「Lunch L'aube」9900円