平成の皇太子妃としてのあり方を模索されて
ご結婚以来、さまざまな公務を果たしながら自然災害に遭った人たちや、困難な状況にある子どもたちに寄り添い続ける雅子さま。プライベートでは音楽や登山など天皇陛下と共通の趣味も楽しみながら、夫婦の絆を深めました。一方でご自身のキャリアや能力を伝統的な皇室でどのように生かすことができるかを自問する日々でもあったようです。
◎「春ももうすぐ来ますし、暖かくなります」
1995(平成7)年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。翌月、天皇陛下と兵庫県の被災地を視察した雅子さまは、真冬の厳しい寒さの中で避難所生活を送る被災者をこう気遣いました。腰をかがめ、ひざをついて地元の人たちの声に耳を傾けるおふたりの姿はこのとき以来、大きな災害が起きるたびに何度となく見られるようになります。
◎「難しい状況に置かれている子どもたちには心を寄せていきたい」
1997(平成9)年、34歳の誕生日記者会見では「難しい境遇に置かれている人々が(略)希望ですとか、新しい力を見いだすことのお手伝いが少しでもできるよう」とも語られています。社会的な弱者に寄り添い、励まし、助けることも雅子さまのライフワークのひとつだといえます。
◎「伝統的な皇太子妃のあり方というものと、それから自分らしさというものを、どのように調和なり、バランスのよい接点というものを見いだしていくかということについては、その時々で苦心もいたします」
1996(平成8)年、33歳の誕生日会見で「皇室に入って自身の中で変わったこと、環境が変わって戸惑ったこと」を聞かれて答えた一節です。前年までの誕生日は文書でご感想を発表していた雅子さまは、この年初めておひとりで記者会見に臨みました。「こんなに話したのは初めてなので、とても喉(のど)がカラカラになりまして」というほど緊張したそうですが、皇太子妃としてどうあるべきかを素直にはっきりと語られるなど、雅子さまらしさが存分にうかがえるものでした。
※後編の記事はこちら→皇后雅子さまの気さくなユーモアと人間味にあふれるお言葉集【後編】愛子さまへの願い、コロナ禍での思いやり
(文/fumufumu news編集部)