『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』で大ウケ
学校を卒業すると大手セメント会社に就職し上京。「ダイヤ改正」とたとえる人生の転機は30代にやってきた。
「会社員時代からものまねをやっていまして、1982年に『そっくりマネマネ大賞』(TBS)で優勝したこともあります。
時代が昭和から平成に変わったころに『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)で披露した“各駅停車小手指(こてさし)行き”のアナウンスや走行音のものまねが大いにウケて、当時はテレビに出まくっておりました。ちょうど国鉄がJRになった直後で、私の芸歴もJRと同い年くらいですね」
当時、西武池袋線沿線の中村橋(東京都練馬区)に住んでおり、同線を走る「小手指行」の電車からヒントを得たものまねをしたところ、これが縁になって西武線にちなんだ黄色のジャケットをトレードマークに。現在も同じ沿線の埼玉県所沢市に居を構え、西武鉄道のイベントにもたびたび出演するほどのつながりになった。
「『小手指』の地名がユニークなのと、小手指行きの準急や急行に抜かれるのがなんだか悔しくてネタにした結果、ご縁ができました。
まさかセメント会社技術部社員から電車のものまね芸人になるなんて、人生のダイヤ改正も何が起こるかわからないものです。こう言うと、人生経験豊富なサラリーマンのみなさんにも共感してもらえるんですよ」
自らのキャリアもステージのネタにしている。インタビュー中でもマシンガントークで、ポンポンと話題を引き出す立川さん。芸人ひとすじではなかったからこそ、トークにも深みが増しているようだ。