絶縁状態だった父と再会し、アクターズを再始動。大切にしていきたい方針は?

──正幸さんとの関係はその後、いかがですか。

「アクターズを辞めてから、父とはずっと絶縁状態だったんですよ。でも、'21年に腹違いの妹から“お父さんの体調が悪い”って連絡があったんです。危険な状態と聞いたので、兄とふたりで会いに行きました」

──病床に伏していた正幸さんの姿を見て、どう感じましたか。

「父は私の顔を見た瞬間に、“仲直りがしたくて連絡しようと思っていた”って言うんです。こっちは“今度は絶対に言い返してやる! ”くらいの戦闘態勢で行ったのに、“コロナで生徒もいなくなって、仕事も全部ストップした。アクターズはもう終わっているコンテンツなんだ”って言う弱った父の姿を見たら、つらかったです

──強気なお父さんを身近でずっと見てきた牧野さんにとっては、受け入れがたい現実ですよね。

ただ、アクターズの思い出話をすると、父の顔色がどんどんよくなっていったんです。かつて交流のあった芸能事務所のライジングプロダクションとも関係を修復をして、“また一緒にプロジェクトをやりましょう”っていう流れになって」

──それがきっかけで昨年秋、「沖縄アクターズスクール大復活祭〜本土復帰50周年記念〜」(卒業生のMAX、DA PUMP、島袋寛子、三浦大知らが出演)が開催されたのですね。

「そうなんです。アクターズの卒業生を集めたイベントを沖縄で開催すれば、“アクターズってすごかったよね! ”って、思い出してもらえるのではと思ったんです。父と仲直りしたことで、またオフィシャルにみんなで集まって最高の思い出作りができた。ショーの準備や練習が、もう楽しくて楽しくて! 本番がきて終わっちゃうのが寂しいねって、みんなで話していたんです。結果、本番も大成功で、周囲からの希望もあり、父に“私がアクターズを再始動させる”って言いにいきました

──開催中の新生『B.B.WAVES』メンバーオーディションではどんなことに力を入れていきたいですか?

うちは“スター育成システム”に徹底的にこだわっていこうと思っています。だからオーディションスタイルにして、受かった子から授業料は取らないというかたちにしました。まだ何人とるかも決めていませんが、基本的には書類で落とさず、実際に会ってから合否を出すのがアクターズの方針です。

 それと、例えばほかのダンススクールにすごく才能がある子がいる場合には推薦してもらい、うちでレッスンをして、デビューが決まったらそのスクールの生徒として紹介するという流れも考えています。県内みんなで沖縄の才能を育てて世に送り出す、みたいなことができたらなと

──ダンスの基礎がない子が入ってきても、うまくなったりするものなのでしょうか。

「アクターズって、基本的に経験値ゼロの子しか入ってこなかったんです」

──そうなのですか!? テレビで見かける出身者のみなさんは、ダンスも歌もずば抜けていたように思います。

ダンスの経験がない子たちに、“曲を流すので自由に踊ってください”っていうところからスタートするんです。でも、ほとんどの子ができないんですね。絶対に“恥ずかしい”が最初に来るんです。回を重ねるうちに、ガッチガチに固まっている殻が1枚ずつはがれていって、“どうやったらいいんだろう”って考え始める。いったん自分が踊れないということを真正面から受け止めたうえで、周囲を見ながら、自分の場合はどう構成し、どう魅せればいいのか練っていって、ある日突然、花開いたように踊り出すんです。ダンスって、心を開かないと絶対に動けないんですよ

──テクニックよりも、感性やセンスのほうを生かすのですね。

「この前、アクターズの子たちと話してたら、みんなレッスンで初めて自分が踊り出した日のこと覚えていたんです。最初は何にもできなくて悔しい思いをして、それから自分で考えて行動することで、踊れるようになる。歌とダンスっていうのは、自分で作り出すもの。自分から動き出すものなんです。そこまでの過程で、それぞれの性格や才能も見えてくるし、それがその後の個性を生かす指導にもつながっていきます

──沖縄出身の方たちは、歌も踊りも本物志向に感じます。何かほかの地域と違うと思いますか?

「ハーフやクォーターの子がたくさんいるっていうのもありますね。(安室)奈美恵もそうだし、ISSAも。あと、リズム感のいい子が多い。沖縄って“カチャーシー文化”(カチャーシー:三味線の音色に合わせ、両手を頭上に上げて空気をかき回すようにして踊る、沖縄県民がお祝いやお祭りの場で踊る踊り)なので、裏拍子なんです。でも日本の文化って頭打ち(表拍子)なんですよ。そこを沖縄の子は、合いの手の入れ方などを含めアフタービート(裏拍子)でうまく取れるので、そこが大きく違いますね

第2弾に引き続き、牧野さんのダンスショットを連続で! 即興でお願いしたにもかかわらず、「歌とダンスは自分で作り出すもの」という言葉どおり、内面から湧き上がる感情を乗せるかのようなエネルギッシュなパフォーマンスを披露してくださいました 撮影/伊藤和幸
撮影/伊藤和幸
撮影/伊藤和幸
撮影/伊藤和幸
撮影/伊藤和幸

MAX・NANAの根性はピカイチ! 父には「今は感謝の気持ちが大きいです」

──スターに必要な要素は何だと思いますか?

「スターになるには、ルックスや声に加えて、パフォーマンスの勘や、リズム感が必要だとは思いますが、結局のところ根性が重要なんですよ

──根性……ですか?

そう。みんな、とてつもなく負けず嫌いなんです。それでいて、歌やダンスが本当に好き。そうでないと努力できないですしね。(安室)奈美恵も、三浦大知もそう。でも、どんなにいい才能を持っていても、合う曲に巡り合えないとか、運が悪くて売れなかった子もいっぱいいるので、やっぱり俗にいう“持っている(ツイている)”みたいな要素もあると思いますね」

──語弊があるかもしれないですが、いわゆる努力の部分で評価されているタイプもいるのですか。

「私が見てきた中では、MAXは、根性の人。特にメンバーのNANAは、アクターズ歴代の中で、いちばん根性のある子なんです。マキノ正幸にも認められて、実は、14歳でアクターズの事務局スタッフにも抜擢されているんですよ」

──それはどういう経緯だったのですか?

「父は、才能がある子たちは学校には行かなくてよいという方針だったんです。エンタメ業界の最前線で戦おうとしているのに、つまらない授業を何時間も座って聞いていたら、感性と才能が鈍感になってしまうと。それを聞いて、NANAはすぐさま学校を辞めてきてしまったんです」

──すごい行動力ですね。

「そうしたら、NANAの母親がアクターズに“なんてことを言うんですか”って飛んできたけれど、父は“この子くらいの根性があれば、デビューできる。公務員と同じくらいの給料を払って、うちの事務局で雇う”って言ったんですよ。父は学校へは行かなくてもいいけれど、勉強はきちんとしておかないと、スターになったときに正しい判断をしたり、自分の言葉で自分の考えを伝えられない。だから世の中のことは知っておくべきという考え方だったので、毎日新聞を読ませ、電話対応で言葉遣いを学ばせ、重要な資料の作成や外部交渉もさせるなど、経験を積ませていました

──アイドルのころの牧野さんは、現在の指導者としての姿を想像されていましたか?

「いや~、想像していないですね。指導や裏方の作業は当時、イヤイヤやっていたので。アイドルを辞めてチーフインストラクターを任されてからも、アクターズを辞めるまでは、“本当に自分がやりたいことは何だろう”って思いながら、父が決めたことをやってきた感じです。でも父からは、“とにかく目の前のことを一生懸命やりなさい。そうしたら道は開けてくる。その積み重ねが大事だ”って教わってきたので、それはずっと続けていますね

──正幸さんは非常に厳しかったと思いますが、牧野さんを信じていろいろなことを任せるのには、勇気がいったと思います。きっと、信頼関係があったからこそだと思うのですが……。

「うちの父は、面倒くさがりで自分じゃ何もできない人なんですよ(笑)。だからこそ、何でもやらせてもらったっていうのもあるんです。でも、自分には娘がいますが、父が私にしたように徹底して大事なことを任せられるかと言ったら、難しいなと思います。つらい経験も多かったですが、結局、自分の中にあるすべては父に作り上げてもらった。そう思うと、今は感謝の気持ちが大きいです

──正幸さんは父であり、ライバルでもあるように感じます。

「父は今82歳なんですけれど、私の活動にすごくヤキモチを焼くんですよ。周囲にも、“今のアンナとアクターズがあるのは、全部俺のおかげなんですよ”って話したり(笑)。“娘が後を継ぐってなったら、アンナが頑張っているんですよ〜! って伝えるのが普通じゃないの”って言っています」

スタッフ一同、牧野さんの考え方にすごく感銘を受け、背中を押されました。牧野さんとアクターズのますますのご活躍を心から応援しています! 撮影/伊藤和幸
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 はたから見るとすごくつらそうな経験でも、ポジティブに語るアンナさん。お父さんとの関係性も修復して何よりです。アイドルデビューからインストラクター、振付師、スクール経営とキャリアを重ね、いつまでも挑戦し続ける姿に、元気づけられる人も多いことでしょう。

(取材・文/池守りぜね)


【PROFILE】
牧野アンナ(まきの・あんな) ◎振付師。ダウン症のある方のためのエンタテインメントスクール『LOVE JUNX』代表。1971年12月4日生まれ。日本映画の父と呼ばれたマキノ省三を曽祖父に持ち、祖父は映画監督マキノ雅弘、祖母は女優の轟夕起子、親族に長門裕之や津川雅彦という芸能一家に生まれる。父・マキノ正幸の仕事の都合で沖縄に引っ越し、沖縄のアメリカンスクールで学生時代を過ごす。父が創設した『沖縄アクターズスクール』に入学し、『SUPER MONKEY'S』としてデビューしたのち脱退。以降、チーフインストラクターとして生徒の指導にあたる。'02年、日本ダウン症協会のイベントをきっかけに退職し、同年『LOVE JUNX』を開業。また、AKB48グループの振付を多数担当し、公演もプロデュース。'22年からは、沖縄アクターズスクールの再始動に向け尽力している。

◎牧野アンナ公式Twitter→https://twitter.com/lovejunx210
◎沖縄アクターズスクール公式Instagram→https://www.instagram.com/actors_school1983/
◎沖縄アクターズスクール公式HP→https://o-actors.com/

【INFORMATION】
沖縄アクターズスクール『NEW B.B.WABESオーディション』開催中!

 沖縄アクターズスクールの生徒でありながらCDデビューし、レギュラー番組を持ち、CM出演、漫画化なども果たしたB.B.WAVESを令和に再結成! 
 沖縄在住の小4〜高3の男女であれば、歌・ダンスの経験は不問。締切は2023年3月12日。