2022年、全国的なお笑い賞レース「M-1グランプリ」で決勝に進出したお笑いコンビ・キュウの清水誠さん(39)と、ぴろさん(36)。漫才師として有名になるまでには、たくさんの紆余曲折がありました。おふたりの人生を深掘りしつつ、出会った当時の思い出や相方の魅力、ネタ作りのときのコミュニケーションの内容などを詳しくインタビューしました。
青春時代の“挫折”を経てお笑いの道へ
──おふたりが漫才師になるまでの人生を教えてください。
清水さん(以下、清水):おれは3人きょうだいの末っ子で、姉は10こ上、兄は8こ上と歳が離れています。まじめな家庭で、親は優しく、兄は厳しく育ててくれました。テレビっ子だったので「志村けんさんやビートたけしさんになりたい」って、よく言っていたみたいです。成長してダウンタウンさんやナインティナインさんを見るようになって、関西出身の芸人さんにも憧れるようになりました。
親に「芸人になりたい」と伝えると反対はされなかったのですが、「大学は行きなさい」と言われました。卒業と同時にデビューしたくて関西の大学を選び、4回生のときは大学と吉本興業の芸人養成学校「NSC大阪」、両方に通いました。すゑひろがりずやアインシュタインの稲田くんが同期です。
ぴろさん(以下、ぴろ):おれは清水さんと同い年の姉がいて。
清水:おれと同い年だったの?
ぴろ:うん、3つ年上だから。おれは人を笑わせるのが好きな陽気な子どもで、当時も今も笑い飯さんが好きでネタを書いたりもしていました。クリエイティブな仕事に就きたくて、学生時代から漫画家になるために出版社に持ち込みもしていたんですけど、うまくいかなかったですね。
清水:おれもNSCを出たら芸人デビューできると思っていたら、若手劇場のオーディションに何度も落ちて「そんな甘い世界じゃない」と気づきました。切り替えて役者になろうと思い、上京して俳優事務所で演劇をするようになりました。