出会ってすぐ仲よくなり、数年後にコンビ結成

──おふたりとも挫折があったんですね。当時の経験は今につながっていますか?

ぴろ:そうですね。漫画家になりたかったのは絵やストーリーを作りたかったからで、“漫画を描くこと”そのものじゃないと気づいたとき、残る仕事は芸人しかないって思ったんです。ずっとやりたい仕事のひとつだったけど勇気が出なかったので、漫画家を諦めたとき、かえって開き直ることができました。クリエイティブなことをして有名になりたかったので。

清水おれも役者時代はちょっとでも目立とうとして大げさな演技をすることがあって「やっぱり芸人になりたいんやな」と気づき、友達に芸人も所属できる事務所を紹介してもらいました。そのとき、芸人の事務所はこんなにたくさんあるんだと驚きましたね。その事務所に所属した2年後、ぴろが入ってきました。

──ふたりの出会いですね。そこからどういった経緯でコンビになったのですか?

清水当時はふたりともほかの相方がいたんですけど、すぐに仲よくなってファミレスとかでお互いのネタを作り合ったりしました。そんなに郷土愛が強いわけじゃないんですけど、ふたりとも愛知出身だったことも距離を縮めるきっかけになったかな。ぴろのコンビとおれのコンビ2組で、夜行バスに乗って賞レースの予選に行ったこともあります。

ぴろ:そうそう、清水さんとはずっと一緒で仲がよかった。だからおれがコンビを解散して最終的に清水さんと組んだのも、自然な流れでした。

「ぴろとは初めから好きなものとか面白いと思うものをわかりあえる感覚があった」と話す清水さん 撮影/伊藤和幸

「自分にない笑いの要素が相方にはある」

──ネタ作り担当がぴろさんになったのは?

清水ぴろの漫才は奇妙な発想だなというのが第一印象で。前のコンビ解散やピン芸人時代を経て、ぴろとコンビを組みそうになったとき「あいつが作るネタをしたい」って思ったんですよね。結成前からすでにぴろのネタに惹(ひ)かれていました。

 それともうひとつ、キュウって、やりたいことへの熱意が異なるコンビなんです。ぴろはしっかりと“やりたい漫才”があって、おれは俳優とか含めてやれることはやりたいってタイプ。それなら、ぴろが作ったネタをやっていくのが自然ですよね。

──ぴろさん、ネタはどうやって作っているのですか?

ぴろ:最初のころから作り方は一貫していますね。おれがネタのアイデアをいっぱい出して見せて、そこで清水さんが食いついたネタを広げる。ネタ作り担当というより、ネタの種をたくさん用意している感じです。

 清水さんがピンとくるネタじゃないと漫才をしても楽しくないですし、自分たちが楽しくなければ見ている人にも面白く伝えられない。面白く伝えられなければ僕たちの漫才に対するモチベーションが下がる。そんな流れになってしまうので、ネタを作っているのは僕ですけど、清水さんが完全に納得していることが大切なんです。

「相方が納得したネタならお客さんも楽しめるはず」とぴろさんは熱く語る 撮影/伊藤和幸