ルールが増えると子どもの特徴が見えなくなる

【1】子どもに悪いところを出させる、【2】自分の悪いところに気づかせる、【3】子どもに自分の意志で直させる。このように指導するのが教員の仕事です。そのためには普段から、子どもたちを自由に過ごさせなければいけません。自由に過ごさせることの反対が、ルールを作ることです。

 誰だって「いい子」でいたいものです。「いい子」を演じようとする。「いい子」だと思われるために手っ取り早いのは、ルールを守ることです。だから子どもはルールを守ろうとします。学校はこうした子どもの気持ちを利用して、秩序を守ろうとし、ルールをたくさん作るんです。こうすれば確かに見かけ上は「いい子」しかいなくなります。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?

 ルールを作り、子どもたちに同じ行動をさせると、一人ひとりの違いが見えなくなります。例えば「休み時間は本を読みましょう」というルールを作るとします。みんなが静かに本を開きます。これでは個々のいいところも、直すべき悪いところも見えません。

 私は、「休み時間は自由に遊んでいいよ」と言います。そうすると、子どもたちは好きなことをします。周りの子と話す。絵を描く。プロレスごっこをする。教室の中を走り回って追いかけっこをする。一人ひとりの子どもの特徴が見えてきます。

 みんなに同じ行動をさせたほうが管理しやすい。だから多くの先生がルールを作ってしまう。クラス内に管理できない状況を作るのが嫌なんでしょうね。でも、私はあえて管理できない状況を積極的に作ります。

 ちなみに、子どもたちの違いが見えてきたときに教員が何を見つけられるかもポイントです。乱暴な子を見つける? そんなのは当たり前です。例えば、読書です。休み時間に本を読むこと自体はいいことです。「昨日は外で遊んだけれど、今日は本を読みたい気分だから読書する」という子はまったく問題ありません。でも、休み時間に“読書しかできない”子がいたら、私は声をかけます。何かの援助が必要な可能性があるからです。遊べる友達がいないのかもしれない。いじめられているのかもしれない。いろいろな可能性が考えられます。「読書=いいこと」ではありません。このあたりが教育の難しいところです。子どもをよく見ておかなければいけません。