気になる昨今の「“さん”づけ」ルール
管理が難しい状況を積極的に作り出すのが私の教育のポイントです。友達とうまく交われない、倫華さんという子がいました。休み時間に多人数で遊んでいると必ずケンカになってしまう。相手の嫌がることを言ったり、自慢しちゃったりするんですよね。では、トラブルを避けるために特定の寛容な子たちと遊ばせるか。私は逆です。倫華さんを積極的に大きなグループに加わらせます。
そうするとケンカがたくさん起こるけれど、それは想定の範囲内。教員の私が然るべきタイミングできちんと介入して、「嫌がることを言うのはよくないよね」とか、「自慢ばっかりじゃ楽しくならないよ」とか、倫華さん自身が悪いところに気づくきっかけにします。小学校だからこそ、こういう教育ができます。この年齢の子どもたちであれば、何度ケンカをしても、その子が変われば周りの子たちはあたたかく迎えてくれますから。教師はずっと見守ってあげていればいいんです。
最近、子ども同士を一律に「さん」づけで呼び合うように指導する学校があります。私はあまり賛成できません。そんなことをしていたら子どもたちは「いい子」を演じ続けるだけです。ルールを守れるようにはなっても、本当の自分を出させない限り、その子の本当の成長は望めません。
親のような気持ちで愛情を注ぎたい
以前に私が勤めていた学校では「無言指導」が広がっていました。「廊下は黙って歩きなさい」「給食の配膳中は一切のおしゃべり禁止」(コロナ前から)。「教室を移動するときは黙って並び、黙って移動」「掃除の時間も無言で」。無言、無言、無言……。一部の教員は何やらハンドサインを考案して、「先生の手がグーになったら黙る」なんてやっていますよ。何だかイルカの調教みたいでしょう。若い教員を見ていると、「子どもを静かにさせるのが教員の仕事だと勘違いしていないか?」と感じてしまうこともあります。
私は無言指導に反対です。子どもたちにはなるべく自由に話してほしい。「話す」とは、「自分を表現する」ということです。本当の自分をどんどん表現してほしい。そのとき見えたいいところをほめ、悪いところを叱る。それが教育だと思います。そんな教育をじっくりと、少なくとも1年間かけてできるのが小学校のいいところです。その子の親のような気持ちになって、長い時間かけて愛情を注ぐのです。
「無言指導」に加え「教科担任制」にも反対
小学校にも「教科担任制」を導入しようという意見があります。中学や高校と同じように、算数は算数の先生が、国語は国語の先生が教えるという仕組みです。そのほうが質の高い授業ができるという意見がある。けれど、質の高い授業ができれば質の高い子が育っていくとは限りません。小学校では知識が高い子どもに育てることよりも、興味関心を持てる子どもを育てることに価値があります。
教科担任制がスタートすると、小学校教員の最大の強みが失われます。繰り返しになりますが、その強みとは、同じ子どもたちと長い時間を過ごせるということです。基本的にすべての教科を担任が教える「学級担任制」なので、その担任はクラスにいる約40人の子どもたちとずっと一緒に居られます。ずっと一緒だからこそ、その子の性格を知り、魅力を伸ばしたり悪いところを直したりできるのです。
教科担任制にしてみんなで子どもにかかわろうというのは、一見正しいように思えます。しかし、大勢の先生がちょっとずつかかわるよりも、一人の先生がじっくりかかわることのほうが、子どもにとって得るものが大きい。だからこそ本来、小学校には学級担任制が取り入れられているのです。
(取材・文/牧内昇平)
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