暴力をふるってしまっても謝れない逆屋さん

 暴力は、なかなかなくなりません。子どもが暴力をふるったとき、自分の過ちを意識化させることが大切だと私は思っています。

 逆屋さんという男の子は、何度も友達に暴力をふるってしまっていた。結果的に自分が悪いことをしたのはわかっている。けれど、謝ることができません。こういうときにどうするか。私の選択は「必ず謝らせる」というものです。逆屋さんにこう言います。

「悪いことをしたと思っているなら謝りなさい」。黙っていても許しません。大きな声で「謝りなさい」と迫り続けます。先生が怒っているから、逆屋さんだけでなく、周りの子どもたちもだんだん緊張してきます。私は絶対に負けません。謝れない子だからこそ謝らせるのです。私が諦めてしまったら、逆屋さんは成長できません。

 結局、逆屋さんが「ごめんなさい」と言います。ここで私は気分を180度変え、「よく謝った!」と今度は逆屋さんをほめます。私は逆屋さんと一緒になって喜びました。暴力を受けた子や、まわりの子どもたちもこれでひと安心です。「逆屋が初めて謝ったー!」と、みんなの表情がほぐれます。

 このやりとりでいちばん救われるのは、暴力をふるった逆屋さんです。謝ると心が軽くなる。しかも先生からはほめられるし、クラスもなぜか盛り上がる。謝ることは大切。子どもたちみんながそういう風に思える。

 こんな出来事を忘れてしまったころ、私は子どもたちに聞きます。「最近、逆屋さんが謝れるようになったと思わないか?」。「うん、そうだね」と大勢の子が言います。「いや、まだまだ」と辛口の子もいます。こんなやりとりができるのが、学級担任制である小学校の先生の醍醐味です。

 気持ちよく謝ることができる子どもは、心から悪いことをしたと反省できる子へ、相手をいたわることのできる子へと成長していけるのです。

“すぐ手が出るタイプ”の浅水さんを叱ったら……

 続いて叱り方についてですが、逆屋さんの場合を紹介したように、私はかなり激しく叱るタイプの教員です。「悪い!」と思ったことは大きな声で注意し、謝らせます。これが正しいかと言うと、正直よくわかりません。児童とかかわる時間が取れるのであればじっくりと諭(さと)すことがいちばんなのですが、授業の合間のわずかな時間では仕方がない方法だと思っています。問題なのは、一貫性のないその場だけの叱り方です。

 これはごく最近のことですが、やっぱりすぐに手が出てしまうタイプの浅水さんという子がいました。少し発達障害の傾向もあって、特に理由がないときでも、横を通るついでに座っている子の頭をぽんと叩いてしまうようなところがある。当然トラブルになるし、私は強く叱ります。叱るのは浅水さんのためでもあるし、きちんと叱らなければ頭を叩かれた子も、周りの子どもたちも納得しないですから。

 でも、強く叱っても後腐れはありませんでした。叱られた直後の休み時間、浅水さんはいつもどおり私のところに来て話しかけてくれます。教室のみんなも私が強く叱ったからといって萎縮しません。私が普段から浅水さんに目をかけ、愛情を注いでいるのをみんな知っているからです。先生は浅水さんがふるった暴力に怒っているだけ。浅水さん自身のことを嫌って攻撃しているわけではない。そういう合意が浅水さん本人を含めて教室内にあったから、私はある意味、安心して強く叱れる。そういう風に長年、子どもたちを叱ってきました。

 大切なのは先生の叱り方により、クラスの子どもたちは浅水さんを許せる子にも育つし、浅水さんに批判的になる子にも育つということです。私は「罪を憎んで人を憎まず」が信条です。悪いことは徹底して叱りますが、同時に叱った子に対して、目いっぱい愛情を注ぎます。こうしているうちに、いつの間にかクラスの子どもたちに寛容性が育っていくのです。人の悪を許すことを、体験を通して学んでいるのです。

 教室で先生が叱ることには意味があります。本人が反省するだけでなく、周りの人も学びます。他人の行為から間接的に学び、善悪の判断ができるようになります。さらに人の悪を許す寛容性までも学ぶことになるのです。