子ども時代のふたりは正反対の性格だった
──幼少期はどんな子どもでしたか?
萌々:私は昔から今までずっと変わらんくて、竜巻みたいにクラスをむちゃくちゃにする子でした。面談で褒めてもらうこともあまりなくて、初めて担任から褒められたとき、お母さん泣いたらしいです。
大国:萌々ちゃんのことは“万年キッズ・ウォー”と思ってもらえたらわかりやすいかと。
萌々:正義感が強くて、いじめをしてる子と戦ったこともありましたね。「悪と戦う主人公か」と怒られたこともあったな。夢はいっぱいあって、特別支援学級の先生になって困ってる人の役に立ちたいとか、お母さん子やったから地元のスーパーの店長になってお母さんにサービスできへんかな、とか。
大国:私は萌々ちゃんと逆やな。物静かで、みんなと遊ぶより家にいて家族でテレビを見ているような子どもでした。今は無理して明るくしてます。ツッコミっていう立ち位置もありますし、芸人はその人となりをお客さんに知ってもらわないと愛されないので。子どものころの夢は大女優でした。
──似合いそう!
大国:はい♪
萌々:……。
万年キッズウォーと鬼軍曹が芸人を目指すまで
──お互い幼少期の夢は、お笑い芸人じゃなかったんですね。
萌々:ほんまや! 今言われて気づいた!!
大国:ただ、トップに立ちたい気持ちは一緒かも。ずっと女子校に通っていたんですけど、私、「鬼軍曹」と呼ばれていたんです。
──物静かな美少女から鬼軍曹に!?
大国:女子校で言うべきことはビシバシ言う性格が培われて、大学卒業後はアパレルで働いて店長になったんですけど、そういったはっきり物を言うところと責任感が合わさって、1週間で店員が3人辞めてしまいまして。
萌々:うーちゃんは人の上に立っちゃいけない人なんちゃうかと心配しております。
大国:うん、人のために働くの向いてないなと気づきました。じゃあ、私は何をすればスーパースターになれるんだと考えたとき、アパレル店でノリとしゃべりだけで商品を売ってたな、私っておもろいんやと感じて、芸人でトップを取ろうと決めました。
萌々:私は幼いときから親戚の集まりでふざけてたら「お前、よしもと行け!」って冗談で言われて「行かないと」と思っていました。でも思春期になったらそんな気持ちも消えて、高校時代は100人くらい部員のいる音楽系の部活で企画長をやってたんですよ。
大国:企画長!? 高校の部活でそんな役職、初めて聞いたわ。
萌々:エンタメ担当みたいな感じ。当時、ルールが100個もあったから、「大事な20個だけに絞り込むことでほかのルールも守れるんちゃうか」って言ったら、「おまえ、お調子者やから(ルールを守るのが大変そうで)言ってるんやろ!」って誤解されて、部員100対1でケンカになって辞めました。
──な、なんだかドラマを見ているような気持ちになってきました……。
萌々:私には影響力や言葉の強さがないと実感して、私自身の人間の価値を上げなければと思って芸人を目指しました。