ふたりとも積極性のある子どもだった。ますみさんの近所にはテルマ&加護ちゃん

──おふたりが努力家なのは昔からですか?

竹内子どものころは、例えば靴下を自分で履きたいのに履かせられたら靴下ごと投げ飛ばすような、頑固で運動好きな子どもでした。お笑いは見るのが好きで、自分でしようとは思ったことがなかったですね。

ますみ私は食べることと、近所のおばちゃんたちとしゃべるのが好きでしたね。親から「これをやりなさい」って言われて何かを始めたことは一度もなくて、習い事などは全部、自分から「やりたい」と言ったものをさせてもらってました。

ますみさんはいつも満面の笑顔。「実は人見知りのはずなんですけど、小さいころはそういうのがまったくなくて」と話す 撮影/門川裕子

──おふたりとも自立心が強かったのですね。ますみさんは近所に青山テルマさんと、モーニング娘。元メンバーの加護亜依さんがいたとか。

ますみ習字教室の先生がテルマちゃんのおばあさんだったんですけど、テルマちゃんとはちょっとしゃべるくらいでした。亜依ちゃんは何度か家に遊びに行ったことはあります。中1のとき、亜依ちゃんがモーニング娘。のオーディションに合格して東京へ行ってからは会っていないですね。

理科教師と看護師、安定した職業を経て芸人の道へ。両親の反応は?

──芸人になるまでは、ふたりとも他の仕事を?

竹内:はい。私は理科の教師をしていて、授業を盛り上げるためにしゃべるのがうまくなりたくて、NSC(吉本総合芸能学院。タレント養成所)に入ったんです。卒業したら教師に戻ろうと考えていたんですけど、そんなに本腰入れて「教師で一生食べていこう」って気持ちはなかったし、NSCの授業が楽しかったので、在学中に芸人になろうと決めました。

ますみ私は子どものときからお笑いが好きすぎて、中高生のときは「自分もなれるんちゃうか」と変な自信があったんですけど、なかなか親に言い出せなくて。もうひとつの夢だった看護師になりました。小さいころ身体が弱くて、看護師さんに優しくしてもらったのがうれしかったんです。

 資格を取って看護師として6年働いていて、それなりに仕事もできたので「主任になりませんか」と言われていたころ、ふと「もうすぐ28歳になるな。30歳になったら、芸人とかもう挑戦せえへんやろな」と思ったんです。すぐにNSCのことを調べて願書を取り寄せて……って感じでした。

──NSCに入ると言ったときの、ご両親の反応は?

ますみ:父親は「さすがやな! 応援するわ!」って。

竹内:珍しいっすよね……娘が芸人になるなんて、先も見えへんし親からしたら地獄ですよ。

ますみでもお母さんは看護師の娘が誇りで、このまま出世して結婚して……って思ってたみたいで落ち込んでました。でも、「すぐまた看護師になるやろ、頑張っといで」って。

竹内うちは「嘘やろ!?」って感じでしたけど、教員免許があるから戻ってこられるというのもあって、「まだNSCは仕事じゃなくて学校だしね」という感じでしたね。

──どちらも資格を持っていたことも大きかったんですね。ますみさんは看護師をしながら芸人活動をしていた時期もあったとか。

ますみ週2、3回、グループホームや健康診断で看護師をしていました。ただ、代わりのきかない仕事だったので芸人としての活動が増えてくると週1回に変えて、最終的には直前にシフトが決まるファストフード店でアルバイトをしました