教室に入れない白鳥兄妹を、1年生のクラスに誘ってみたら

 私が担任する1年生のクラスが学級閉鎖になったときのことでした。昼間、誰もいない教室で仕事をしていると、子ども2人とお母さんが廊下をスーッと通っていきました。給食のトレイを持っていました。「どうした?」と思って後ろ姿を追ったら、3人は少し先の空き教室に入っていきました。私は部屋まで行って事情を聞いたんです。廊下を通ったのは白鳥さん一家でした。2年生の祥子さんと、3歳年上の凛太朗さん、あとはお母さんでした。凛太朗さんはほとんど無口でしたが、祥子さんとお母さんとは話すことができました。

 事情を聞いたところ、祥子さんと凛太朗さんは2人とも自分の教室に通えなくなっていました。お母さんと一緒に給食だけ別室で食べて、家に帰る。それで一応「出席」したこととする。学校とはそういう約束になっていたそうです。私は「そんなのはおかしい」と思いました。せっかく学校にいるのに親子3人だけで給食を食べるなんて不自然です。

 凛太朗さんは、起立性調節障害で3年生の途中から不登校に悩んでいる子です。私は一生懸命に子どもたちを学校に来させているお母さんを見て、心を打たれました。せっかく学校に来ているのだから、本人たちが望むなら、教室に通えるようにしてあげたい。職員室で「何かできることはないのか」と話題にしました。しかし、職員室も人手不足で対応できる人がいませんでした。

 それから2か月がたちました。私は白鳥さん兄妹に聞きました。

「教室に入れないの?」

「入れないです」

 2人とも繊細なところがあるのでしょう。クラスにうるさい子がいて、それが気になってしまい、教室に入れなくなったそうです。私は「何かいい方法はないかな?」と聞きました。具体的な案が出てくるわけがありません。私は、続いてこう提案してみました。

「じゃあ、うちのクラスに来てみないか? 1年生は楽しいぞ」

 自分のクラスがだめなら、せめて1年生たちと一緒に給食を食べないかという提案でした。ダメでもともと、と思っていましたが、お母さんと本人たちは意外にも私の提案を受け入れてくれそうでした。

 それから数日後、気がつくと廊下から私のクラスの様子をうかがっている親子3人を発見しました。祥子さんも凛太朗さんもにこにこしてくれて、お母さんが「このクラスなら入れるかもしれない」と言ってくれました。

学校を誰にとっても安心な場所に

 私のクラスに兄妹を呼ぼうと思ったのはなぜか。第一は、1年生のクラスなら2人が溶け込めると思ったのです。高学年となると難しいですが、1年生は教室に別の学年の人がいても違和感を持ちません。誰が来ても友達になることができます。特に、私と自由な1年間を過ごした子どもたちは、誰に対しても声をかけられます。それぞれのやり方で、甘えたり、はっきりものを言ったりすることができます。そして、人としていちばん大切な、相手に対する思いやりの心があります。

 もうひとつの理由は、私自身が一緒に給食を食べながら、2人の課題を見つけたいと思ったのです。自分たちの教室に行けないのには、やっぱりそれなりの理由があるはずです。一緒に過ごせばその課題が見えてくると思いますし、課題が見つかれば今後の援助の方法も考えられると思っています。

 小学校の教員の仕事は、教科書の内容を教えることだけでしょうか。クラスの子一人ひとりの課題を見つけ、どうやって対処するかをその子や保護者と一緒に考えることも、大事な仕事のひとつです。不登校は大きな悩みですが、小さな悩みはみんな抱えています。完璧な子は、ひとりもいません。計算が苦手な子もいるし、運動が嫌いな子、食べ物の好き嫌いが多い子、いろいろな子がいます。教員はそうした個々の悩みと付き合っていく必要があります。だから教科担任制ではだめです。学級担任だからできるのです。

 不登校の子どもたちにとっては「安心」がとても大切です。言い換えれば、学校に対してそれくらい大きな不安を抱えていて、その不安がなくなることを強く求めているのです。不安を和らげてくれるのは「楽しさ」や「充実感」ですが、前提として先生たちに必要なのは、不安を抱えて登校している子どもたちの苦労や大変さを大切にしてあげることです不登校の子どもたちは学校に来ているだけでも一生懸命頑張っているんだと評価し、学校を少しでも安心な場所にしてあげることが必要です。この共感的理解が大前提になります。