かつては日本国籍のパンダがいた
かつては日本にも、贈与でやってきた日本国籍のパンダがいました。1972年に上野動物園に来日して、空前のパンダブームを起こしたカンカンとランランです。彼らは日中国交正常化が実現した際に、中国人民から日本人民に対する贈り物としてやってきました。
公開初日のパンダ観覧の行列は、動物園から上野駅まで約2キロメートルにもおよび、2時間並んで見学50秒といわれるほど、人々は初めて見るパンダに熱狂しました。カンカンとランランはこどもをもうけることはなく、1979年9月にメスのランランが亡くなり、1980年1月にホァンホァンが来園するも、その年の6月にカンカンも亡くなってしまいました。
このあと、さらにオスのフェイフェイが来園し、1985年にはホァンホァンとの間に日本初のこどもが生まれます。しかし、このとき生まれたチュチュは、わずか43時間で亡くなってしまいました。その後は1986年6月におてんば娘のトントンが誕生。その後は弟のユウユウも生まれ、日本のパンダは順調に増えていました。
その後、ユウユウは交換という形で北京動物園へ。そのときにやってきたリンリンとトントンは人工授精に挑みますが、繁殖はかなわず。その後も繁殖への努力は続きました。2000年にトントンが亡くなると、リンリンは繁殖のため、メスが3頭いるメキシコ・チャプルテペック動物園と日本を3往復。さらに今度はチャプルテペック動物園から、セニョリータ・シュアンシュアンも来園しましたが、繁殖にはいたらず。
シュアンシュアンは、1975年に中国からメキシコに贈られたつがいのパンダ、迎迎(Ying Ying)と佩佩(Pe Pe)の最後の子孫。中国に所有権がないため、同じく中国に所有権がないリンリンとの繁殖を目指したのです。そして、2008年4月にリンリンがなくなると、日本国籍のパンダの飼育は途絶えてしまいました。
パンダに会いに行ってみよう
その後は数年、上野動物園にパンダがいない状態が続きました。リンリンが亡くなり、パンダ不在の状態になると、ピーク時の1974年には764万7440人を記録した入場者数も、2008年には60年ぶりに300万人を割ってしまいます。上野といえばパンダ。やはりパンダの人気は大きいことを感じさせる数字でした。その後、地元商店街や子どもたちの熱烈な要望を受け、2011年2月にリーリーとシンシンがやってきました。2012年7月には待望のこどもをもうけましたが、6日後に亡くなってしまいます。
しかし、2017年6月には「上野のカリスマ」と呼ばれるほどの人気を誇ったシャンシャンが生まれ、2021年6月には上野動物園初のふたご・シャオシャオとレイレイが誕生するなど、パンダ界もますます盛り上がっています。
日本でパンダがいる場所は、恩賜上野動物園(東京)、アドベンチャーワールド(和歌山県)、神戸市立王子動物園(兵庫県 ※現在は体調管理のため、観覧は中止)の3箇所。そんなに関心がない人でも、ひとめ会うと沼落ちしてしまうという魅力を持ったパンダ。ぜひ一度、生のパンダに会いに行ってみませんか。
(文/二木繁美)
《PROFILE》
二木繁美(にき・しげみ)
パンダライター。パンダがいない愛媛県出身で日本パンダ保護協会会員。パンダのうんこを嗅ぎ、パンダ団子を食べた、変態と呼ばれるほどのパンダ好き。アドベンチャーワールドのパンダ「明浜(めいひん)」と「優浜(ゆうひん)」の名付け親。「現代ビジネス」などでパンダコラム連載中。マニアックな写真と観点からパンダの魅力を紹介する著書『このパンダ、だぁ~れだ?』(講談社/講談社ビーシー)が発売中。