ウグイスをはじめとする動物ものまねで有名な「江戸家猫八」。三代目の祖父、四代目の父に続いて、五代目を襲名するのが、当代の江戸家小猫さんだ。
役者としても活躍していたこともあり、舞台では色気があった祖父、明るくて華があった父と比べ、「自分は、ただまじめなだけでして、そこがコンプレックスだった」と語る小猫さんだが、12年にもわたる闘病生活を乗り越えて父のもとに入門し、2011年に二代目「江戸家小猫」を襲名。まじめで控えめ、でもとても明るい性格が芸人仲間にもお客にも愛され、着々と知名度を上げてきた。そして何より勉強熱心である小猫さんに、動物園との深いつながりについて、父のがんが発覚したときのことについて、語ってもらった。
(二代目「江戸家小猫」を襲名するまでの悲喜こもごもはインタビュー第1弾でお聞きしています→記事)
全国の飼育員と動物園の未来を考えるまでに。「縁がつながっていくのが楽しい」
小猫さんは現在、全国50以上の動物園とかかわりを持ち、子どもたちに動物のことを教えたり、動物園のあり方についてのシンポジウムに登壇したりしている。動物園と縁ができたのは、小猫になる前、北海道の離島でおこなわれたワークショップで、絵本作家のあべ弘士さんと同席したのがきっかけだった。
「あべさんは、もともと旭山動物園の飼育員だったんです。一緒に飲みながら、江戸家の芸が好きだとおっしゃってくれて。“あなたがまじめに動物園の世界を勉強する気があるなら、いい人を紹介するよ。今度、京都でやるトークショーにいらっしゃい”と。それが数か月後だったんですが、本当に行ったんです。そうしたら、あべさんは僕の本気度がわかったと言って、業界内で顔の広い方を紹介してくれて。そこから一気にあちこちの動物園とご縁ができました。
動物園のみなさんとのかかわりを仕事ありきのものにはしたくなくて、鳴き声の勉強がしたい、動物たちの魅力を知りたい、純粋に向き合うご縁がとても楽しくて、飼育員さんたちとつながってきた。その結果、これからの動物園のあり方などを一緒に語り合える仲間として受け入れてもらえるようになりました。いつか恩返しをしたいですね。動物にも飼育員さんにも敬意を抱いていますから」
あるとき、全国各地の飼育員が集まる飲み会に参加し、みなさんの動物園に「2か月以内にすべて訪問する」と宣言、実際に訪問したこともある。20か所近くあったというが、言ったことはやり遂げる。誠実でまじめな人柄ゆえだろう。
「人とあまり接することもできずに療養していた12年間があるからこそ、人と話し、縁がつながっていくのが楽しいんです」
通りいっぺんに動物の声を聞くだけではなく、生態なども深く知ったうえで、小猫さんはその動物になりきる。だから芸が深いのだ。
「寄席だと芸人ひとりあたりの持ち時間は15分。その日の構成はだいたい決めておきますが、お客さんの反応によって舞台上で構成を変えることは多々あります。“今日のお客さんはテナガザルよりヌーのほうがいいかな”とか。空気を考えながら臨機応変に変えていきます。ときには僕の中のテナガザルが、“そろそろ出してもらえませんかね”と強烈にアピールしてくることもあるので(笑)、そういうときは、“じゃあ、ヌーは今日はごめんね”と」
芸に集中しながらも、常にもうひとりの自分が俯瞰(ふかん)する。寄席における色物さんは、芸の披露のみならず、前の噺家(はなしか)と次に上がる噺家をつなげる役目もあれば、会場の空気を変える役目もある。ときには時間調整のため数分ほど早く終えなければいけなかったり、逆に少し間をつながなければいけなかったり。とにかく「腕」が求められる。それらをすべて快くこなせるからこそ、小猫さんの周辺からは「早く猫八に」という声があったのだろう。
父に下された突然の余命宣告。父がこぼした“本音”と今も思い出す“強烈な思い出”
小猫を継いでひとり立ちし、父もひと安心した’16年、今度は父が病気になった。調子が悪いと病院に行ったら、進行性胃がんで、何もしなければ余命3か月と宣告された。
「1月は寄席に出ていたんですよ。でも、少しずつやせてきた。そのころ父は健康のために運動をして鍛えていたし、2月に20キロマラソンに出るつもりでかなり走り込んでいたので、まさか病気だとは思わなかった。検査をしてみたら余命3か月、延命しかできない。そんなことってあるんですね。父もショックだったと思う。でも数日後には治療はしないと決めたんです。その意志を聞いて、父らしいなと思いました。家族一丸となって、いけるところまでいこうと話し合って。
結果的には宣告から2か月で逝きましたが、限られた時間の中で身の回りもきれいに片づけていました。亡くなる少し前には、私もいる病室で、主治医に“小猫は芸はもちろんだけど、仕事への考え方や価値観をちゃんと受け継いでくれました”と報告したんです。今でもその言葉を大切にしています」
ただ、父は母にだけは「せめて10年、70歳までは猫八でいたかった」と語ったそうだ。だからこそ、小猫さんはその年になるまでは継がずにいようと決めた。
彼には子どものころの強烈な思い出がある。
「まだ小学校に上がるかどうかのころだったと思うんですが、父と一緒にお風呂に入っていて、ウグイスの指笛に挑戦しようと指をくわえたんですよ。もちろん音なんてまったく出ない。そうしたら父が“貸してごらん”と僕の小さい小指をくわえてホケキョと鳴いてくれた。舌の当たり方とか、小指の付け根を噛む強さとか、今でも強烈に残っています」
懐かしそうに小猫さんはそう言った。そこから波乱に満ちた時を経て、ついに五代目猫八が誕生する。父も祖父も、そして初代(祖父の父)も、きっと楽しみにしているだろう。
(取材・文/亀山早苗)
【PROFILE】
江戸家小猫(えどや・こねこ) ◎1977年、東京都生まれ。高校在学中にネフローゼ症候群を患い、12年の闘病生活を乗り越え、’09年に立教大学大学院21世紀デザイン研究科に入学。同年、父である四代目猫八に入門し、大学院修了後、二代目「江戸家小猫」を襲名。都内の寄席を中心に、全国各地での講演会などで活躍。ウグイス、カエル、秋の虫など江戸家伝統の芸はもちろんのこと、テナガザル、ヌー、アルパカなど鳴き声を知られていない動物のネタも数多くある。日本全国の動物園とのつながりから、動物園イベントに出演する機会も増えている。’23年3月に五代目「江戸家猫八」を襲名予定。
◎江戸家小猫 公式Twitter→https://twitter.com/edoneko5
☆2022年12月28日『年忘れ二ツ目会』、12月30日『第690回 紀伊國屋寄席』、2023年1月3日『笑客万来 新春寿寄席』ほか詳しい出演情報は公式サイト内の情報ページ(https://edoneko5.info/free/stage)をチェック!