2022年に開業から150周年を迎えた日本の鉄道。その鉄道にまつわる、あらゆる「音」のものまねを続けて30年以上、本職の鉄道マンにも「本物」と間違われるほどの芸を演じてきたのがものまね芸人の立川真司さんだ。サラリーマンから転身し、各地の鉄道イベントに引っ張りだこになるまでの日々を振り返ってもらった。
少年時代から警笛をものまね。本職にも間違われるリアルさ
制帽に黄色いダブルジャケットのいでたちをトレードマークに、「元セメント会社社員、鉄道ものまね35年」のキャッチコピーで全国でものまねを披露してきた立川さん。ものまねのレパートリーは鉄道にまつわる音ならなんでも。車種ごとに違う列車の警笛や走行音、ドアを開閉するときのドアエンジンの作動音、自動放送・肉声放送を問わない駅や列車のアナウンスなどを巧みに再現するのだ。黄色のキャッチーな衣装や話術も盛り上げにひと役買っており、鉄道や航空業界の社内イベントにも呼ばれるほど。東京・新宿にある『そっくり館キサラ』で開催されるものまねショーにはレギュラーで出演し、すべてトリを務めている。
「鉄道会社の方だけで行われた貸切列車でのイベントに出演したことがありますが、当然、乗客はみなさん本職の方々です。ふと走行中に運転席の後ろで警笛のものまねをやっていたら、客席の社員さんに“今日の運転士はよく警笛を鳴らすな”と間違われたり。本物の列車の走行音と合わさると、よりリアルに思っていただけるようです」
ものまねを究めてきた立川さんと鉄道の最初のかかわりは出身地・大分県でのこと。
「少年時代、故郷の日豊本線にはディーゼル機関車が牽(ひ)く寝台特急『富士』などの花形の列車も走っていました。国鉄特急の全盛期で、線路際にいると機関士さんが手を振ってくれるおおらかな時代でした。そのころから警笛のまねなどもしていて、鉄道好きの仲間と一緒に写真を撮りに行ったときに警笛のまねをすると、列車が来たと勘違いして友達がシャッターを切ってしまうこともありました。貴重なフィルムカメラなのに(笑)。それほど当時からリアルだったようですね」
『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』で大ウケ
学校を卒業すると大手セメント会社に就職し上京。「ダイヤ改正」とたとえる人生の転機は30代にやってきた。
「会社員時代からものまねをやっていまして、1982年に『そっくりマネマネ大賞』(TBS)で優勝したこともあります。
時代が昭和から平成に変わったころに『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)で披露した“各駅停車小手指(こてさし)行き”のアナウンスや走行音のものまねが大いにウケて、当時はテレビに出まくっておりました。ちょうど国鉄がJRになった直後で、私の芸歴もJRと同い年くらいですね」
当時、西武池袋線沿線の中村橋(東京都練馬区)に住んでおり、同線を走る「小手指行」の電車からヒントを得たものまねをしたところ、これが縁になって西武線にちなんだ黄色のジャケットをトレードマークに。現在も同じ沿線の埼玉県所沢市に居を構え、西武鉄道のイベントにもたびたび出演するほどのつながりになった。
「『小手指』の地名がユニークなのと、小手指行きの準急や急行に抜かれるのがなんだか悔しくてネタにした結果、ご縁ができました。
まさかセメント会社技術部社員から電車のものまね芸人になるなんて、人生のダイヤ改正も何が起こるかわからないものです。こう言うと、人生経験豊富なサラリーマンのみなさんにも共感してもらえるんですよ」
自らのキャリアもステージのネタにしている。インタビュー中でもマシンガントークで、ポンポンと話題を引き出す立川さん。芸人ひとすじではなかったからこそ、トークにも深みが増しているようだ。
「電車でGO!」車掌役の収録秘話
『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』への出演と同じころに「国鉄と同じく民営化ですね。いろいろなイベントの仕事が入るようになり、贅沢しなければ食べていくことができました」と脱サラ、ものまねの幅も広げてきたが、1997年にゲーム『電車でGO!』の車掌役の声の仕事を獲得する。これもターニングポイントになった。
「車掌さんの声には本職の方も候補に上がったのですが、現場と違ってスタジオだとあの独特の声の調子が出ないということで、私に白羽の矢が立ちました」
つまり、なんと本業の鉄道員よりも「それらしい」と思われたことになる。「より臨場感と“鉄道らしさ”を出すために、収録では本物の国鉄制帽や時刻表もスタジオに持ち込んで臨みましたね」という。
今でもアナウンスのものまねは細部までこだわり、最新の新幹線の自動放送から国鉄時代の放送の再現までお手のもの。
「今と比べると昔の肉声放送は一語ずつ区切って話すんです。ゆったりした口調で、しっかり情報を伝えようとします。現代は自動放送とマニュアルが充実していて、その合間にさりげなくアナウンスが入るので、普段みなさんが聴いているあの口調になるんですね」
と、さっそく即興で調子の違いを再現。筆者は国鉄をリアルタイムでは知らない世代ながら、立川さんの口の使い方ひとつでの演じ分けには「あるある!」とうなずいてしまう。
なぜ、音のものまねだけで観客は笑うのか。
「みなさんが普段何気なく聴いている音なので、自然に頭に入っているんですね。それを黄色いおじさんがオーバーリアクションで演じることで、頭の奥から思い出して反応していただける。ライブを見ている鉄道員の方からも“お客様がこんなに楽しんでいるのは日常でもよく聴かれているということ。身が引き締まります”と言われたことがあるんですよ。プロの方に喜んでいただけるのも励みです」
観客からの反応を生き生きと語る立川さんからは、ものまねを見せるだけでなく、鉄道を媒介にコミュニケーションを楽しもうという気持ちが伝わってくる。
ものまねよりも大事なのはトークだと気づいた
ドアの開閉音のものまねでは、「本物の電車のドアと同じように、口の両サイドから空気を出して再現します」という技法まで丁寧に説明して笑いを取る。ものまねの芸だけが立川さんの引き出しではないのだ。
「実は乗り物ものまねで、いちばん大事なのはトークなんだと後輩芸人たちにも話しています。お客さんを飽きさせないことの大切さに20年前に気づいて以来、私のステージはネタにする音の解説漫談・ものまね・まとめトークの3段構成で練っています。ただものまねを披露するだけではダメなのも、列車を走らせるだけじゃなく安全・定刻が求められる鉄道と一緒ですね」
マニアックな音の解説や「元セメント会社社員」のユニークな経歴、そして視線が合ったお客とアドリブでのコミュニケーション、決めゼリフは「あなたはこれから電車に乗るたびに、あの黄色いヤツを思い出して笑いが止まらなくなる」。話芸も立川さんのステージには欠かせない。旅先で本当に立川さんのものまねを思い出して笑ってしまったという感想を聞かされることもあるそうだ。
「例えば蒸気機関車(SL)のものまねはすごく肺活量を要するので、マイクなしではさすがに体力面でやりづらくなってきます。でもトークならアドリブでいくらでも盛り上げられます」
年齢を重ねても活躍できるスキルを培ってきた。おかげで芸人の仕事のほかに司会やセミナーの仕事でも全国を飛び回っている。
「サラリーマン時代は出張で新幹線や寝台特急に乗れることが楽しくて仕方なかったのですが、趣味を仕事にすることができた結果、かえってプライベートがない感じですね。新幹線に乗っても絶対に眠らずに音を聴いてネタを研究してしまいます。でも鉄道が好きですから、今の仕事が私の使命と思っています」と充実の日々だ。
(インタビュー記事の後編と新幹線ものまね動画はこちら→「日本の鉄道の楽しさは世界トップクラス」外国人にも大ウケ! 鉄道ものまねレジェンド・立川真司35年越しの夢)
(取材・文/大宮高史)
《PROFILE》
立川真司(たちかわ・しんじ) 1959年12月生まれ。大分県出身、埼玉県所沢市在住。小野田セメントでのサラリーマン経験の後、独立しものまね界へ。テレビ・ラジオ・イベントなどでの鉄道・飛行機ものまね芸歴35年。ものまねショーレストラン『そっくり館キサラ』レギュラー出演中。アマチュア無線技士3級資格保持。
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