数年前より続く90年代ファッションのリバイバルブーム。リアルタイム世代には涙が出るほど懐かしく、当時を知らない若者には新鮮に映る平成の思い出たち。ネット前夜の’90年代文化を振り返る際に貴重な資料となるのが、当時のファッション雑誌です。『smart』『POPEYE』『MEN’S NON-NO』『Boon』『COOL TRANS』『CUTiE』……。現在まで続く雑誌もあれば志なかばで休刊となった雑誌も多数。
ということで今回は、店舗を持たない移動式古本屋「TUNELESSMELODY BOOKSTORE(チューンレスメロディ ブックストア)」を営む堀田勇人氏とともに、当時のファッション誌を振り返りながら90年代文化を再考してみました。
スニーカー好き、裏原文化好きな若者からの熱烈な支持
──そもそも堀田さんが移動式の古本販売を始めたきっかけを教えてください。
「僕が古本の販売を始めたのは2018年ですが、最初はリアルタイムで買って捨てずにとっておいた雑誌の在庫処分のつもりでした。たまたま知人の店でイベントをやると知って軒先を借りられたので、家にあった数百冊の雑誌を持って行ったら、思いのほかお客さんが来まして。
ちょうど90年代のリバイバルが盛り上がってきた頃で、ファッション系のWebサイトに取り上げられて感度の高い人が来るようになり、そこから楽しくなって処分する以上に在庫を増やしてしまって、現在に至ります。知人のショップから、セレクトショップの『ジャーナルスタンダード』や阪急うめだ本店まで、全国各地で出店してきました」
──メインの客層を教えてください。
「40~50代のリアルタイム世代と20歳前後の若年層が半々ですね。『エアマックス95』をはじめとするスニーカーや初期の裏原宿ムーブメントに興味を持つ若者は多いので、雑誌をネタにファッションとか音楽とか映画の話でよく盛り上がってます。若い世代には当時のファッションが新鮮に映るようで、昔話を楽しく聞いてくれたりするんです。試しに1冊だけ買ってみたら思いのほかハマって、今では常連として来てくれる学生さんもいます。
僕は大学が神保町だったので、90年代から古本屋に足を運んでいろいろ読みあさってました。今読むと昔の雑誌は情報量が多くて、本当に面白いですね。雑誌が情報源のすべてでした」
ダウンタウン浜田雅功がファッションリーダーだったあの頃
──こちらの『COOL TRANS』創刊号(95年11月号/ワニブックス刊)は浜田雅功さんが表紙を飾ってますね。当時は小室哲哉さんとのユニット「H Jungle with t」として音楽シーンも席巻していました。
「『COOL TRANS』はいろいろなスニーカーがカタログ的に載ってるので、今の若者にはウケますね。90年代のスニーカーが今のブームに与えている影響は大きいから、資料として買ってくれます。この浜田さんは今見てもいいモノを着こなしてますよ。昔に比べてビンテージのデニムは値が上がってますし」
──浜田さんの古着ファッションに影響を受けた層は「ハマダー」なんて呼ばれてましたね。ここでは「カガミで自分、見直してみい!」とちょっとキツメなことを言ってますが。
「本当に現場でこんなトーンで言ってたかどうかはわかりませんが(笑)。でも今の若者はきっとハマダーなんて言葉を知らないでしょうね」
エアマックス95の人気は令和も健在!
──それにしても、当時のスニーカーブームは異常なほど加熱してましたよね。
「エアマックス95の定価は1万5000円でしたが、ほんの数か月でプレミアがついて、3万円から5万円、最終的には20万円にまでなりました。発売当時は普通にスポーツ用品店で売ってたのに、雑誌で取り上げられてからはどこに行っても買えなくて。仕入れるためにアメリカまで行って、現地で履いている人から売ってもらうという話も聞きました(笑)。今、復刻されるスニーカーはこの時代に人気だったモデルが多いので、そのルーツを知るという意味で興味を持ってくれる若者もいます」
──エアマックス95以外だと、同じくナイキのジョーダンシリーズも根強い人気ですね。
「『エアジョーダン1』とか『ダンク』は常に人気のモデルですね。復刻版でも以前より値段が高くなっていて、まだまだ人気は衰え知らずです。ただ、スニーカーは必ずと言っていいほど加水分解しちゃうんですよ。時間がたつとソールのポリウレタンがボロボロになって、僕も100足はダメにしました(笑)」
──私も先日、ひさびさに引っ張り出して履いたスニーカーがまさにそれで。自転車に乗っていたら、なんか足元が重く感じたので、見たらソールがべろりと剥がれていて。
「いずれ加水分解することはわかっていても、実際に起きるとショックで泣く泣く捨てるハメになるという。あと、ジョーダンシリーズや『エアフォース1』も内部のエアがなくなるので、履き心地が悪くなってきますね」
──当時はダサいとされていたスニーカーが、復刻でイケてるモデルとしてリバイバルするパターンもありますよね。サイドに「AIR」とデカデカと入ったナイキの「エア モア アップテンポ」は当時の雑誌で酷評されてたけど、今は普通におしゃれなスニーカーとして認識されています。
「エア モア アップテンポは『シュプリーム』とコラボしたモデルも出たし、今の若者も普通に履いてる人気モデルですよね」
ニセモノも混入、通販広告のワナ
──当時のファッション誌には、やたらと地方のショップの通販広告が掲載されていましたね。『smart』や『MEN’S NON-NO』にはなくて、『asayan』とか『COOL TRANS』に掲載されていた記憶があります。
「ネットが普及していないから雑誌がすべての時代でした。発売日に買っていち早く情報をつかみ、ショップに走って。人気のスニーカーも通販広告に電話して買ってました。普通にニセモノもあるんですけどね(笑)」
──97年頃、プロレスで「nWo(New World Order)」というヒール軍団が人気になって、Tシャツもよく売られてたんですけど、裏原系ブランドにも「NWO」という同名ブランドがあって。プロレスのnWoのTシャツを、さもNWOのTシャツであるかのように謳(うた)ってる悪質な通販広告もありました(笑)。
90年代のカリスマ・藤原ヒロシの影響力
「裏原宿については、僕はずっと藤原ヒロシさんを追いかけてきたので、『COOL TRANS』も彼の連載目当てで買ってました。巻末に『SUPER NATURAL MAGAZINE』という連載があって、これが面白かった。“雑誌内の雑誌”というテーマで、初回で取り上げたのが90年代半ばに一世を風靡(ふうび)した『ノースウェーブ』のスニーカーです」
──ノースウェーブは今見ると厚底の丸っこいフォルムが可愛らしいですね。藤原ヒロシさんのテイストからは遠い印象ですが。一緒に紹介しているソニーの黄色い家電もポップなデザインですね。
「ノースウェーブは本当に流行(はや)りました。この頃は完全に踊らされてましたよ(笑)。最初のモデルはカッコよくて、いろんなショップが取り扱うようになり最終的には5万円くらいのプレ値(プレミアム価格)になってたのかな。そういえば当時、『ア ベイシング エイプ(R)』と『アンダーカバー』を扱っていた原宿の『NOWHERE』にノースウェーブ目的で行ったら、市井由理(※1)が店員としていて、驚きました」
(※1)アイドルグループ「東京パフォーマンスドール」の元メンバー。ヒット曲『DA.YO.NE』でおなじみのラップグループ「EAST END×YURI」の一員として有名。
──裏原系のショップはたまにモデルや女優が店員をやってましたね。こちらのページでは写真家の小暮徹氏によるジョン・ライドン(※2)の写真と、左側は藤原ヒロシ氏とゆかりのあるショップやブランドの広告が並んでますね。
(※2)イギリスのパンクバンド「セックス・ピストルズ」のボーカリスト、ジョニー・ロットンの本名。
「『アンダーカバー』『グッドイナフ』『ステューシー』『メイド イン ワールド』『ELT』『レット イット ライド』……裏原系のショップとブランドですね。『in bloom』という静岡にあったショップも掲載されてます」
──in bloomという名前に聞き覚えがあります。裏原系のブランドを扱っていた地方のディーラーですよね。
「そうです、そうです。地方のショップは通販をやっていたので、東京では売り切れてしまった人気アイテムを買うためによく電話してましたね。オーダーシートを送ってくれるので、そこから欲しいモノを選ぶんです。お世話になりました(笑)」
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というわけで第1弾はここまで。インタビュー第2弾では、90年代の東京・原宿から生まれ世代も海も越えてファッションの世界に影響を及ぼし続ける、裏原宿カルチャーの話題をメインに掘り下げていきます。
【第2弾:世代や国境を越えて再注目される「90年代の裏原宿カルチャー」。当時の雑誌から“熱狂の時代”を振り返る】
(取材・文/松山タカシ)
※キャプションの文言を一部、修正しました(2022年9月8日20時00分)