障害のある子とない子がともに学ぶことを「インクルーシブ教育」と言います。2022年の秋、国連の障害者権利委員会は日本政府に対して、インクルーシブ教育の実現を求める勧告を出しました。勧告では、日本で行われている特別支援教育が障害のある子を分離していると指摘。教育体制の見直しを求めています。一方、永岡桂子文部科学大臣は、勧告が出た直後の記者会見で「特別支援教育を中止することは考えていない」と話しました。
このインクルーシブ教育について、多様な子どもたちと日々接している田中まさおさんに考えを聞きました。(聞き書き/牧内昇平)
※本文中に登場する子どもの名前はすべて仮名です。
他の子よりも発達が遅い聖華さんが就学相談の議題に
障害があってもなくても一緒に学ぶ「インクルーシブ教育」は、世界的な潮流です。それなのに日本は通常学級と特別支援学級に分ける傾向があり、文部科学省は「変えるつもりはない」と言っている。私はとても残念です。
小学1年生の聖華さんは、周囲よりも発育が少し遅いと思われる子でした。あまり言葉が出ないし、出てくる言葉は周りの子が言ったことの繰り返しです。書いた文字は読めませんし、絵も描けません。文字を丁寧に書かせようとすると、「いいの」と言って書こうとしません。
学年の途中で、校長が保護者と面談をしました。「聖華さんのことを就学相談委員会で話し合いたい」と言うのです。就学相談委員会とは、発達や特性が気になる子について、通常学級で学ばせるか、特別支援学級にするかを話し合う会議です。保護者が「はい」と言えば、聖華さんは2年生から特別支援学級に行くでしょう。面談に同席していた私は疑問を呈しました。これからはインクルーシブの時代、今のままがいいと思っていたからです。
校長先生の言葉はとても柔らかく丁寧なものでしたが、特別支援学級に方向を向けようとするものでした。「田中先生のクラスのうちはいいけれど、次の先生が同じようにできるとは限らないし、これからいろいろな情報を得たり、専門家に相談することも可能ですし」と、就学相談にかけることを承諾させるように話を持っていきます。面談中、お母さんは、就学相談にかけることを承知しました。
校長との面談が終わった後、私は聖華さんのお母さんとゆっくり話しました。するとやっぱりお母さんも、「可能な限り通常学級に行かせたい」と言うのです。校長の前では親としての気持ちをはっきり言えなかったのでしょうね。
田中まさおさんが考える、インクルーシブ教育の大切さ
なぜインクルーシブ教育が大事なのか。そのほうが、子どもたちが育つからです。話を進めていくと、聖華さんのお母さんは言いました。「そういえば最近あの子、家で弟の面倒を見るようになりました」。聖華さんはそれまで、4歳になる自分の弟に関心を示すことがなかった。それが小学校に通いはじめ、自分から面倒を見るようになった。お母さんはそう教えてくれました。
これはすごいことです。クラスではいつも他のみんなが聖華さんのお手伝いをしています。ランドセルから荷物を出すのを手伝ったり、体育のときは校庭まで手を引いて連れて行ったり。聖華さんはその経験を、お家で生かしていたのです。
もちろん、特別支援学級が悪いとは言いません。むしろその子に合った学習ができるという意味では効率がいいのかもしれない。私だって、普段の授業中に聖華さんに合わせた教え方をするのは難しいです。例えば、1年生の算数で時計のことを教えるとき、「10時30分です。短い針はどこを指しているかな?」などと子どもたちに聞きます。半分くらいの子はさっと手が上がります。残り半分の子もゆっくり考えればわかりますが、聖華さんはぽかんとしているだけです。この授業のあいだ、私は聖華さんをほったらかしにしているとも言えます。何か別の課題を与えられないのかと言われたら、そのとおりかも知れません。でも私には、その余裕がありません。
しかし、算数の授業の時間がムダになってしまうのと、通常学級でいろんな人と同じ波長の中で過ごせるのと、聖華さんにとってどちらが大事でしょうか。
聖華さんは最近、ずっと飲めなかった牛乳を飲めるようになりました。私の指導ではありません。自分の意思で飲むようになったのです。周りの友達が毎日おいしそうに飲み干しているのを見て、自分も飲みたくなったのでしょう。特別支援学級では、教員が牛乳を飲むように指導してくれます。でも、先生の指導で飲めるようになるのと、周りの子たちの影響で自然と飲むようになるのとでは、大きな違いがあるとは思いませんか?
「分断」が招いた、木元さんと坂下さんの不和
3年生のクラスを担任していたとき、木元さんという子がいました。勉強はとてもできるけれど、きまじめなところがあり、少し神経質な性格が気になっていました。そのため、その子には友達とのかかわりが上手になるように配慮していました。
3年後のことでした。私は別の小学校に異動していたのですが、6年生になった木元さんの当時の担任から連絡があり、「不登校になった」と聞きました。私は心の中で「えっ」と思いました。性格的にはそういう心配がある子でしたが、学力が高かったし、芸術的な部分で自信が持てるものを持っていたから安心していたのです。
不登校になった原因は、同じクラスの坂下さんでした。この子は3年生まで特別支援学級にいて、4年から通常学級に入りました。急に大きな声を発したり、なめた手で他の子を触ったり、そういうことをしてしまう子でした。木元さんは6年になるときのクラス替えで初めて坂下さんと同じクラスになりました。坂下さんの大声や汚い手に耐えられず、学校に来られなくなってしまったそうです。
私は当時の同級生のうち信頼の置ける子に電話をかけて様子を聞きました。その子は、木元さんに非があると言いました。木元さんの坂下さんに対する言動がひどい。坂下さんが木元さんに近づくだけで毛嫌いをしていると言うのでした。
普段は特別支援学級に通う子も、授業内容や行事によっては「交流クラス」ということで通常学級に加わります。私は木元さんのお母さんからも相談を受けました。「娘はなぜあのような子が通常学級にいるのかと不満ばかり言っています。私が、世の中にはいろいろな子がいて、それぞれみんなが尊敬し合って生きているのが人間社会なんだよ、と言い聞かせても納得しません」とお母さんは話していました。私も本人に会いましたが、彼女が一度受けたトラウマを簡単には解消できませんでした。
他の子どもたちは、下級生のころの交流クラスでの経験から、坂下さんの特徴を受け入れている子がほとんどでした。しかし、木元さんはたまたま6年生になるまで坂下さんと出会いませんでした。初めて坂下さんと出会い、席も隣になるという偶然が重なったのです。
坂下さんが悪いのではありません。意地悪をしていたわけではなく、それが坂下さんの特性だからです。あえて言わせてもらうならば、なぜ坂下さんを1年生のときから通常学級に受け入れなかったのか、ということです。低学年のころから知っていれば、木元さんも慣れていたはずです。6年生になり、本人も大人びてきたときに突然坂下さんが登場したものだから、困惑が深まったのではないでしょうか。
木元さんのことを考えるとき、不幸なのは「分断」だと感じます。障害のある人に対する差別をなくしたいのなら、まずはインクルーシブ教育を進めて、障害がある子と一緒に過ごす時間を小さいころから作るべきです。もちろん重度障害の子が安全に過ごすための対策など、考えなければいけないことはたくさんありますが。
運動会の全体練習で聖華さんが起こした“小さな奇跡”
再び1年生の聖華さんの話に戻ります。同じクラスに未来さんという、幼いころに重い病気を患った子がいました。長く入院していたことが影響しているのか、大人とはうまく付き合えるのに子ども同士のコミュニケーションが苦手な子でした。未来さんは、友達からかけられる言葉がきついという不安から始まって、みんなが自分を置いて先にいってしまう、通学班の歩く速さについて行けないなど、さまざまな不安から登校を渋るようになっていました。
その日は運動会の全体練習でした。私は他の子どもたちを把握するのが精いっぱいなので、未来さんのことはお母さんが一緒についてクラスの子たちが並んでいるところまで連れていきます。しかしこの日は、うまくいきませんでした。お母さんや他の先生たちがいろいろと声をかけてくれましたが、未来さんは子どもたちの整列に加われず、硬い表情で校庭の端っこに立ち尽くしていました。私も手が空いたので声をかけようと思いましたが、未来さんの顔には「今日はもう無理」と書いてある気がして、諦めました。
そのときです。聖華さんが子どもたちの列の中から飛び出し、棒立ち状態の未来さんのほうへ、ひょこひょこと走っていったのです。そして未来さんの前に立ち、何か話しかけたと思うと、その手を引いてクラスの列のほうへ連れてくるではありませんか! 周りにいた先生たちとお母さんは、ただただその場面を見ているだけです。
手をつないだ2人が校庭の真ん中に走ってくるのを見て、私は感動してしまいました。私が同じことをしても、未来さんはきっと拒否したでしょう。聖華さんが、普段友達にしてもらっていることをごく自然な形で再現したから、未来さんは受け入れたのだと思います。聖華さんが起こした小さな奇跡でした。
(取材・文/牧内昇平)
田中まさおさんの裁判を支える「田中まさお支援事務局」は’23年4月23日、第2次訴訟の原告の詳しい募集内容を公開しました。主なポイントは以下の4点です。
《原告の応募条件》
1. 個人的な利益ではなく、本訴訟の趣旨に賛同してくれる人
2. 給特法が適用される、公立学校の現役教員もしくは元教員の人
3. 長時間労働を理由とする国家賠償請求を行いたい人
4. 正式に原告となる場合、訴訟費用として20万円を負担できる人
田中まさお支援事務局によると、すでに教員を退職した人でも、時効(原則3年)が過ぎていなければ裁判を起こせます。また、裁判の費用については、クラウドファンディングなどで寄付を募るため、個人の負担は20万円に抑える、としています。7~8月の夏休み期間に説明会を開き、そこで弁護士や支援事務局のメンバーたちが面談を実施します。詳細は田中まさお支援事務局のTwitterアカウントなどへ。
◎田中まさお支援事務局公式Twitter→https://twitter.com/1214cfs
◎著者・牧内昇平Twitter→https://twitter.com/makiuchi_shohei