黒海の東岸にあり、豊かな自然と食文化、誇り高い歴史を持つジョージア。この国の歴史を題材にした宝塚歌劇の舞台『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』が東京で上演中だ。歴史作家の並木陽さんの同人小説『斜陽の国のルスダン』が原作で、演劇ファンや文学ファンの間でもジョージアという国の存在が高まりつつあるようだ。
公式ツイッターのフォロワー数が18万人を超えるなど近年、SNSでインフルエンサー的に活躍するティムラズ・レジャバ駐日大使らの活動もあって縮まってきたジョージアと日本の距離感。同人誌からミュージカルにまでなったムーブメントも、この文化交流にひと役買っている。
ジョージアンダンスに華麗な衣装も宝塚の舞台に
ジョージアは4世紀にはキリスト教を国教とし、中世のジョージア王国はキリスト教国として繁栄、モンゴル帝国やイスラーム勢力とも対峙(たいじ)した。ローマ・ビザンツ・イスラームなど周辺の文化圏の影響を受けながら、独自の文化を維持。その一端が「チョハ」などの民族衣装やジョージアンダンスだ。とりわけチョハは、長い上衣とアクセサリーがSF映画のようだと、日本での認知度も高い。
舞台『ディミトリ〜』でも華麗な衣装は見どころのひとつ。中世ジョージア史を海外文献も駆使して調べ上げて原作を書き上げた並木さんも、
「ジョージアといえばファンタジー小説のような民族衣装のイメージを持っている人が多いと思いますが、そのイメージを生かしつつ、13世紀の要素も取り入れているようですね。当時のジョージアはビザンツ帝国の影響を受けていましたから、ビザンツ風のアクセサリーをあしらいながら現代の衣装風にスッキリとしたシルエットを採用してくださいましたね」
とジョージア文化に忠実に、しかし舞台映えするようアレンジされたビジュアルに驚いている。
『ディミトリ』の時代にまだ戦場に銃はなく、したがってチョハ特有の、弾薬入れに由来する胸の「ガズィル」がない。しかしそこにもアクセサリーをつけ、華やかさを演出している。
もちろん、舞台ではジョージアンダンスも取り入れた。ジョージアの現地でダンスを学んだ数少ない日本人のジョージアンダンサー・ノグチマサフミさんが振付に参加し、例えばディミトリとルスダンの婚礼場面ではトップコンビが優雅な「カルトゥリ」の踊りを披露。身体が地面を滑っていくような独特のステップを礼さん・舞空さんが踊っている。
この公演にあたり、駐日ジョージア大使館も協力。ジョージア衣装の考証のために資料を提供し、舞台を観劇したティムラズ・レジャバ駐日ジョージア特命全権大使も宝塚の世界にハマってしまったようだ。
「中世ジョージアの歴史を私たちにもリアルに感じられる演出、王族たちの感情の機微を描いた並木さんの考証とストーリー、彼らの国家を守ろうとする誇りをしっかり描写してくれたこと。何より婚礼の場面をはじめとして、ジョージア人も親しんでいるいくつものジョージアンダンスを披露していただいたことが印象深いです」
レジャバ大使は宝塚版の印象をこう語る。駐日ジョージア大使館でも衣装の考証のために、宝塚歌劇団に段ボール1箱分にのぼる資料を提供したそうだ。
映画、ワイン、ダンス。誇り高く文化を守ってきた国
『斜陽の国のルスダン』の舞台化にとどまらず、近年の日本ではジョージアへの関心が増しつつある。一例が映画だ。20世紀初頭から現代まで、ジョージア映画の名作を集めた「ジョージア映画祭」が2022年には年内をかけて日本国内11都市を巡回、’23年2月17日からはジョージア生まれのオタール・イオセリアーニ監督の全作品を上映する「オタール・イオセリアーニ映画祭」が東京を皮切りに全国各地での上映が始まる。ジョージアは名匠を輩出した映画の国でもあり、並木さんもセルゲイ・パラジャーノフ(1924~1990/トビリシ生まれのアルメニア人監督)の作品を好きで観ていたそうだ。
「周辺地域に比べて独自の歴史と文化を持つ点で、日本とジョージアは似ているかもしれません。周りの国々の影響を受けながらもジョージアは文化を守り、それを特別な誇りに思っています。とりわけダンスや、世界最古のワインはこの国の誇りです。そして人々は互いに思いやり配慮することができます。こういった気質が、日本のみなさんにも共鳴するのかもしれません」
とレジャバ大使は語る。
ジョージアは近代にも帝政ロシアに支配され、1917年にロシア革命で帝政が崩壊すると翌年に独立を宣言するも、’21年にソビエト赤軍の侵攻で社会主義共和国として編入され、’91年に独立を回復した歴史がある。2015年には国際的な国名をロシア語の「グルジア」から英語由来の「ジョージア」に変更。数百年ぶりに強国の影響から脱したこの国の豊かさを伝えるため、ついにはジョージア文化を案内するガイド本『大使が語るジョージア 観光・歴史・文化・グルメ』(星海社新書)をこの1月26日に発売するに至った。
「2019年に日本に赴任しましたが、そのころからジョージア文化への日本での関心は高まりつつあったと思います。ただ、ジョージアのエキスパートは日本でも少なくて、もっとこの国を知りたいというニーズに私が応えていった結果、こうして話題にしていただけるようになりました。
私はジョージアの特定の何かの専門家、というわけではありませんが、ジョージアと日本のために知識と経験を提供してきました。このたびの本でも、ジョージアの情報がもっと伝わるといいですね」
ヨーロッパとアジアの接点で苦難の歴史の中でも文化を守り、ジョージア人というアイデンティティを忘れなかった人々の営みが、機が熟したかのように日本でますます脚光を浴びつつある。ようやく日本からの海外渡航も自由になりつつある今、ふたつの国の距離がさらに近くなることを期待したい。
(取材・文/大宮高史)