1986年、39歳でのデビューから現在まで「ひとりの生き方」をテーマに、多くの著書を発表してきたノンフィクション作家の松原惇子さん。松原さんが愛してやまない猫たちとの思い出と、猫から学んだあれこれをつづる連載エッセイです。
第2回→愛猫をなくして涙が止まらない…ペットロスを癒やすため迎えた2代目猫・グレちゃんとの運命の出会い
第3回
グレもわたしも不安。この馴染めない雰囲気の理由は
普通、子猫を迎えると自分も部屋も活気に包まれるものだが、なんだかそれが感じられない。初日から懐いてくれた陽気なメッちゃんとは大違い。やっぱりお見合いと同じで、第一印象に疑問を持ったら断るべきだったのか。相手が人間の場合は、ばっさりと縁を切れる勇気あるわたしなのに……。
グレにとっても初めてのお家、初めてのマミーなので不安なのはわかる。でも、早く仲良くしようね。だって、これからずっと一緒に暮らすのだから。カリカリの音を聞くと、どこからともなく出てくるが「グレちゃん!」と呼んでも反応なし。わたしを警戒しているのだろうか。親の愛を受けていないので、甘えることを知らないのか。グレも不安そうだが、わたしも不安だ。なんだか、言葉の通じない外国人と同じ部屋にいるような雰囲気だ。
そうか。このなじめない雰囲気は、グレが外国人だからだ。グレの父親はアメリカンショートヘア、“外国人”だからと気づく。だから、最初から違和感あるのは仕方がないことなのだ。
先代のメッちゃんは代々下町に暮らす“日本人”だったので、すぐに仲良くできたが、グレは“アメリカ人”。人間も、日本人とアメリカ人とでは、性格も考え方も習慣も違う。猫も同じだ。島国育ちの日本猫は、小柄でおとなしく従順だが、大陸育ちの洋猫は、姿は美しいがワイルドだ。
20代のころ、自分探しにニューヨークに滞在していたとき、アメリカ人のお宅にベビーシッターとして住んでいた時期がある。2人の子どものいる夫婦でクリーニング店を経営していた。奥さんといってもわたしとほぼ同年齢だが、あちらはボンドガールかと見間違えるほどのセクシーな大人の女性。もたもた英語で小柄なわたしはまるで子ども。彼女は優しい人だったが、怒るとすごい。アメリカ映画に出てくるシーンそのもので、テーブルをバンとたたいて「So what!!」(だから何なの!?)と叫び、ヒールで部屋をカッツカッツと歩き回る。
身体が大きいだけでなく、家が揺れるほどの迫力。日本人は怒ってもあれほどまでにはならない。アメリカにも、アメリカ人らしくない静かな男性もいるが、そういう方はたいてい日本女性と結婚している。アメリカ人と日本人を動物に例えると、ライオンとリスかな。どちらもいいところがあるが、男性に限って言うと、わたしの好みは、ちょこちょこしているリスより堂々としているライオンだ。
「ついに心を許したか」と喜んだものの
しかし、グレは弱々しい。息をかけたら飛んでいきそうなモヘアの毛糸玉のよう。よく観察すると、子猫なのにおなかがたるんでいる。それって、やっぱり内臓が悪いのか。メッちゃんは「ミャーミャー」とお話しするように泣いたが、グレはまったく鳴かない。グレはお高いの? それとも、無口なの? 猫と言ってもひとりひとり違うことを知る。
正直、ものたりなさを感じながらも数週間がたち、ある日、ソファにごろ寝をしていると、おなかに重みを感じる。「アレ、なに? この感覚は? ついに心を許したか」と喜んでいたが、具合が悪く、心細くなって来たようだ。
メッちゃんと暮らしていたときは、平気で旅行に出かけていたが、病弱なグレはひとりにさせられないので、若い編集者の女性に泊まってもらった。申し訳なく思っていると、逆にお礼を言われてしまった。
「猫と一緒にいれて、幸せだったわ。わたしのお股(また)で寝てくれたのよ。ね、グレちゃん」
都会のワンルームマンションで暮らす女性にとり、グレとの時間はぬくもりある一夜になったようだ。しかし、マミーと一緒に寝ないのに、知らないお姉さんと寝るなんて。ちょっと嫉妬するわ。
*グレちゃんも少しずつ人間に慣れてきた模様。そして1歳の誕生日を迎えて……第4回に続きます。