1986年、39歳でのデビューから現在まで「ひとりの生き方」をテーマに、多くの著書を発表してきたノンフィクション作家の松原惇子さん。松原さんが愛してやまない猫たちとの思い出と、猫から学んだあれこれをつづる連載エッセイです。
第1回→《「シングル女性が猫を飼うなら40歳になってから」どん底を救った“招き猫”がもたらした幸せな日々》
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第2回
ペットロスで世界が灰色に
わたしは基本的に家で仕事をしているので、メッちゃんはご機嫌だったのかもしれない。わたしにとっても、かわいいお顔を見ながら、美しい毛皮で覆われた体を触らせてもらい、いつもそばにいてくれるメッちゃんに癒やされっぱなしでご機嫌だった。「なんて、きれいな子なの。長生きしてね」それがわたしの口癖。
仕事中はそばの椅子に座ってじっとしている。わたしが執筆の合間にソファで休息していると背中に乗ってきて、もみもみを始める。それも延々と。一度、数えてみたことがあるが、100回で数えるのに疲れたのでやめた。長電話をしていると「話が長すぎる」とばかりにニャーニャーと大声で止めに入る。
夜はもちろん、布団の中に入ってくる。ああ、何をしていても、何をしていなくても、いつもメッちゃんを感じる至福の生活だ。これを幸せと言わずに何と言おう。しかも、カメラを嫌がらないので、猫雑誌に何度もご登場! 人が来ると必ずお出迎えするので、みんなの人気者だ。海外旅行で家を空ける時もお留守番ができる、通信簿でいえば、オール5の子である。
このメッちゃんとの蜜月は延々と続くかと思われたが、寿命にはかなわず20歳の誕生日を迎えた年に、老衰で亡くなった。猫としては長生きだが、昨日まで一緒に暮らしてきた相棒の姿がないのは、想像以上につらく、家に帰れない、ドアを開けられない、シーンとした部屋が冷たい、なにもかもが無機質に感じる。これをペットロスというのか。家にいても、外を歩いていても涙はとめどなくあふれだす。恋人が去ったときも泣かなかったのに……メッちゃんがいないことで、世界が灰色に一変してしまった。
わたしが深い悲しみにくれていると、猫博士から、悲しんでいないで、すぐに次の子を飼いなさいという連絡が入った。間をあけてはだめだという。また、新しい猫と暮らして楽しい毎日を取り戻すのよ、と励まされた。猫博士に背中を押され、徐々に次の猫を探す気になる。このままでは廃人になってしまう。それだけは避けたい。
家で生まれた子猫を探すのは困難だったため、保護猫をもらうことにした。ダメもとで、「性別はメス、色はグレー、しっぽの長い子猫希望」とリクエストをだすと、先方から「グレーの子は、アメリカンショートヘアの血が入っているので、なかなかいない」と即答される。本当はどんな子でもよかったが、だんだん面倒くさくなってしまい、河原で捨て猫を探そうかと思うようになった。