6年連続でミシュラン一つ星を獲得している東京・東麻布のフレンチ『レストラン ローブ』のパティシエ、平瀬祥子さん。野菜をスイーツに組み入れるなど斬新な発想で、美食家たちをうならせるデザートを発表し続け、2020年には、フランス発祥のレストランガイド「ゴ・エ・ミヨ」でベストパティシエ賞も受賞した。
女の子がなりたい職業に「ケーキ屋さん」という答えが多いことは、今も昔も変わらない。しかし、実際にその夢を叶(かな)える女性は、ごくごく少数。製菓業は、長時間にわたる過酷な労働が強いられる。今の飲食業界が抱えるその問題を解決しない限り、女性が活躍できる場ではないのかもしれない。
結婚や出産によって女性がキャリアを諦めるのはもったいない、という世の中の流れはあるものの、自分のステージに合った仕事のスタイルを見つけ、身につけた技術や経験を生かせる環境は、なかなかない。そんな中、平瀬さんは、女性のレストラン・パティシエとして、厳しい道を切り開いてきた。
東京と金沢の行き来は大変だが「どちらもお菓子作りに集中できる至福のとき」
現在、平瀬さんが携わっているのは2店。前述の『レストラン ローブ』のほか、’22年4月には、石川・金沢に『パティスリー ローブ 花鏡庵』をオープンした。
後者は、築160年以上の歴史を誇る弁柄格子の町家料亭を改装した金沢らしいフランス菓子店で、開店前から行列ができ、昼過ぎには売り切れてしまうことも少なくないほどの人気ぶりだ。
「これから育っていく若手スタッフの夢を応援したいという構想があったんです。金沢のスタッフは、限定していたわけではないのに女性ばかり。毎月10日は現地に行き、スタッフとレシピを擦り合わせたうえで商品として出しています。時間に追われる大変な毎日ですが、レシピを継承してもらいたい、という思いで頑張っています」
東京のレストランには、「メロン×ジュンサイ」「オリーブ×スフレ」などのメニューも。一見、予想外の組み合わせだが、平瀬さんの手にかかると、いくつもの味がレイヤーされ、これまでにない驚きの食感や目にも麗しいデザインのお菓子が生み出される。一方で、金沢のショーケースに並ぶのは、プリンやタルトなど親しみやすいお菓子を独自にアレンジした“3時のおやつ”。
「東京でレストランのラストを彩る複雑なデザートを考えるのも楽しいですし、金沢で何も考えず、無になってケーキ作りをする時間を持てるのも、この上ない喜びです。どちらもお菓子作りに集中できる至福のとき。金沢でケーキ屋さんのお菓子を作る際には、1〜2時間の持ち歩き時間を計算しなければなりませんが、レストランのデザートは、瞬間的に食べられる作り方をします。異なる技術を使うお菓子作りをすることで、勉強にもなります」
フランスでの修業は試練の連続。「女性差別とか人種差別も横行していた」
そんな“パティシエ道”ひと筋の平瀬さんは、母親がパン教室を開いていて身近に材料や調理器具があったことで、子どものころからお菓子を作る日々を送っていた。高校卒業後、就職したホテルで“パティシエ”という仕事の存在を知り、この道を進むことに。23歳でパリに渡り、老舗『ストレー』やエッフェル塔内にある人気レストラン『ジューヌ・ヴェルヌ』などで経験を積む。
「フランスで学んだことは、レシピや技術のほか、豊かな感性や食文化。なにより鍛えられたのは、メンタルの強さですね。もともと労働ビザなしで行ったので、それほど長く滞在するつもりはなかったのですが、流れに身を任せていたら、職場を紹介してもらえたり、労働ビザがすぐ下りたり、とんとん拍子に仕事をする環境が整っていき、ラッキーでした」
とはいえ、外国人の女性がフランスのパティスリーやレストランという男性社会で生き抜いていくことは至難の業(わざ)。キッチンでは日々、上を目指して熾烈(しれつ)な争いが繰り広げられている。1日休むと、自分のポジションがほかのスタッフに取って代わられるというほどだ。
「『ジュール・ヴェルヌ』は、レストラン界でも一目置かれているアラン・デュカス系列だったので、みんな出世欲がすごいんです。シェフになるためにガツガツしているから、ミスをなすりつけてくる人や足を引っ張ってくる人も、たくさんいました。女性差別とか人種差別は当たり前のように横行していましたね。“早く中国に帰れ”と、ひどい言葉を浴びせられたり。コミ(フランスのレストランにおける、いちばん下のポジション)から入ったスタッフに、私が上の立場として指示を出しても、“何を言ってるかわからない”と外国人風のフランス語をマネされたり。そのころは、かなりメンタルをやられていて、いちばんつらかった時期でした。相当思い悩んでいて、母に聞くと、“死のうと思っていた”と言っていたらしいんです」
今橋英明シェフとの仕事が転機に。今いちばんの目標は「女性が働く環境の改善」
そんな壮絶な経験を経て、8年のフランス生活に終止符を打ち、日本に帰ってきた。フランスでやりたいことはやり尽くした、という思いもあったが、余命宣告を受けた父親の看病をするためだった。
「父が亡くなったあと、地元の熊本では働きたい場所を見つけることができず、東京へ視察に行ったところ、六本木にあるミシュラン二つ星レストラン『エディション・コウジ シモムラ』での仕事が決まりました。そこで、今までやってきた経験を全部否定されたんですね。たぶん自分の中に、“フランス帰り”という思い上がりもあったんじゃないかと思うんです。23歳で日本を出ているので、まず、日本での社会人としての言葉遣いや常識を学んでいなかった。31歳で帰国したときは、ろくに敬語も使えず、注意されても、何が間違っているのか理解できなかったほどです。
“逆カルチャーショック”に陥っていたところ、転機となったのは、原宿の『KEISUKE MATSUSHIMA』(現在は閉店)に移り、今橋英明シェフと仕事ができたことです。デザートを作るときに今橋シェフの意見を取り入れると、自分ではできなかったような一品が生まれるんです。ひとりでやっていては、今のようなデザートは作れなかったと思います」
今橋シェフは、素材をとても大切にしている。1週間のうち、生産者のもとで週5日働き、鎌倉で農業に携わりながら、残りの2日でレストランにてシェフをしていた時期があった。そんな2人がタッグを組み、東麻布に開いた『レストラン ローブ』では、素材そのものの味や食感、香りを、高い技術を駆使して、その瞬間にしかないおいしさに昇華するメニューでファンを増やしてきた。
「トータルすると8年ぐらい、フランスのパティスリーで働いていたのですが、フランスと日本では甘さの好みがまったく異なり、使う材料の量も全然違います。フランスのレシピを日本で何回か試しましたが、日本人ウケしない味になってしまうんです。牛乳、バター、卵など素材も気候も違う。フランスから帰ってきたら、それまで積み重ねてきたものが一切、通用しなかった。イチからやり直しでした。
食材も、“フランス産がいちばんだ”という思い込みが強かったのですが、日本の生産者の方から、“こういう思いで作っているので、こんなふうに食べてほしい”と直接聞くことで、日本の農作物のすばらしさを知るようになりました。“フランスの白桃が世界一”、ではなく、日本の桃でも、素材を理解すればいくらでもおいしいデザートを生み出すことができることに気づいたんです。顔の見える生産者が育てた食材を扱うときには、皮や根や種まで全部、どうしたらおいしくできるかを考えるようになりました」
平瀬さんの作るデザートは技術や素材だけでなく、生産者に対する思いや優しさも加えられているから、食べ手の心をとらえるのだろう。次々とパティシエとしての新しい場を開拓してきた平瀬さんが、今いちばんやりたいことは、女性が働く環境を改善すること。子育てをしながら時短で勤務している女性パティシエなどが仕事を続けられるようにしていきたいと思い、彼女たちが働きやすい環境を作るため、オンライン販売にも力を入れている。
「今、女性のパティシエは増えているものの、結局、若い人しかいないんですよね。 30代後半から体力面も精神面も、もたなくなってくるんです。出産、育児、婦人科系の病気などが原因で、だんだん女性の働き手がいなくなっていく。実際、小麦粉50キロを運んだり、大量の粉や卵を混ぜたりするので、腰を悪くしたり、腱鞘炎になることも多い過酷な職場です。だから今、一緒に働いているパティシエは、子育てと両立できるように、プライベートを重視したスケジュールで働いてもらっています。働くママたちの事情を理解したうえで、いい働き方を提案できれば理想ですね」
男性社会で奮闘してきた平瀬さんは、女性のパティシエも生涯にわたり働けるような環境が増えてほしいと願い、戦い続けている。平瀬さんのような、人の心を打つデザートを作る女性パティシエが夢をあきらめないでいられる未来は、近づいているのだろうか。
『レストラン ローブ』平瀬祥子パティシエのスペシャリテ
◎ごちそうナスとカカオ
なんと、ナスを使ったこのデザートは、今橋シェフから「ナスが余ったから何か考えて」と言われ、パリで食べたナスのデザートを思い出してアレンジしたもの。中央にはナスのアイス、チョコレートのシフォン、サブレを置き、中にローズマリーとセージのクリームが入っている。いちばん下は、バルサミコで煮たオレンジのマーマレードとナスの葉をイメージしたチュイル。バーナーで若干焦がして苦味を加えた。焼きりんごのような食感で、ほんのり甘いナスが新鮮な余韻を残す。
◎りんごのデザート
手前の黄色いりんごは、ゆずとサフランでマリネし、酸味が効いたりんごはアップルパイに。隣りに紅玉で作ったタルトタタン、薄切りのりんごはグランマニエでマリネして、その脇にスペキュロスのムース、アップルティーのクリーム、キャラメルとシナモンのアイス、ジャンドゥーヤのムースに、りんごのチップで燻製にしたナッツを散らす。りんごと相性がいい素材をすべてひと皿に詰め込んだ。さまざまにりんごの味わいが変化していく過程を楽しめる。苦味があったり甘味があったり、人生をたどるようなデザートだ。
(取材・文/Miki D’Angelo Yamashita)
【PROFILE】
平瀬祥子(ひらせ・しょうこ) ◎1979年熊本県生まれ。お菓子作りが趣味で、自宅でパン教室を開いていた母親に影響を受け、その道を目指す。高校卒業後、ホテルニューオータニ熊本に入社。’03年、フランスに渡り、パリ最古のパティスリーで研修を始め、その後はエッフェル塔内のレストランなど多くの名店でパティシエに。’11年に帰国後、都内でも経験を積み、’16年にシェフの今橋英明氏と『レストラン・ローブ』を開業。’18年から、5年連続でミシュラン一つ星を獲得。’20年度『ゴ・エ・ミヨ ベストパティシエ賞』受賞。’22年4月、石川・金沢に『パティスリー ローブ 花鏡庵』を開店。
住所:東京都港区東麻布1-17-9 アネックス東麻布2F
電話:03-6441-2682
定休日:日曜・月曜
URL:https://www.restaurant-laube.com
備考:「Dinner HARMONIE」14300円(税込み、以下同)、「Dinner L’aube」25000円、「Lunch L’aube」9900円