筆者が田中まさおさんと初めて会ったのは2019年5月。田中さんが起こした裁判の、3回目の口頭弁論が行われた日でした。
無名の小学校の先生が裁判を起こした
筆者が田中まさおさんと初めて会ったのは2019年5月。田中さんが起こした裁判の、3回目の口頭弁論が行われた日でした。
「法律上、公立学校の教員には原則として時間外勤務(超勤)を命じることはできません。現状を放置している教育委員会と学校長には大きな責任があると思います!」(田中まさおさん、以下同)
さいたま地方裁判所の法廷には、田中さんの大きな声が響き渡っていました。初めての裁判とは思えない、堂々とした意見陳述。「先生が“無賃残業”させられている状態を絶対変えてみせるぞ」そんな気迫が伝わってきました。
弁論が終わり、法廷を出た田中さんは筆者にこう言いました。
「自分たちの労働が正当に評価されないのは、とてもつらいことですよ」
“田中まさおさん裁判”とは
学校の先生には「給特法」という特別な法律があります。この法律のポイントは以下です。
1. 教員には働いた時間の長さに応じた残業代を支払わない。
2. 給料の4%分の「手当」を出し、次の仕事に対する超過勤務は可能にする。1)校外実習、2)修学旅行、3)職員会議、4)非常災害、である。
3. ③「超勤4項目(1~4)」をのぞいて教員に残業を命じてはならない。
学校の先生には残業代を支払わない。その代わり、特別な場合をのぞいて先生に残業を命じてはならない。給特法にはこう書いてあります。
この法律があるから、全国の学校の先生には残業代が支払われていません。しかしなぜか、残業(時間外労働)そのものはたくさんしています。例えば、田中さんは提訴当時、1か月に平均60時間もの残業をしていました。
田中さんはこの点がおかしいと裁判に訴えました。残業代を支払ってください。あるいは、法律に違反して残業させたことに対して損害賠償してください。そう主張しています。
田中さんが裁判を起こしたきっかけ
田中さんが裁判を決意したのは、’16年のことでした。実際に提訴する2年前です。当時、人事異動で埼玉県内の新しい小学校に赴任した田中さん。同僚たちが夜8時、9時まで職員室に残って仕事をしていることに仰天します。しかも翌朝は6時台から出勤。同僚たちの多くは校長が言うことすべてにハイ、ハイと従うばかりで、余計な仕事が増えていく。子どもたちに対しては「無言指導」で静かにさせてばかり。これでは教員たちがどんどん疲弊し、そのしわ寄せが子どもたちに行ってしまう……。
「今どうにかしなければ、これからの先生や子どもたちがかわいそうです。悪いことを次の世代に引き継いではいけない。一介の教員でしかない私でも、裁判を起こせば社会を変えられる可能性がある。そう思いました」
仕事の合間に法律事務所に通い、さいたま地裁に提訴しました。現役教員の裁判は大きな注目を集めました。
(田中まさおさんが起こした裁判へのさいたま地裁の判決やその後については昨年公開の記事で詳しく描写しています→「先生にも残業代を払って!」定年間際に裁判を起こした小学校の先生の思いと“何よりも求めるもの”)
フォロワー数は1万人以上、一躍 “時の人”に
裁判は今のところ連敗です。
さいたま地裁、東京高裁は、「先生の仕事には自主的・自発的な勤務が多く、一般の労働者と同じような時間管理はなじまない」という考え方を採用しています。その結果、行政が残業代を支払う必要はない、(少なくとも田中さんに対しては)時間外労働に対する損害賠償も必要ない、という判断です。
田中さんは現在、最高裁に上告しています。もし勝ったら先生たちの働き方が大きく変わる裁判ですから、そう簡単ではないようです。
でも、田中さんは全然しょげていません。裁判を応援する人が莫大に増え、その存在が劣勢な裁判を闘う田中さんを勇気づけているからです。
学校の先生の長時間労働は深刻です。小学校の先生の3割超、中学校の先生の約6割が過労死ラインを超えて働いているという調査結果もあります。そうした状況を改善するためのものとして期待され、学者や弁護士、そして何より現役の先生たちや教職を目指す学生たちが、田中さんの裁判を支援しています。
田中さんは提訴のころから自身のホームページを作り、Twitterも始めました。そのフォロワー数はどんどん増え、今では1万5000人を超えています。東京高裁で敗訴した昨年9月、田中さんのTwitterアカウントにはたくさんの励ましの声が寄せられました。
〈応援しています。戦ってくれてありがとうございます〉
〈声を上げていただき、本当に嬉しいです〉
“裁判の話”から“教育の話”へ
いまや「時の人」ともいえる田中さん。でも、裁判はあくまで「余技」でしかありません。本当の活躍の場は埼玉県内の公立小学校の教室の中です。60歳を過ぎた今も、再任用教員として「担任」を続けています。
「昔、担任した子にこんな子がいてね」
「あの子は卒業してからも中学、高校で活躍したって聞いてますよ」
裁判について筆者が取材していると、話題はいつのまにか「脱線」していきます。暴力をなくすにはどうしたらいいか。ひとりぼっちの子にどうやって友達を増やすか。子どもの学力とは何か──。
’81年に小学校の先生になって以来、教員生活はおよそ40年。教えた子どもの数は1000人を超えるそうです。大人になってからも付き合っている教え子はたくさんいて、SOSがあればいつでも駆けつける。「教え子はいつまでたっても教え子」というのが田中さんの考えです。
筆者はだんだん、裁判のことだけでは聞き足りない気がしてきました。勤務してきた小学校での出来事や、担任した子どもたちのことを聞きたい。田中まさおさんの言葉の中には、これからの教育を考えるヒントが詰まっているのではないか。そう期待してこの連載を始めます。ぜひお付き合いください。
(取材・文/牧内昇平)
◎著者・牧内昇平Twitter→https://twitter.com/makiuchi_shohei