店舗を持たない移動式古本屋「TUNELESSMELODY BOOKSTORE(チューンレスメロディ ブックストア)」の堀田勇人氏とともに、90年代ファッションを振り返る企画。第2弾では、90年代の原宿から生まれ、またたく間にファッションのメインストリームに成長していった「裏原宿」というカルチャーに焦点を当てて、当時を振り返ります。
【第1弾:「エアマックス95」など90年代ファッションが今の若者にウケる理由とは? 懐かしの雑誌から読み解く】
「アンダーカバーの新作70万円分プレゼント」という太っ腹企画
──90年代ファッションを振り返るにあたって欠かせないのが裏原宿というムーブメントですね。藤原ヒロシ氏を筆頭に「アンダーカバー」のジョニオ(※1)こと高橋盾氏、「ア ベイシング エイプ(R)」のNIGO(R)氏はファッション誌で連載をいろいろと抱えていました。
(※1)セックス・ピストルズのジョニー・ロットンに風貌が似ていることからつけられたニックネーム。時代によって「ジョニオ」「JONIO」「ジョニ夫」など表記にブレがある。
「こちらは、ジョニオ氏とNIGO(R)氏が『smart』(宝島社刊)に連載していた『4lom(フォーロム)』というコーナーですが、かなり貴重なアイテムを紹介しています。
原宿のショップ『NOWHERE』の3周年記念に出た缶入りの記念アイテムですが、中身はTシャツにピンバッジ、ステッカーなどなど、今、完品でそろっていたらウン十万円はするでしょうね」
──缶とTシャツで思い出しましたが、「ア ベイシング エイプ(R)」がスプレー缶に入ったTシャツを出してました。「コンセプトショップ」という、ユナイテッドアローズ原宿本店の近くにあった雑居ビルのショップで売ってましたよね。「Technique」というショップもあった気が……。
「90年代後半の話ですね。『Technique』はシュプリームとか扱ってたショップで、確か両方とも材木屋のビルにありました」
──「コンセプトショップ」も「Technique」も名前が一般的すぎて、今ネットで検索してもぜんぜん出てこないんですよ。
「そうなんですよ、インターネットってなんでも調べられると思いきや、出てこない情報がたくさんあって。だからこそ、資料としての雑誌の意義が出てくるんですよね。
この号の『smart』はプレゼントもすごくて、アンダーカバーの新作70万円分が合計30名に当たるという太っ腹企画が」
──うわー、懐かしい。十字架のクロスニット、スカルのモチーフ、デジカモ柄(細かいドットによる迷彩柄)とか、まさしく90年代。それにしても70万円という予算は雑誌不況の今では考えられない額ですね。
「そうですね。このレザーのウエストバッグはスウェーデン軍のアイテムがベースになっていて、一部にスカルの生地が使われている凝った仕上がりです。そういったディテールのこだわりもアンダーカバーならではです」
当時はおしゃれ男子も読んでいた『CUTiE』
──本日は女性誌の『CUTiE』もありますね。当時は男子からの人気も高かったようで。
「『CUTiE』といえばストリートスナップの“キッズコレクション”が見どころです。女子だけじゃなく、おしゃれなメンズも載ってます。これは93年8月号です」
──ストリートスナップって全身を写すから同じ構図になりがちだけど、これはアングルに変化がありますね。コメント欄も色づけしてあったり、レイアウトがきれいです。
「90年代の雑誌には、後の有名人が載ってたりするんですよ。ストスナ目的で『CUTiE』を買っていく若者もいますね。SNSがない時代は自分を表現する場として雑誌のスナップがあったんです。そして、この頃はそれぞれの街によってファッションが違った時代です。東京と大阪ではテイストに差がありますよね」
「当時流行(はや)ったのは、古着のスニーカーをビッグサイズで履く“デカ履き”です。ビッグサイズはニーズが少ないから安いんですよ。思いっきり絞って履くとかっこいいという美学があって(笑)。僕なんか今でもめちゃめちゃでかいサイズ、31センチくらいのスニーカーを履いてます。それにしても『CUTiE』のキッズコレクションは90年代前半から見ていくと本当に面白いですね。そして、『CUTiE』にも“HFA(HIROSHI FUJIWARA ADJUSTMENT)”という藤原ヒロシ氏の連載があります」
パンクの女王、ヴィヴィアン・ウエストウッドの手によるアナーキーシャツ
──目線入りの写真がインパクト強すぎますが、この左ページで藤原氏が着ているシャツは「AFFA(※2)」ですか?
(※2)藤原ヒロシ氏と高橋盾氏が手がけるブランド。AFFAとは「Anarchy Forever Forever Anarchy」の略。オリジナルのMA-1や、マルクスやスターリンをプリントしたネルシャツ(通称:思想家ネル)などには、とんでもないプレ値(プレミアム価格)がついている。
「これは『セディショナリーズ(※3)』のオリジナルのアナーキーシャツですね。AFFAはたぶん作ってないかと。それこそセックス・ピストルズがいた時代(70年代後半)に作られた、今では美術館に飾られるレベルの逸品です」
(※3)ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンがロンドンのキングズロードにオープンさせたショップ名にしてブランド名。ショップ自体は「ワールズエンド」として現在も存続。
──なんと! 確かに記事には「今や数千ポンド」と書かれてますね。93年でその価格ですか。ちなみにセディショナリーズといえば、「ジェネラル・リサーチ」の小林節正氏(※4)もコレクターですよね。
(※4)90年代に人気を博したブランド「ジェネラル・リサーチ」のデザイナー。同ブランドの商品には赤いリボンが付属しており、それをアクセントとしてバッグなどに結びつけるのが一部で流行した。小林氏は現在「…..RESEARCH」というプロジェクトを展開している。
「そうですね。小林さんも相当なコレクターとして有名ですね。あの人もめちゃめちゃ貴重なアイテムを所持しているでしょう」
ネット前夜の時代、個人売買の情報誌で一財産を築いた者も?
──裏原で最も人気が高騰したアイテムはどれになりますか?
「パッと思いつくのがAFFAのMA-1とか、グッドイナフのファーストスタジャンとかですかね。身内用に作って余ったものだけを店頭に出すような売り方だったから、一般人の手にはほとんど渡ってないアイテムです。僕も最初は頑張ってレアアイテムを手に入れるため都内のショップに並んでましたが、地方のショップから通販で買えることを知ってからは、すっかり並ばなくなりました」
──NOWHERE前橋店がオープンすると、原宿店で目当てのアイテムを買えなかった人がそのまま前橋に遠征するという話も聞きました……。
「前橋店も通販してくれるので僕も当時は頻繁に利用しましたね。メルカリもヤフオクもない時代は個人売買の情報誌で、裏原アイテムのやり取りをするマニアが多くいました。有名なのは『クアント(※5)』という雑誌ですね。今では考えられない個人情報がバリバリ載っているという(笑)」
(※5)ネコ・パブリッシング刊の個人売買情報誌。2000年代に入ると、おもちゃやフィギュアの情報誌にリニューアル。2012年7月号をもって休刊。
──『クアント』、ありましたね! 無料で掲載できるスペースは文字数が限られているので、ブランドの頭文字だけが並ぶ暗号のような文章だらけでした。「G、U、APE、NH売ります」みたいな。
「グッドイナフ、アンダーカバー、エイプ、ネイバーフッドの略ですよね(笑)。僕はあの雑誌の売買でもうけて、地方のショップオーナーになった人を知ってますよ。常連でよく掲載されていた人なので名前を覚えてたんですけど、何年か後に某ブランドの限定アイテムを買うために、とある地方のショップに足を運んだんです。そこでオーナーからもらった名刺の名前がまさにその人で(笑)」
──クアント長者ですか。差し支えなければそのショップ名を……。
「F県のCという名前です(笑)」
世代も海も越えて愛される裏原カルチャー
──それにしても、こういった20年以上前のファッションに興味を持つ若者が一定数いるというのは驚きですね。
「渋谷と表参道の間にある『blue room』という古着屋は、今回お話しした’90年代の裏原ブランドを取り扱っていますが、経営しているのは20代の若者なんですよ。僕が2018年に古本のイベントをやってたときにお客さんとして来てくれて。当時は文化服装学院の学生でしたけど、ものすごいマニアックな質問をしてきて驚きました。
海外にも詳しい人はたくさんいます。アンダーカバーはパリコレにも参加経験がありますし、NIGO(R)さんも先日『KENZO』のアーティスティックディレクターに就任されて、海外での知名度は高いですから。彼らのルーツとして90年代のファッション誌が注目されている、なんて話も聞きます。以前、インスタにステューシーの古いカタログを載せてたら、アメリカ人から売ってほしいというDMが来たことがあります」
──それは売ったんですか?
「まあ、少しだけ手数料を乗せた価格で販売しました。向こうも喜んでくれたのでWin-Winかなと(笑)」
──では、堀田さんの今後の展望を教えてください。
「最終的には僕の好きなものだけで構成された雑誌を作りたいんですよね。あとは、地方に行くと私設図書館みたいなスペースがあるので、そういったこともできればなと。雑誌を売らなくても、同じ趣味を持つ人を呼んで楽しく話ができればいいんです」
──トークイベントなんかもできそうですね。
「20年以上前に買った雑誌がこうやって、新たな生を受けて世代を越えて愛されていることにびっくりです。トークイベント、ぜひやりましょう!」
(取材・文/松山タカシ)