漫画はもはや世界に誇る「ジャパニーズ・カルチャー」のひとつである。今や多くの人が、スマホアプリなどで漫画を読みながら生活するのが普通になった。ただ、日本において、現在のようにコマ割りや吹き出しがある長編漫画のスタイルが完成したのは昭和初期から。意外と歴史が浅い。「ここ数十年で進化しすぎ」な媒体、それが漫画なのだ。
漫画がここまでハイスピードでメディアとして成長したのは「数十年もの間ずーっと、日刊、週刊、月刊で連載されてきたから」だと思う。「その時期の日本人の価値観」をいち早くキャッチして、ストーリーに反映できるわけだ。同じメディアでも、制作期間の長い映画や小説ではこうはいかない。つまり「マンガ史を振り返ること」は「日本の昭和~令和の生活史を紐(ひも)解くこと」に近い。
そこで、この企画では日本における漫画の歴史を遡(さかのぼ)りながら、同時に当時の日本人の生活も見ていきたい。今回は「そもそも漫画っていつできたんだっけ」という話から、「江戸時代の漫画はどんな立ち位置だったのか」までを紹介してみよう。
大正以前の作品は、なんか笑える「おもしろ絵」
まず、「漫画はいつ始まったのか」という話をしたいのだが、その前に「何を漫画とするのか」という話をしなくてはいけない。そして、ぶっちゃけると、いまだに定義がめちゃめちゃ曖昧(あいまい)なのである。
現代人に「漫画の定義とは?」と聞くと「まず、絵とストーリーがあることでしょ。で、コマ割りと吹き出しがあって、なんかキャラクターがいて……」と回答するに違いない。しかし、実はこういった”漫画像”が一般的になるのは、大正時代以降なのだ。
それ以前のいわゆる「漫画」にくくられる作品は「おい、なんだコレ。力が抜けてて謎の躍動感があって、ちょっと笑えるんだけどコレ」っていう「おもしろ絵」を指すのだ。漫「画」とあるとおり、ストーリーとかキャラとかはいったん置いておいて、「絵」なのである。
じゃあ、そんな「なんかユーモアたっぷりで笑える絵」はいつ始まったのか。世界的に見ると数万年前、クロマニョン人が描いたラスコー洞窟(どうくつ)やアルタミラ洞窟の壁画が、すでにかなり漫画チックだ。
日本国内でいうと、「漫画」ではないものの、縄文時代の土偶なんて今見てもゆるキャラ感があって、すんげぇユーモラス。『ドラえもん』の隣にいても違和感がないくらいの可愛らしさがある。つまり、こんなに昔から、今の漫画に通ずる表現は出てきているのである。
「鳥獣人物戯画』から漫画史がスタート
と、まぁ「いつ漫画的な表現が始まったか」を探ると、けっこうあやふやなわけだ。ただ「日本の漫画史」としたとき、基本的に「漫画の元祖=鳥獣人物戯画」とされる。ここでも、その習わしに従おう。
『鳥獣人物戯画』は、みなさんご存じだろう。ウサギやらカエルやらが修学旅行なみのテンションではしゃぎまくっているアレだ。ちなみに当時は、如来(にょらい)や菩薩(ぼさつ)を描く「仏絵」や、風流を描く「やまと絵」が主流だった。そんななか、急に”ひょうきんすぎる絵”が現れたのである。いやもう完全に突然変異だ。「急にどうしたおい」とツッコみたくなる。
『鳥獣人物戯画』は「鳥羽僧正覚猷(かくゆう)さんが描いたんじゃないか」という説もあるが、真偽は定かでなく作者は不詳。描かれた時代と筆致が違うことから「たぶん、数年にわたって何人かの手で描かれたんじゃないか」なんていわれています。
覚猷さんが疑われているのは、彼は当時から珍しく、風刺のきいた「戯画」をよく描いていたからだ。なので、この人が「漫画の始祖」といわれることもある。ほかには『放屁合戦』や『賜物(男性器)比べ』なんかが覚猷さんの作品だ。「大僧正なのに、代表作がまさかの下ネタ」という、ちょっと面白すぎる人である。
ちなみに、当時の説話文学『宇治拾遺物語』に覚猷さんが登場するが「“えさい、かさい、とりふすま!”と謎の奇声を発しながら浴槽に飛び込むのが入浴時の癖(くせ)」という、べらぼうにヤバい人として描かれている。そして、甥(おい)っ子によって浴槽に碁盤を隠されており、飛び込んだ拍子に尾てい骨を強打して気絶してしまうという過激派のドリフみたいな話まで書かれているのだ。
主に彼が描いていた「戯画」は「嗚呼絵(おこえ)」とも呼ばれていた。これは、今の「漫画」と似たような意味の言葉。「嗚呼(おこ)」は「烏滸(おこ)」の当て字で、「烏滸」とは今でいう「馬鹿」を意味する。
実は平安時代、鎌倉時代には一部の人たちの間で、こうした「嗚呼絵(おこえ)」や「烏滸話」という「クスッと笑える作品」が流行(はや)っていた。
世間的に戯画がちょっとしたブームになっており、『鳥獣人物戯画』が複数の人間によって描かれた可能性があるということは、つまり平安時代には「コミケの同人誌サークルとファン」みたいなコミュニティーがあったんじゃないか、とも考えられる。
『一休骸骨』から盛り上がりを見せる“漫画感”
そんな『鳥獣人物戯画』から約400年、ホラ貝吹きまくりの戦国時代を終えて、江戸時代に突入。すると寺子屋が開かれ、庶民でも「読み書き」ができるようになる。江戸時代初期の寛永年間には出版業が出てきて、読み物が民衆文化として育っていき、読書好きの人間も増えていく。
小学校のときなんかに、配られた瞬間に国語の教科書を開いて中の小説を読み進めていた文系人なら、この「読むことに夢中!」って感覚がわかるかもしれない。
漫画の歴史でいうと、「ぽくぽく……ち~ん」でおなじみの一休宗純(いっきゅうそうじゅん)さんが、『一休骸骨(がいこつ)』という「仏教の教え」を説いた本を出版する。今考えると、タイトルが攻めすぎててマジでヤバい。
この作品は基本的に文章だけで構成されているのだが、一部だけは骸骨がダンスしていたり、籠(かご)を運んでいたりと、ものすごくユーモラスに描かれている。また、すでに「コマ割り」があって、吹き出しとまではいかないがコマ内にセリフもあり、かなり”漫画感”が増しているのである。
あ、そういえば一休さんも覚猷と同じく、数々の奇行で知られるお坊さんだ。なんだ、この奇妙な共通点は。ヤバめな僧は漫画を描きたくなるのだろうか。
このあと、江戸時代中期の「元禄年間」になると、庶民が「楽しんで読める書物」を求めるようになる。難しく書かれた『仮名草子』という本に比べて、どこか面白おかしく書かれた『浮世草子』が京都・大阪の上方から江戸まで流行りまくり、ベストセラーもガンガン出てきた。今だと“本格派の小説好きに対するラノベ好き”みたいな感覚に近いかもしれない。
で、1700年代からは『浮世草子』と同じように、「単純な線で、何かを誇張ぎみ、または風刺っぽく描いた絵」がブームになっていく。これは「鳥羽絵」と呼ばれ、今の「漫画」という単語に近い意味をもつ。この「鳥羽」は、もちろん平安時代の鳥羽僧正覚猷さんからきている。
そして、ついに「漫画」という言葉が生まれたのも、このころだ。一説によると、北尾政演(山東京伝)が絵本『四季交加(しきのゆきかい)』の中で初めて使ったとされている。ただ、当時はまだ「鳥羽絵」派が大多数で、市民権を得た言葉ではなかった。
そんななか、あの名絵師・葛飾北斎が『北斎漫画』を出版。彼は「(普段の浮世絵に比べて)気の向くまま、さらさら~っと描いた絵を“漫画”と呼ぶんだぜ」と、キッパリと宣言している。
『北斎漫画』はいわゆるコマによって時間経過をはっきり示したのが特徴。より今のマンガの表現に近づいてきた。『富嶽三十六景』をはじめとした、あの躍動感に満ちた浮世絵で知られている北斎だが、彼もまたユーモラスで冗談好きな人なのである。
ちなみに北斎漫画の前には、彼のライバルともいわれる北尾政美(鍬形萬斎)が「略画」と名づけて漫画っぽいものを描いている。なんだか「老舗そば屋の暖簾(のれん)」に描かれていそうな、可愛らしいテイストだ。
ぶっちゃけていうと、『北斎漫画』はこの表現をヒントにしたとされている。北尾さんも「だいたい、アレやぞ。北斎っちゅうやつはパクり癖があるぞ」とキレまくっている。というのも、『北斎漫画』はめっちゃ売れたので、さぞ悔しかったのだろう。庶民から武士まで、みんな『北斎漫画』を持っていたくらいで、この作品から「漫画」という言葉が浸透しはじめるのだ。
こんな感じで、江戸時代には「戯画」「鳥羽絵」「略画」「漫画」などと呼ばれて、だんだんと漫画っぽいユーモラスな絵が、コマ割り表現やセリフつきで出てきた。しかも、民衆がそれを楽しみ始めたのである。その背景には「寺子屋が開かれて庶民でも読み書きができるようになったこと」「仮名草子に対する浮世草子のように、肩の力を抜いて読める書物が求められたこと」があったわけです。
当時から漫画はサブカル的な位置づけだった?
こうして振り返ってみると、平安時代からメインストリームである「やまと絵」に対抗して「戯画」が生まれ、江戸時代には「浮世絵」に対抗して「鳥羽絵(漫画)」が発生した、という構図が、なんとなく見えてくる。
今でいうと「美術館で西洋美術を見る人」に対して「まんだらけで中古マンガを漁る人」みたいな構図に近い気もしてくる。そう考えると、やはり漫画は誕生したときから、「教養」というよりは、ある意味での「無駄」を愛するサブカルチャーのコミュニティーで楽しまれるメディアなのかもしれない。
しかし、そんな「無駄」を愛せる「余裕」ができるからこそ「ユーモア」が生み出されるとも思える。鳥羽僧正覚猷、一休さん、葛飾北斎と、まじめすぎず、肩の力を抜いて世間を見ていた”変人”だったからこそ、漫画というユーモラスな表現にいち早く気づけたのかもしれない。
とはいえ、まだ吹き出しも出てきてないし、キャラクター文化も誕生していない。日本の漫画の歴史はここからだ。次回はそんな表現がだんだんと確立されてくる明治、大正時代の漫画についてみていこう。鎖国が終わり、海外のカルチャーが入ってきた日本で、漫画はどのような変遷をたどっていくのだろうか。
(文/ジュウ・ショ)