1986年、39歳でのデビューから現在まで「ひとりの生き方」をテーマに、多くの著書を発表してきたノンフィクション作家の松原惇子さん。松原さんが愛してやまない猫たちとの思い出と、猫から学んだあれこれをつづる連載エッセイです。
第14回→グレちゃんのいない部屋は時が止まったよう──また猫を飼うべきか葛藤する中で「保護猫譲渡会」を訪れたが
第15回
早いもので、グレちゃんが亡くなってから2年がたつ。その間は「飼う、飼わない」と毎日のように、心が揺れ動いていたが、ついに決断したのでお知らせしたい。
「グレちゃんを最後の猫にします」
決断の理由は、75歳である自分の年齢を考えると、簡単に「じゃ、次の猫を迎えよう」という気になれないことだ。いつもは決断が早く、ポジティブ思考のわたしだが、このたびは迷いに迷った末の決断だ。
好きなことに集中するべきだと思うのだが、やる気も出ない
人生100年時代、75歳からでも子猫でなければ最後まで責任もって飼える、と背中を押してくれる方もいたが、これから年々衰えていくことを考えると、猫との暮らしを死ぬまで続けるのではなく、ちがう暮らしをしてみるチャンスかなと思えてきたからだ。
グレちゃんのいないひとり暮らしは、正直、つまらない。「ひとり暮らしは自由。自分の自由に時間を使える。誰からも妨げられることはない。自由ほど素晴らしいものはない」と著作の中で豪語してきたわたしだが、グレ亡きあとのひとり暮らしは、それほど自慢できるものではなかった。もう、空しくて、何をやっても色あせてみえて……グレちゃんがいるときは、どんなに外で楽しんでいても、帰りの電車の中では「グレちゃん、ごめん。すぐ帰るからね」とグレのことばかり。これが愛する子のいる幸せですね。
でも、もうそんな心配もない。だったら、もっと自分の好きなことに集中するべきだと思うのだが、やる気も出ないのだ。それだけではなく、時々、わあっと泣きたくなる。こんなに弱い自分だったのかと自分でも信じられない精神状態である。
新しい猫を迎えるほうがいいことはわかっていた。すぐに幸せになれるのもわかっていた。しかし、わたしはあえて2年間我慢した。ちょうどコロナ禍だったので、本当は、猫がいてくれたら楽しい自粛生活のはずだったが、そういうときに限って、亡くなってしまうのには意味があるような気がした。
これから、いつまで、このどんよりしたコロナ禍暮らしが続くのかわからないが、わたしのやる気も以前に戻ることはないように思われた。幸運なことに、ずっと書く仕事に追われ、時には講演会で人を笑わせ、仕事が終わったあとにひとりビールに幸せを感じ、毎日のように用事があり出かける……これまでの生活を否定する気はないが、亡くなったグレちゃんが、忙しいマミーに人生リセットの機会をくれたに違いない。
「あと14年しかない」と意識してから考え方が変わった
ある日、コロナ禍の中、近所の呼吸器内科クリニックを受診したとき、悪玉コレステロールがかなり高いと言われた。もちろん、昔からなので数値は知っていたが、70代なので薬を飲んだほうがいいのか聞いてみると、先生はこう言った。「松原さんは74歳? ということは女性の平均年齢が88歳として、あと14年の寿命ってことだね」。がんでもないのに、余命宣告されたのだから心臓が止まりそうになった。あと14年か、いつの間にかそんな死に近いところまで来ていたとは。
いつまでも若い気でいたが、目の前の30代のドクターからみたら、わたしはおばあちゃんなのだ。そして、ドクターは言った。「松原さん、あと14年を薬を飲んで生きるのか、それとも薬のことを忘れて生きるのか、それはあなた次第ですよ」
これほどまでに、自分の年齢を自覚させられたことはなかったが、あと14年しかないと意識してからのわたしの考え方は変わった。猫との生活は素晴らしいが、もっとやることがあるのではないか。猫との素晴らしい暮らしはこれで終わりにして、ちがう人生を始めようよ。残り時間は少ない。そのことに気づいたとたん、実に2年ぶりに心が弾んだ。
もし、人生が4楽章から成立しているとしたら、第1楽章、第2楽章、第3楽章が終わり、締めの第4楽章に入るところにちがいない。最後の章をどういう音で奏でるか。静かな幸せか。それとも最後の爆発か。だんだん、楽しくなってきた。これからのわたしは、グレちゃんを見習い、人に媚びず、欲をかかず、優雅で美しく、凛として暮らすわよ。
グレ日記を読んでくださった皆様、約4か月の間、ありがとうございました。心からお礼を申し上げます。グレちゃん、みなさんに見てもらえてよかったね。次回は総集編をお楽しみください。