1986年、39歳でのデビューから現在まで「ひとりの生き方」をテーマに、多くの著書を発表してきたノンフィクション作家の松原惇子さん。松原さんが愛してやまない猫たちとの思い出と、猫から学んだあれこれをつづる連載エッセイです。
第3回→懐かない&鳴かない子猫・グレちゃんとの不安すぎる新生活「言葉の通じない外国人と暮らしているみたい」
第4回
独特のすごみがある美しいグレは「歩く美術品」
わが家に来たときは、鼻をぐちゅぐちゅさせたり、隠れてばかりいたグレだったが、1年たつと、すっかり元気になり安心した。猫はどんな子でもかわいいが、グレは名前のせいか、遊びに来た人から「グレちゃん、ちょっとこわい。グレてるからグレって名前なのね」と言われ、がっかり。
確かに単純にかわいいタイプではなく、独特のすごみがあるのも確かだ。でも、美しい。人間もあまりきれいだと近寄りがたいように、グレも同じ。この子は歩く美術品。だから、触らせてくれなくてもマミーは大満足なのである。毎日、「モナリザ」を鑑賞できるルーブル美術館に住んでいるようなものよ。これを幸せと言わずに何と言う。
もちろん、メッちゃんのときのように、おなかでモミモミもしてほしい気持ちがあるが、わたしはグレには普通を求めない。
猫は不思議な生き物だと思う。一緒に暮らしている方はわかるように、何をしていてもかわいいし、美しい。伸びをしても、寝転んでいても、歩いていても、ソファで爪とぎをしていても、トイレしているときも……やはり、猫は、神様が複雑な人間社会で生きるわたしたちに与えてくれた癒やしのギフトのようだ。
猫は、ものも言わず、泣き言も言わず、悲しまず、いつも淡々としている。どんなときも満足して生きている。猫は、迷えるわたしたちに理想の生き方を教えてくれているような気がする。もう、いい加減にあれこれ考えるのはやめなさいよ。なるようにしかならないのだからさ。
グレ1歳、マミー60歳に。還暦を迎えて感じた“風”
グレとわたしは同じ4月生まれ。わあ、すごい偶然、運命を感じる、と思っていたが、猫の出産は春らしいので、そんなに意味づけることもないようだ。
グレ1歳、マミー60歳の誕生日を一緒にお祝いできたのはうれしかった。そのときの写真がこれだ。写真立て入れてずっとリビングに飾っている貴重な1枚だ。マミーも若いがグレも幼稚園児ぐらいかな。
気がつくと、わたしは還暦という信じがたい年齢になっていた。もともと軽い人間なので若く見られがちだが、本当は、孫がいてもおかしくない年齢だ。シングルでいると、子どもの入学式、卒業式などの人生の大きな節目になる行事がないので、自分の年齢を認識する機会がないといえる。子どもや家族を持たないわたしのような人は、苦悩も少なく気楽な人生ではあるが、人間としての成長の機会は失われている気がする。
39歳で幸運にも物書きとして自立できたわたしだが、60歳を迎えたころから、心の中にすきま風が吹き抜けるような気がしてきた。還暦という通過点は大きい。年齢を嘆いているのではない。このままでいいのかという、今まで感じたこともないヒヤッとする風だ。今はまだ現役だからひとり暮らしの危機感はないが……もっと老いたらどうなるのか……?
そのころ『ひとりの老後はこわくない』という単行本を上梓したばかりだったが、自分で決めたタイトルが、うそっぽく感じられた。「あなた、ひとりで老いるのが本当にこわくないの?」とわたしに問う。
家もある、仕事もある、友達もいる、猫もいる、好きなことをしながらの充実した毎日を送っている。それはうそではない。しかし、この生活をずっと続けていていいのか。何かが足りない。何かが間違っているような気もする。初めて、そんな後ろ向きな自分を発見して驚く。
そんなマミーの気持ちなどおかまいなく、グレはぐにゃぐにゃポーズでソファの間に挟まって寝ている。グレはどんな環境でも幸せそうだ。「グレはすごいね」と感動して抱きしめようとしたら、ものすごい勢いで逃げた。
*第5回に続きます。