1986年、39歳でのデビューから現在まで「ひとりの生き方」をテーマに、多くの著書を発表してきたノンフィクション作家の松原惇子さん。松原さんが愛してやまない猫たちとの思い出と、猫から学んだあれこれをつづる連載エッセイです。
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第1回
30代後半、老後のためにマンションを購入
猫のことを語るとき、初代の猫・メトラこと「メッちゃん」を抜きにはできない。ちなみに、名前の付け方は簡単。メスのトラ猫なのでメトラと名付けた。
今でこそ女性がシングルでいるのは当たり前だが、わたしの時代(1980年ころ)には、ほとんどの女性が30歳の声を聞く前に結婚に駆け込んだ。そんな光景を横目で見ながら、“好きでもない男の布団によく入れるわね”と、わたしは冷ややかだった。
しかし、秀でるものもなく、やりたいことも見つからず、しかも妥協ができないわたしは、まさに浮いている存在で同級生の間では同情の対象だった。それなのに見た目は派手だったので、そのギャップが自分を苦しめた。わたしって何やっているの?
そんなわたしが物書きで自立することになるとは、誰が想像しただろうか。いや、一番驚いているのは、当のわたしだ。思うに、人生というのは、どん底の底の底まで落ちると、上がるようになっているのかもしれない。わたしのどん底時代の話はここではしないが、関心のある方はデビュー作『女が家を買うとき』(文春文庫)を読んでね。
ふらふらしていた30代後半のころ、7歳年上の苦労人の女性から忠告される。「結婚、仕事は何歳になってからでもできるが、住まいだけは今、確保しないと老後困る。ひとり暮らしの老人には家は貸してもらえないわよ」と。「ひとり暮らしの老人」の一言が胸に突き刺さる。
親を使うのは嫌だったが、頭をさげ頭金を出してもらい、中古の小さなマンションを買った。本当はうれしいはずのマンションの鍵を手にしたとき、これでわたしの人生は終わったと枕を濡らして泣いた。敗北の涙だ。これからは、ひとりでローンをしこしこ払いながら地味に生きていくのだ。こんなはずじゃなかった……。
メッちゃんとの出会いですべてが好転しだした
しかし、意外なことに、ローンを背負ったことで、初めて地に足が付いた生活が始まった。そんなある日、なにげなくテレビのムツゴロウさんの番組で子猫を見ているとき、何年かぶりに笑っている自分に気づく。そうだ、猫と暮らそう!
猫博士である先輩女性に相談すると、「猫を飼うのは40歳になってからにしなさい」と釘を刺される。理由は、猫と暮らすと他に目がいかなくなる。まだ、結婚の可能性もある年齢なので、今は相手を探しなさいと。確かに。
40歳まで待たなくてもひとりなのはわかっていたが、40歳まで待ち、晴れてお墨付きをもらう。猫博士いわく「猫は嫁と同じで実家が大事。親にきちんとしつけられた猫はとても飼いやすいので、最初の猫は、家猫をもらいなさい」
彼女のアドバイスは正解だった。3世代の猫が同居する友人の家から譲り受けたメッちゃんは、人懐っこく、おいたも粗相もしない全く面倒のかからない子。いつもご機嫌でしっぽをたてて歩き、雷が落ちたような大きな音で喉をゴロゴロ鳴らす。
メッちゃんは招き猫だったようで、彼女が来てからすべてが好転しだした。泣く日はまったくなくなり、メッちゃんがいるだけで、毎日が晴れの日となった。
「猫飼っているんだって? ダメだよ、猫なんか飼っちゃ」と男性から注意されたとき、わたしは心の中で言った。
「まあ、お気の毒ね。あなたは猫をただのペットとしか見れないのね。猫はペットではなく神様からのギフトなのよ。わたしは猫と幸せに暮らすから、あなたは、あの面倒くさそうな女と一緒に暮らせばいいじゃない」
*メッちゃんとの蜜月は永遠に続くかと思われたが……第2回に続きます。