2023年3月21日、吉本新喜劇は大阪・なんばグランド花月にて特別公演『吉本新喜劇記念2023』を開催。その中で、水玉れっぷう隊・アキさんと吉田裕さんが新座長に就任することが発表された。これで座長はすっちーさん、酒井藍さん、アキさん、吉田さんの4人体制となる。
fumufumu newsでは2022年秋にアキさんを取材。昨年初めて開催された『吉本新喜劇座員総選挙』で見事1位に輝いたアキさんに、35年の芸人生活における悲喜こもごもを伺った。このたび、新座長就任を記念して、熱意あふれるアキさんのインタビューを再掲する。
(初出:2022年10月7日公開/タイトル:「いぃよぉ~」旋風が日本を席巻中!!『吉本新喜劇座員総選挙』で堂々の第1位! 水玉れっぷう隊アキの男気&色気あふれる素顔とは)
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「正直言って、これでやっとスタート地点に立たせてもらった。うれしかったし、腐らずコツコツやってきたなあと感慨深かったですね」
黄色いスーツに、太い眉と描いたヒゲ。見た目からクスッと笑ってしまいたくなるが、アキさんの目は、まっすぐで澄んでいた。
吉本新喜劇が63年の歴史の中で初めておこなった『吉本新喜劇座員総選挙』は、今年GM(ゼネラルマネージャー)(※)になった間寛平さんの発案で実施された、座員の人気投票。約2か月の応募期間で総数77万票が集まり、1位になったのが4万票弱を獲得した水玉れっぷう隊・アキさんだった。
※:今年新設されたポスト。吉本興業の代表取締役社長CEO・岡本昭彦氏が、当時引退を考えていた間寛平さんに、若手を育成してほしいと作った役職である。
現在53歳。芸歴35年。新喜劇への入団は2014年だが、さまざまなキャリアを積み重ねてきたため、芸人仲間や先輩からは「引き出しが多い」と評価が高い。また、「今まで新喜劇にいなかった芸人さん」「ボケ方が新鮮。誰をもディスらず、たったひと言で舞台をすべてさらっていき、客席はなごみまくる」と熱狂的な女性ファンも多い。
人気、実力、内部での評価が高いアキさん、ここまで来るにはどれだけ苦労があったのか。
芸歴35年で総選挙1位のいま、新たなスタートに立つ
「今回の総選挙、賛否両論あったと思います。だけどGMになった寛平師匠としては、もっと新喜劇を盛り上げたいという気持ちだったんでしょう。最終的には『吉本新喜劇まつり』、つまり“これも祭りやということでええやん”と。
実際、開催してみると本気で投票してくれる世間がいた。おそらくみんな、もっと笑かしてほしい、子どもにも伝えていきたいと思ってくれはったんでしょう。この総選挙をやってみたことで、僕らはさらに“がんばっていかなあかん”と思いを新たにしました」
歴史が長くなれば、当然、飽きられることもある。新陳代謝を繰り返し、常に新たなものを取り入れていかなければならないのは、どんな組織でも同じだろう。
「コロナ禍以前から、“何か変えていかな”とみんなが思っていたのかもしれません。そういう時期だったんでしょうね。僕、舞台には真実があると思っているんです。舞台はごまかしがきかない。その中でずっとやらせてもらってて“忖度(そんたく)があったらあかん、お客さんからの信用を損ねたらあかん”そう思ってきました。今は寛平師匠のもと、まったく不満なく、前を向いて走り出しているところです」
アキさんの芸人人生はスタントマンから始まった。
子どものころから野球、柔道、空手、ボクシング、格闘技などスポーツ万能だったアキさんが、ふっと役者になりたいと考えて、京都の太秦(東映京都撮影所)を覗(のぞ)きに行ったのは高校卒業間近のとき。道場で空手の型を見せたら、スタントマンで俳優の宍戸大全さんに認められ、1週間後にはテレビに出ていたという。
ドラマ『水戸黄門』で由美かおるさんの吹き替えを担当、そのほかにも女性の後ろ姿の吹き替えを多々こなしていた。当時は時代劇の全盛期。毎日、撮影所に赴いては、芝居はもちろん、殺陣、アクション、乗馬などあらゆる勉強をさせてもらったと話す。
2年間、そういう生活を続けたあと、高校時代の友人で自衛隊から戻ってきたケン(松谷賢示)さんと「水玉れっぷう隊」というコンビを組んでお笑いを目指すようになった。ショーパブで研鑽(けんさん)を積み、吉本のチャンピオンリーグで優勝。
「吉本に入って10か月足らずで『NHK上方漫才コンテスト』で最優秀賞を受賞したんです。NGK(なんばグランド花月)のレギュラーにもなれた。“あれ、簡単やん”と思いました(笑)。その間もショーパブの仕事をしたり、殺陣の先生の紹介で歌舞伎座の近藤真彦さんの舞台に出させてもらったり。3種類くらいの仕事を抱えて忙しかったけど、“このままの勢いでいてまえー”という感じでした」
行き場をなくしアルバイト生活に。途方にくれながら新喜劇へ
ところが7~8年後、いきなり「コケて」しまう。テレビのレギュラー番組が軒並み終了、吉本の2丁目劇場も一気に若手に総入れ替えという状態になり、行き場がなくなってしまったのだ。
「“仕事がなくて、どうしたらええのん”とよく仲間と話していました。相方は落ち込んで、辞めるとか解散するとか言ってましたが、僕は何の根拠もなく“いや、なんとかなるからがんばろう”って励ましていました」
2001年にルミネtheよしもとが東京・新宿にできた。ここでは吉本所属の芸人さんたちが漫才やコント、新喜劇などを上演していた。その後、アキさんも、支配人に誘われて上京した。
「その前後の2~3年はつらかったですね。東京に来てからもアルバイトしてました。7~8年間、調子に乗っていたツケが来た、という感じでした。天狗(てんぐ)になってたつもりはないけど……うーん、やっぱりちょっとはなってたのかなあ」
10年間、東京での新喜劇に心血を注いだ。水玉れっぷう隊での座長公演も経験した。ところがルミネでの新喜劇がなくなることになり、また途方に暮れた。
「それでついに僕は大阪の新喜劇に入るんです。相方は東京に残ってもうちょっとがんばりたい、と。解散はせんでいいということになったので、今もコンビは継続しています」
大阪に戻り、新喜劇での活躍を誓ったが、なかなか思うようにはいかなかった。きっちり座組ができているので、入り込むことができるまで半年ほどかかったという。
「辻本(茂雄)さんの班に入れてもらって、ようやく出演することができるようになりました。辻本さんには“アキはいろいろできるから助けてな”と言ってもらって、うれしかったですね。それから8年、悔しい思いもたくさんしたけど、その分たくさん勉強もさせてもらった。これからは新たなスタートですから、もっといろいろなほかのメンバーといい化学反応を起こしたいと思っています」
座組がきちんとできあがっているだけに、新喜劇では珍しい顔合わせが起こりにくかった。だがこれからは、もっと自由に「おもしろいこと」を追求していけそうだとアキさんは目を輝かせる。
「おもろい」を通して今日も“愛ある笑い”を届け続ける
アキさんはキレッキレのダンスも踊れば歌も歌う。一発ギャグで「かます」タイプではないが、それだけに誰と組んでも、相手を生かし自分も生きることができる。
新喜劇でも、台本のアキさんの部分にはほとんどセリフが書かれていない。その場で対応できる才能と瞬発力があるからだ。あらかじめ決められたセリフを言うより、現場で出てくる自分の言葉を信じていると彼は言う。
「動物的本能と経験値が物を言うと思っています。僕の枠が何分か聞いておいて、あとはその場で自由に作っていくのが好きなんです」
彼の代名詞にもなっている「いぃよぉ~」という言葉は、公演3日目のアドリブ合戦になったとき、いきなり生まれた。
「若手のギャグが滑ってしまって、僕ら周りがどんどんツッコんでいって、とうとう彼が“すいません”と言ったんです。思わず『いぃよぉ~』と言葉が出てきた。そうしたらお客さんが笑ってくれた。チームだから、誰かが滑っていたら誰かが救わなあかんのです。滑った若手に近づいていって『つらいね~』と言ったこともありました。全部を笑いに変えていかなければ、公演として失敗しますからね」
ここで“受け入れ芸”ともいえる新たなジャンルを、アキさんは作り上げたのだ。客席は笑いながらも、その温かさにほっこりする。時代はそういう笑いを求めているのかもしれない。もちろん、同じことをほかの人が言ってもウケるわけではない。
そこにアキさんの動物的本能と経験値が生きてくる。武道を身体にたたき込んだ彼だからこそ、仲間や客のバイオリズムに合った「間」をもって言葉を発することができるのではないだろうか。
「あの『いぃよぉ~』には後日談がありましてね。あるPTAの会長さんが手紙をくれたんです。その方、子どもが3人いて親の面倒もみないといけなくて、PTAの仕事もあって、本当に毎日が大変だった、と。忙しすぎて、子どもが“お母さん、聞いて”と言ったときに、つい“うるさい、今はダメ”と怒って子どもを泣かしてしまった。はっと気づいて“ごめんなー”と子どもを抱きしめて謝ると、子どもが『いぃよぉ~』と。その人はなんだかわからなかったけど、子どもに“今、流行(はや)ってんねん”と聞いて自分も見てみた。
“こういうのはもっと流行らせてほしい”と、学校からもよく連絡をもらうんですよ。“子どもたちの間でいじめやケンカが減った”と。片方が謝ると、もう片方が『いぃよぉ~』と許すようになったって。これは、ほんまにうれしいことです」
それをきっかけに講演会の仕事も舞い込むようになった。アキさんは「1時間、人前でひとりでしゃべるなんてとんでもない」と思ったが、講演とはどういうものか勉強を重ねた。そして、自分の経験から大人にも子どもにもわかるように話をするようになった。非常にまじめな人なのだ。
「僕は、才能を生かすためには常に感動するスイッチを持つことが大事だと思っているんです。たとえば嫌いな子がいたとする。嫌いだからといって何もしなかったら、仲がよくないまま。でもこの子のいいところを見つけて感動しようと思ったら、必ず見つかるはずなんです。
それが身についたらコミュニケーションも取れるようになる。大人になったら、きっと苦手な上司もいるかもしれないけど、いいところを見つけて感動する習慣がついていれば、うまくやっていくことができますよね。“感動の数イコール才能”なんだと思います」
ここにも彼ならではの経験と感覚が生きている。
これからも講演は続けていきたいと彼は言う。今後は台本のない新喜劇、スペシャリストとともに即興で繰り広げるミュージカル、さらにはノンバーバルの(セリフのない)舞台にも取り組みたいと熱く語った。この人ならやりとげてしまうだろうと思える熱量が、静かに伝わってくる。
ちょっとした表情、ちょっとしたしぐさに「大人の男の色気」がただようアキさん。そう言うと本気で照れた。
「自分のことはわかりませんけど……。ただ、若いころ、女性の吹き替えをやっていたときは、ずっとその人を1日中、観察していたんですよ。クセとかしぐさ、歩き方、走り方、じっと見ていた。そういう観察が僕の経験値として残ってはいますね。それと武道をやっているときに感じたんですが、本物の武道家はみんなやさしい感じなんです、ふだんは。そのかわり、試合が始まったらエグい(笑)。その落差が色気につながるなあと思ったこともあります」
笑いと希望、そして何より仲間を信じて「おもしろいこと」を追求していく姿勢が熱い。八面六臂の漢(はちめんろっぴのおとこ)に、今後ますます注目が集まるだろう。
(取材・文/亀山早苗、編集/本間美帆)
【PROFILE】水玉れっぷう隊アキ 1969年生まれ、大阪府岸和田市出身。東映太秦映画村宍戸大全アクションチームを経て、1992年水玉れっぷう隊を結成。結成年に『第1回 NHKびわこ杯新人漫才コンクール』で最優秀賞を受賞し、翌年には『第23回 NHK上方漫才コンテスト』でも最優秀賞を獲得する。その後、2014年に吉本新喜劇に入団。2015年には自ら主演・脚本・演出を務める『第1回Joy! Joy! エンタメ新喜劇』を開催し、以後年に1度開催している同公演は、毎回発売と同時に即完売になるほどの人気を博している。特技は空手、野球、ダンス、格闘技。