2013年に辻岡慶さん・里奈さん夫妻が始めた『atelierBluebottle』は、新商品が出ると瞬く間に品切れとなる、いま注目の登山系ブランドだ。
「自分たちのブランドを立ち上げるのに、数ある量産品の1つとして扱われたくなかった。」
だから、自分たちで全てを作ることにしました。
自分の目の届く範囲のものづくり。
僕たちはこれからもそうあり続けます。
『atelierBluebottle』のHPを開くと、上記の「僕たちのことば」が目に飛び込んでくる。
「数ある量産品の1つとして扱われたくなかった」とは、どういう意味なのだろうか? 量産品でないということは、オーダーメイド? でも、ネットで販売しているのは既製品のような気がするけど……。詳しく聞きたくなって東京・三鷹の作業場を訪ねた。
自信をもってお客さんに言えるのがいい
『atelierBluebottle』の特徴は、製品化までの工程すべてに辻岡夫婦が携わっていること。
企画してデザインしてパターンを起こし、素材や色を選んで裁断し縫製する。通常これらは、専門の職人や業者が分業する。すべて自社で担うというのは、かなり困難なことに思えるのだが……。ところが里奈さんも慶さんも、苦になるどころか、自分たちらしくいられる最良の環境だと口をそろえる。
慶さんは、
「自信をもってお客さんに言えるのがいいですね。よその会社の製品と何が違うんですか、と聞かれて、デザインがいいでしょ、と思っていたんですけど、自分でデザインがいいって言うのも変だし。縫製がきちんとしているのは当たり前だし。いろいろと考えたら、僕がデザインから裁断からすべて携わっていて、細かなところも全部知っていると気づいた。僕が全部作っています、とはっきり言えるところが強みで、他社と違うところなんですよね」
里奈さんも、
「すべて自分たちで考えて決めないと意味がないんです。素材は、その商品の存在価値を左右する大事な要素。高級素材だから価値があるのではなくて、そのアイテムに最適な素材だから価値がある。Aという素材でジャケットを作ろうと検討したときに、既にある素材なら、うちでつくる意味がないんです。もちろん、素材に限らず、デザインも用途もすべてに言えることなんですが」
好きで始めたのに、という違和感
ふたりがこのような考えに行き着くには、ファッションブランドでの高級バッグデザイナーという経歴が影響していた。
慶さんは、バッグデザイナーとして大手アパレルメーカーに新卒で入社。ひと通りの経験を積むと、ファッション性の高いブランドへ転職。楽しめるどころか次第に仕事への違和感を覚えるようになる。28歳くらいのときだ。
「さまざまな要因はありましたけど、いちばんの違和感は売り上げを立てるためのものづくり。売れた商品があれば、似たものを作る。ヒット商品でも1年後には新商品として新しく作り変える。なんでなの? って思っていました。クリエティブから程遠くて、惰性で仕事をしているみたいだった。好きで始めたのに、いろんな嫌なことをしなくちゃいけなくて」
同じ頃、里奈さんは順調にキャリアを重ね、充実した日々を過ごしていた。
「わりと早くにブランドを任されたので、自分の中では充実していると思っていたんです。でも、次第に不満が大きくなっていくんですよね。上司に不満を伝えるんですけど、なかなか解決されない。今思うと当たり前なんですけど。当時は20代だったし生意気だったと思います。慶くんは違う部署にいたのですが、考え方が同じで、残業した後とかに一緒に晩御飯を食べたりして、いろんなことを話しました。愚痴を言っててもしょうがないよね、ってなんとか折り合いつけながら、何年も続けていましたね」
まさに誰もがぶつかる壁。30歳前後になると、たいていの人は企業人として多くのことを任されるようになる。自分の裁量で仕事をし、仕事のおもしろさを実感できる一方、責任も増える。売り上げと納期のプレッシャーがのしかかってくるのも、ちょうどこの頃。理想や夢で膨らんでいた気持ちがしぼみ、「仕事だから仕方ない」と自分に言い聞かせるようになる。そう、里奈さんのように、現実と折り合いをつけようとするのだ。
その後、里奈さんは現状を打開しようと会社を辞める。フリーのデザイナーとして別の会社で働くようになる。が、状況は変わらず。
「雇用形態が違うだけで、仕事内容は変わらない。雇われて、デザイン出して、売って、セールになって。その繰り返し。あんなに好きだったバッグを嫌いになりそうになりました。その頃には慶くんと結婚していたので、ああ、こうやってお給料もらって、ふたりで生活していくのか、まあ、それでもいいか、と現状を受け入れつつありました。ただ、数字を見て商品を作ることに疑問を抱いたままでした」
『じぶんだけのいろ』
諦めきれなかったのが慶さんだ。ファッションを嫌いになりそうになりながらも〈独立して自分のブランドを立ち上げる〉夢に向かって、計画を進めていた。そのために自社工場のある会社に転職し、製品を生産するプロセスなどを学んでいた。が、そこで再び、現実に直面する。
「職人さんが、そんなことはめんどうだからできない、と言う人ばかりだったんです。自分で全部できないとダメなんだ、と思い知らされましたね」
独立の夢を熱く語る慶さんを里奈さんはドライに受け止めていた。慶さんには正社員のまま働いていてほしいとも思っていた。
が、2011年3月11日の東日本大震災を体験して心境が一変する。
ちょうど1か月前に長女を出産したばかりの里奈さんは、このまま老いることに危機感を覚えたそう。フリーで高級レディースバッグのデザインをしていたが、すべての契約を終わりにして個人事業主の申請をすることを決めた。
「言われたものを作るのではなく、顔が見える相手にバッグを作りたいと思ったんです」
工業用ミシンを購入し、里奈さんはポタリングバッグを、慶さんは登山用バックパックをそれぞれ製作。2013年4月、アート&クラフトのイベント「静岡手創り市」へ出店する。しかし、このときもまだ里奈さんは、慶さんが会社を辞め、一緒に同じ仕事をすることには反対していた。
「小さなブランドにデザイナーが2人もいて、どうするんだという気持ちでした」
そんなときに読んだのが、レオ・レオニーの絵本『じぶんだけのいろ』。
「カメレオンが自分だけの色を探すお話だと思って買ったんです。でも違った。〈自分だけの色を持っていなくても、誰かに合わせて同じように色を変えていけばいい〉という内容だったんです。あ、そうなんだって腑(ふ)に落ちて。自分ひとりで全部やろうとしていたわたしは、慶くんとアシストし合いながらやっていけばいいのだな、と思えるようになりました」
「お互いに違うところが得意だったのが発見でした。慶くんの、こういうのがあるといいな、というつぶやきを、わたしが詰めていくことが多いです。向こうがちょっとアーティスティックなところがあるせいか、出すイメージもざっくりなんですよ。商品として大事なところを話し合いながら、わたしが具体的に落とし込みます。詰めていく作業はわたしのほうが好きだったんですよね。デザイナーとパタンナーではないですけど、そんな感じです」
利益が薄くなっても仕方ない
『atelierBluebottle』最大の特徴は、流れ作業でバッグ類を作らないこと。一般的には、パーツごとに縫製してしていくのだが、1つを完成させてから次を作る。しかも、商品ごとに担当が決まっている。
扱う商品の数が増えた今も、変わらない。とはいえ、さすがに慶さん、里奈さんの2人だけで担えるものではないため、後輩に製作を依頼したりスタッフを雇い入れたり。
依頼する際に、慶さんが特に気をつけているのが納期と工賃。
「納期は言わないようにしているんです。会社員だったころは、絶対に何月の何週目までに売り上げを立てないとだめだ、と言われ、無理やりガーッと生産していたんですけど、そこに大きな疑問を抱いていたから。リュックに関しては工賃はちゃんと出して、作るのが嫌にならないように気をつけて。通常は原価率があって素材やロットを出して上代を決めますよね。でも僕は原価のことは考えず、まず、いくらで売ろう、と決めてから商品開発をしています。いくらだったら自分は欲しいと思えるのか、いくらなら喜んで買ってもらえるのか、ですね、最優先は」
だから、利益が薄くなっても仕方ないと慶さんは言う。
「気持ちよく買ってもらえるほうがいいかな。特に洋服は利益がそんなに出なくても作りたいものが形になれば、それでいいかなと思っている。うちはあくまで、バックパックがメイン。バックパックでごはんを食べていければいいね、くらいな感じでスタートしているし。でもバックパックは原価が高すぎて、卸が全然できないんですけどね」
アパレルに限らず、日本の企業では、減価率は40パーセント以下に収めることが通常。『atelierBluebottle』の商品を原価率40パーセント以下に収めようとしたら、売り値がぐうんとあがってしまうのだ。
「それはやりたくない。売れ残っていたら、そういうことも考えなくてはならないんだと思うんですけど、幸いにもわりと売り切れてくれるんで。安くていいものってよく聞くけど、高くていいものって聞かないですよね。自分たちの利益を削ることで、お客さんが喜んで買ってくれて、売り切れるんだったらそれでいい。その服を継続して買ってくれて、あ〜よかった、ここのだったら新作が出たら買おうかな、と思ってくれるくらいがちょうどいいかな」
売り切る自信がなければ、作らない
お金を稼ぐことにもっと貪欲でもよい気がするが……。注目されている今がチャンスだとは思わないのだろうか。
里奈さんが言う。
「規模を大きくすればいいのに、とよく言われますよ。でも、いっぱい作ったら、きっといっぱい残る。それは単純に悲しい。会社員だったころに、残った商品がセールになったのが悲しかったのを忘れられないんです。売れ残っても平気だったら、今も企業の外部スタッフとして関わっていたはず。『atelierBluebottle』では、需要と供給とが同じでありたい。だから毎回、賭け。ただ、売り切る自信がなければ、作らないです」
おおっ強気な発言! 確かに、すぐに品切れになりますしね。
「怖いですけどね、支払いもあるので。怖いですけど、自信のあるものしか出さない。今のところ、本当に運がいいというか。もっと多く作ってください、と言われることもありますけど、これでも結構たくさん作ってるんですよ」
「僕は、今でもドキドキしてますけど」と、慶さん。
「最初にTシャツを作ったときはドキドキして、支払日が来る前に胃が痛くなりました。卸も展示会もしないから発売まで売れる感触がわからないんですよね。売れるかはわからないんだけど支払いがあることはわかっている。いまだに慣れないですね」
里奈さんは言う。
「そもそもお金を稼ぐために『atelierBluebottle』を始めたわけではないので。うーん、甘いところでもあるし、いいところでもあるのかなあ。あの、なんて言うかな、好きなことと、お金を稼いで生活していくこと、って反比例するじゃないですか。だから、自分の好きな環境を整えることが、好きを仕事にするってことだと考えています。居心地のいい環境で、数字を見て商品を作らない環境というのを大事にしたい」
※後編:『いま注目の登山系ブランドatelierBluebottleを立ち上げた辻岡夫妻「お店を開くなら“簡単にたどり着けない”場所がいい」』
(取材・文/吉川亜香子)
《PROFILE》
辻岡 慶 TSUJIOKA Kei
辻岡里奈 TSUJIOKA Rina
夫婦ともに職人でありデザイナー。「顔の見える相手にバッグを作りたい」と2013年、登山ブランド『atelierBluebottle』をスタート。自分たちで企画デザインし、縫製販売までを行うのをモットーとしている。
https://www.atelierbluebottle.com