東京・北参道の閑静な住宅街にたたずむビルの地下1階に店を構えるフレンチレストラン「シンシア」。オーナーシェフを務めるのは、石井真介さんです。石井シェフは四ツ谷「オテル・ド・ミクニ」、南青山「ラ・ブランシュ」とフレンチの名店を経験し、渡仏。本場の星付きレストランで修業を積み、2004年に帰国後は、東京で腕を磨き続けています。’17年に発足した、水産資源を守る料理人チーム『Chefs for the Blue』(シェフス・フォー・ザ・ブルー)の一員としての活動も注目を集める石井シェフに、水産資源の未来を守るために必要なことや、食材へのこだわりをじっくりお聞きしました。
魚がとんでもなく枯渇中! 日本人は食べ物があふれすぎた環境に慣れきっている
──石井シェフは、フレンチの巨匠・三國清三シェフのもとで修業を始め、フランスで研さんを積んで独立。その後、渋谷の「レストランバカール」(現在は閉店)、北参道の「シンシア」と予約難の人気レストランを手がけていますが、同時にコロナ禍では、医療現場に無料で食事を届ける取り組みを始めたり、最近では水産資源のSDGsに関する活動も行うなど、社会的貢献が評価されています。このところ毎年、「サンマが捕れない!」など、魚介類の不漁が大きなニュースになっていますが、料理人としては、現状をどのように感じていらっしゃいますか?
「料理人になって27年目ですが、料理を続ける中で、ほとんどの魚が捕れなくなっているのを感じています。僕たち40代の世代がシェフになりたての25年近く前は、魚がいなくなるなんて考えもしなかった。しかも、値段の上がり方が尋常じゃないんです。ウクライナの戦争以前から食材の価格が高騰し続けていることを実感していますが、特に魚介類の価格は、ここ10年で跳ね上がっています。例えばひどいものだと、白子は数年前まで1パック2000円ほどでしたが、今では4000円超え。ウナギの値段も2倍に。飲食店は原価率が30~40%ほどですが、魚介類を使うと、もう全然成り立ちません」
──魚がない、価格が高騰中と言われ続けていますが、今も回転寿司に行けば、不漁であるはずのマグロでも安く食べられます。そのマグロは、どこから来るのでしょう?
「大衆向けの回転寿司などに流通しているマグロがどういうふうに捕られたのか、なぜこんなに安いのか調べていくと、そこには理由があるんです。今でもマグロなどが安価でも食べられるのは、ひと言でいうと“日本の流通システムが優秀すぎて、なんとか用意してしまうから”。
例えば昨今、養殖用のウナギの稚魚は日本にほとんどいなくなってしまい、台湾などから輸入していました。台湾はそれに気づいて、稚魚の密漁を防ぐため日本への輸出をストップしたんです。でもその後、ウナギが遡上する川がないはずの香港から日本への稚魚の輸出が大きく増えた。研究者によると、台湾から1回、香港に稚魚を移し、香港経由で日本が輸入をしている可能性が疑われています。
今、必要なことは、“消費者が求めすぎるのをやめること”なんです。食べるメニューを決める際に、“本当にそれ、マグロじゃないとダメなのか”などと考えて、ときには我慢する選択をするべきです。現代の日本では24時間、食べたいものが食べられる。僕がフランスにいたときは、ずっと開いている店なんかないから、食べられないときは我慢しました。日本人は食べ物があふれすぎている環境にいて、それに慣れきってしまっているんです」
──これまで当たり前にあったものが失われつつある危機的現状について、日本人は知らないことが多すぎますね。
「コンビニやスーパーで手軽に手に入るサバの文化干しやホッケの塩焼きは、国産ではありません。サバもホッケも、ほとんどがノルウェー産やロシア産。以前から少しずつ、海外産と入れ替わってきていました。
ほかにも昨今では、日本の食文化を代表するようなイワシやサンマですら、食べておいしい大きいサイズは全然捕れなくなっているんです。僕らの若いころは、魚屋さんが賄(まかな)い用にと無料で分けてくれたりしていたくらいなんですが、今はそんなことありません。ここ5年ぐらいは、僕たちの身近な魚がどんどんなくなっていっている。これからの子どもたちは、サンマなんて食卓で食べられなくなるでしょうね。
日本人は約400種類もの魚介類を食べていると言われていますが、魚が捕れなくなると、こういった食文化の根幹が崩れることになります。資源量を回復させないと、日本のタンパク質自給率も今後さらに危うくなるんです」
──現状を知ってから、ご自身の中で変えたことなどはありますか?
「僕は、料理にシラスを使うのをやめました。シラスはカタクチイワシの稚魚なので、シラスを大量に捕ってしまうと、それを求めてくる中型の魚が寄りつかなくなってくる。シラスを近海で捕りすぎることによって、生態系が大きく変わってしまうんです。
そしてカニ、特にズワイガニの値段が上がっているせいで、どの店
そもそも欧米では、日本に比べると魚卵や幼魚を食べる行為が一般的ではなく、むしろ“卵・幼魚=再生産のために守るべきもの”という考え方なんです。日本人の意識を変えなければ、という気持ちにもなりますよね」
まずは魚の廃棄を止め、未利用魚の処理ができる職人を育てることが大切
──そのために何か行動を起こそう、という料理人が増えましたね。
「ジャーナリストで『シェフ・フォー・ザ・ブルー』代表理事の佐々
日本は世界第6位の海の広さを持っているんです。さらに海流や地形の関係で、世界に誇れる魚の質であるにもかかわらず、資源管理に関してはほかの先進国に比べて大きく出遅れています。本来、その水産資源を守れば自給率が上がるはずなんですよ。コントロールさえできれば、何かあったときにも日本の海域で魚を獲るだけで、タンパク質は補えるはずなんです。海に囲まれすぎていて、いまだに“魚が獲れるのが当たり前”という感覚がどうしても拭えないんですね。
“中国船が魚を乱獲しているんだろう”と中国のせいにする方もいますが、外国船が日本の海域に入ってきて、すべての魚種をごっそり持っていくなんて不可能です。国として資源管理をしなければならない状況に陥っているのに、温暖化の影響とか海外の乱獲疑惑のせいだけにして議論を終えてしまうと、状況はよくならないと思います」
──石井シェフはシェフス・フォー・ザ・ブルーでの活動にも力を入れながら、’20年9月には、“サステナブル・シーフード”がテーマのレストラン「Sincere BLUE(シンシア ブルー)」をオープンさせましたね。
「『シンシアブルー』は、認証魚と未利用魚を使うレストランです。ちょっとクセがあって捨てられてしまったり、安い値段で買いたたかれたりするような魚を未利用魚・低利用魚と呼びますが、しっかり処理してくれる業者さんから仕入れれば、おいしい料理に仕立てることができます。“捨ておかれている魚の価値を上げること”、これが、シンシアブルーに関連した活動における大きな目的です。
今、温暖化の影響で、昔は日本列島の南側に生息していたシイラのような魚が北上しています。あまり好まれる魚ではないので値段も安く人気がありませんが、僕らが“もっとおいしくしよう”と使命感を持って調理法を考案しているところです。匂いが出やすくて人気のない魚でも、漁師さんや地元の魚屋さんがうまく処理してくれると使えるんです。そのためには、未利用魚の処理のテクニックがある人を増やす、そうした職人を大事に育てることも重要です。うまく処理されている魚を高く買うことで彼らが潤えば、技術のある人が増える。これも、持続可能な海を守ることにつながります。
ほかにも知られていないだけで、調理法や時期によっては、人気のノドグロよりも味わい深くおいしい魚もたくさんあります。そんな魚をどんどん取り入れていって、消費を1種の魚に集中させないことが持続可能に有効な手段です。ノドグロのように、何か特定の魚が流行すると、こぞって根こそぎ獲ってしまうようなことをやめ、これまで“おいしくない”と食べられてこなかった魚の調理法を考える。おいしい食べ方を見つけて、その魚の管理をきちんとしていれば、日本は自給自足もできます。そのために、海の資源を管理しましょう、となります。2020年以降、政府が進めようとチャレンジしている水産改革と科学的根拠にもとづいた資源管理をきちんと前に進めることが、いちばんの目標です」
──草の根から意見を言うことによって社会を変えよう、と。最終的には、世論が動かないと何も変えられない部分もあるということですね。
「さらに『認証制度』を知ってもらい、持続性のある魚を選んでもらうことも推奨しています。日本ではまだなじみがありませんが、海外では盛んで、スーパーなどには“MSC認証水産物”(水産資源や環境に配慮した持続可能な漁業で獲られた水産)や“ASC認証水産物”(責任ある養殖により生産された水産物)を示すロゴシールが貼られています。
レストランでは『CoC(Chain of Custody)認証』というライセンスをとれば、“認証水産物を使っています”とメニューにも記載できるんです。
ただ、この認証を取るのは、すごく大変です。お金もかかるし、手続きが煩雑。例えば、“このマグロは、誰が捕って、どこから流通して、どれだけ仕入れて、どのぐらいお客さまに出したか”ということまで、すべて記録して提出する必要があるんです」
──日本の消費者として今すぐできることは、何かありますか?
「できる限り、MSC認証やASC認証の商品を見つけて購入することです。先ほどもお伝えしたように、海外ではすでにMSC認証などが信頼されているので、消費者も“認証されている持続可能な品種を買おう”という意識が高いんです。ホールフーズなどのスーパーに並ぶ魚介類には、黄色は危険、青色はサステナブルを示す表示がされていたりして、魚の資源状態を確認して買おうとする消費者も多いんです。
欧米諸国に比べ、日本での水産エコ認証の認知度はまだまだ低いので、先日スーパーマーケットでASC認証を取得した愛媛県産の真鯛のプロモーションを行いました。有名シェフのレシピと、彼らのビデオメッセージが見られるURLを添えて販売したところ、かなり効果がありました。認証が一般の消費者に認知されるまで、まだまだ長い道のりですが、一歩ずつでも進めていければと考えています」
飲食業界は今が正念場。石井シェフが目指す、これからのレストランの文化とは
──石井シェフは、海の資源を守るためのルールにのっとって獲られた「サステナブル・シーフード」を使った料理も積極的に展開していますね。
「環境に配慮をして漁獲されている大西洋クロマグロを前菜メニューに取り入れています。世界で初めてクロマグロのMSC認証を取得した、宮城県・臼福本店さんの魚を使っています。
マグロを使った料理は難しくて、複雑に調理するとマグロのよさがなくなってしまう。日本人にとっては、生魚をお醤油でいただくのが結局いちばんおいしいのですが、根セロリのピューレ、マドラスというスパイスを使ったソースを合わせてフレンチに仕立てます。骨を1回乾燥させて竹炭を練り込んで作ったチュイル(ウエハース)を上に飾っていますが、魚の骨を利用しているんです。お客さまには特に説明しないのですが、黒色でダークなイメージにして、”管理しないと魚がなくなってしまうよ”というメッセージを込めています。
うちの店ではゲストへ手紙風のメニューを出しているのですが、そのなかで“サステナブルな大西洋クロマグロを使用”していることを、さらりとお伝えしています。純粋に食事を楽しみにいらしたお客様に、その場でマグロ問題を勉強してもらおうとは、もちろん思っていないのですが、メニューを読んで興味を持って質問していただき、話がはずむこともあります」
──また、石井シェフのスペシャリテといえば「たい焼き」の型に入れた魚のムースですが、こちらも今はサステナブルを象徴した1品ですね。
「もともとは、“ホットサンド好き”からの発想なんです。ある日、たい焼き型の機械を見つけて、これをうまく使えないかなと考え、ホタテのムースをおろしたスズキのフィレで挟み、パイ生地に入れて焼いてみました。フレンチの名シェフのポール・ボキューズが考案した、パイを使った古典のパーティ料理『ルー・アン・クルート』からの発想です。今の若い料理人が知らない、昔ながらの伝統料理を伝えていきたい、という思いもありました。時代に合うスタイルにマイナーチェンジしていくうえで、現代風に小さくできないかと考えて、たい焼きの型で試してみたんです。
それが人気を呼んで店のスペシャリテとなったのですが、今は中に入れる魚として、MSC認証取得を目指して漁業改善プロジェクト(FIP)に取り組む漁業者が捕った東京湾のスズキや、ASC認証を取得した養殖事業者が育てた真鯛を使うようにして、サステナブルへの思いを込めています」
──飲食業界はコロナ禍で大変な時期を乗り越えていかなければならないところ、魚介の不漁、食材の高騰、人手不足など問題が山積みですね。
「今が本当に正念場です。資源を守り、料理文化を次世代へつなぎ、社会に貢献することが課題です。
コロナ禍での飲食店業界は、なんとか生き残るために、何度もくじけそうになりながら歯を食いしばって頑張ってきました。飛沫が散るから感染が広がる、“レストランに行くことが悪”、というイメージまでついてしまった国のありさまを経験し、つらい思いもしましたが、逆に料理人が世論を動かし、政治を変えることも可能だ、という希望も持ちました。地球規模で食資源の未来を考え、社会に貢献しつつ、サステナブルの主張があり、ゲストに非日常の時間を提供する。そんなレストラン文化が育つように、今こそ本気で取り組むベきときですね」
(取材・文/Miki D’Angelo Yamashita)
Sincere(シンシア)
住所:東京都渋谷区千駄ヶ谷3-7-13 原宿東急アパートメントB1F
TEL:03-6804-2006
営業時間:18:00〜21:00
定休日:日曜、第1・3・5月曜日
公式HP→https://sincere.gorp.jp/
備考:【オートクチュールコース】税込18755円(2日前までに要予約)