2022年10月20日、上皇后美智子さまは88歳の誕生日を迎えられました。’19年5月に上皇陛下が退位されてからはコロナ禍もあって公の場にお出かけになる機会は減りましたが、この日はお住まいの仙洞御所を天皇・皇后両陛下が訪れ、お祝いの言葉を述べられました。
上皇陛下とのご結婚から今日に至るまで、美智子さまはさまざまな場面で印象的なお言葉を述べてこられました。弱い立場の人々に寄り添うお気持ちや陛下とお子さま方への愛と信頼、平和と未来への祈り、ご自身の人生観など──ときにユーモアも交えての表現は、深い思慮と豊かな感性にあふれ、私たちの心に響くものばかりです。
そんな美智子さまの米寿を記念して、皇太子妃、皇后のころの貴重な写真とともに珠玉の“名言”を厳選してご紹介します。
記者会見ではウィットに富んだお答えを
1959年4月10日、美智子さまは上皇陛下とご結婚。民間から初めて皇室に入ったプリンセスとして、その国民的人気はミッチーブームといわれるほどでした。
◎ご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げていかれる方だというところに魅力を感じました
婚約決定の記者会見(1958年11月)で陛下の魅力を問われて答えられた「ご誠実で、ご立派で」は当時、流行語にもなりました。あれから60年以上の歳月が流れた今も同じ質問をされたら、やはり同じようにお答えになるのかもしれません。
◎差し上げるとしたら、お点ではなくて感謝状を
1984年、ご結婚25周年に際しての記者会見で「ご夫妻でお互いに点数をつけるとしたら」との質問に対するお言葉です。初めに上皇陛下が「努力賞」と答えられたのに続き、同じくユーモアで返されました。このお言葉の前に美智子さまは「殿下(現在の上皇陛下)のお導きがなかったら、本当に私は何もできませんでした」と深い感謝のお気持ちを示されています。
◎浩宮の人柄の中に、私でも習いたいというような美しいものを見いだしています
1960年2月23日、第一子・浩宮徳仁親王(現在の天皇陛下)をご出産。天皇家に生まれた子どもは乳人(めのと)が世話をするのが皇室のしきたりでしたが、美智子さまはご自身の手で3人のお子さまを育て上げました。このご発言は1974年、中学生になった浩宮さまの成長ぶりを語られたものです。多忙な公務のかたわら、家族で過ごす時間を大切にされた美智子さま。子どもの美点を見いだす母親のまなざしが印象的です。
人知れない苦労や悩みがにじみ出ることも
ご自身の内面を見つめたお言葉にも、美智子さまならではの感性や慎み深いお人柄が表れています。
◎私はいつも自分の足りない点を、まわりの人に許していただいてここまで来たのよ
こちらは1993年、現在の天皇・皇后両陛下の婚約内定記者会見で「皇后さま(美智子さま)は慣れない皇室の生活に苦労されたと聞きますが、雅子さまをどうやって支えますか?」と質問された天皇陛下が、かつて美智子さまから聞いて印象に残っている言葉として紹介しました。美智子さまの謙虚さや慎み深さがうかがえます。
◎自分の心の中にある悲しみや不安と折り合って生きていく毎日毎日が、私にとってはかなり大きな挑戦
2007年、ヨーロッパ諸国ご訪問前の記者会見で「日本の皇室に対するマスコミや世間のプレッシャーや期待感は大きいが、今まで直面した最も厳しい挑戦や期待はどのようなものか」という海外メディアからの質問に対するお答えです。この会見では「人々の期待や要求になかなか応えきれない自分を、悲しく申し訳なく思う」「心が悲しんでいたり不安がっているときには、対応のしようもなく、祈ったり、時に子どもっぽいおまじないの言葉をつぶやいてみたりすることもあります」など、弱音のようなお言葉もありました。美智子さまの笑顔の陰には、人知れない苦労や悩みがあるようです。
平成の時代には災害が起きるたびに上皇陛下と被災地を訪れ、避難所でひざをついて手を取り、地元の人たちの声に耳を傾ける場面が何度となく見られました。また、先の戦争がおこなわれた国内外の地への慰霊の旅を続け、真摯(しんし)に平和を祈ってこられました。
◎生きていてくれてありがとう
2011年3月11日、東日本大震災が発生。同月末から7週連続で1都6県の被災地に足を運ばれた美智子さまが、津波に家を流された福島県相馬市の被災者にかけたひと言です。どんな相手に対しても敬意を持って接する美智子さまは後日、「被災地の人々の気丈な姿も、私を勇気づけてくれました」とのお気持ちを表しました。
◎大丈夫よ。落ち着いてください
同じく東日本大震災の被災地・岩手県釜石市を訪問中、避難所で余震に驚く女性の手を握りながらこう励ましました。のちに「この地に長く心を寄せ、その道のりを見守っていきたいと願っています」と語ったとおり、人々に寄り添い続ける美智子さま。その姿に、声に、どれだけたくさんの被災地の人々が癒やされ勇気づけられたことでしょう。被災者の目線で訴えかけるからこそ、お言葉のひとつひとつがずしりと重く感じられます。
◎今、平和の恩恵に与(あずか)っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています
戦後69年となる2014年、お誕生日に際しての文書回答です。この世から戦争をなくし、人々の明るく豊かな暮らしを願われる美智子さま。この文書回答の3年後、中学校を卒業した愛子さまが記念文集の作文にこう綴られました。《日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか》。平和への強い思いは、しっかりとお孫さまに受け継がれているようです。
それぞれの人が共感できる珠玉のお言葉
誕生日の文書回答では、その折々の社会情勢について美智子さまの視点からの言及もありました。
◎複雑な問題を直ちに結論に導けない時、その複雑さに耐え、問題を担い続けていく忍耐と持久力をもつ社会であって欲しい
このお言葉を誕生日の文書回答で綴られたのは1997年。それから25年がたち、スマホやSNSの普及によってある意味、安易に答えを見つけられる時代になりました。それは一方で社会の分断や対立と背中合わせだともいえます。国際情勢や政治、経済問題だけでなく身の回りに起こる出来事もその内実は複雑なもの。だからこそ我慢強く問題の解決にあたりましょう、答えを出すプロセスこそ大切なのです、と美智子さまは説いているのではないでしょうか。
最後に紹介したいのは、美智子さま46歳の誕生日会見(1980年10月)でのお言葉です。
◎誰もが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互いに認め合いながら、懐かしみ合い、励まし合っていくことができれば
このお言葉の前段で「人はひとりひとり自分の人生を生きているのであって、他人がそれを十分に理解したり、手助けしたりできない部分を芯(しん)に持って生活していると思います」と語られています。相手への気配りを第一に考える美智子さまの人生哲学に裏打ちされた、奥深いお言葉。人それぞれ、いろいろな味わい方ができるでしょう。
(文/fumufumu news編集部)