「教員にも残業代を!」と裁判を起こした田中まさおさん(仮名)。2023年3月に敗訴が決定したものの、「第2次訴訟にチャレンジする」と宣言しています。この連載では裁判のことだけでなく、田中さんが教員生活40年で培った「教育観」「子ども観」についても紹介します。子育てや教育のヒントが、きっと詰まっているはずです。
学校でいちばん起きてほしくないことのひとつが、「暴力」です。でも、大人の社会がセクハラやパワハラといったハラスメント被害をなくせないのと同じように、学校から「暴力」をなくすのも非常に難しい。この問題にどう対処すればいいのか。ベテラン先生の田中まさおさんも試行錯誤しており、最近も大きな失敗をしてしまったそうです。いったい何があったのでしょうか? 田中さんに聞きました。(聞き書き/牧内昇平)
※本文中に登場する子どもの名前はすべて仮名です。
田中さんのクラスにある唯一のペナルティとは
私が担任するクラスには、絶対にやってはいけないことがひとつだけあります。それは「暴力」です。私はルールが好きではありませんし、学校のルールを破ってしまった子を罰するのは嫌いです。でも、そんな私もひとつだけ、例外的に決めているペナルティがあります。それは、「暴力をふるったら給食のおかわり禁止」というものです。
おいしい給食をおかわりできない。これは子どもたちにとって大事な問題です。1日のうちに何度も「暴力とは何か」を話し合うことになります。例えば、友だちの背中を「ねーねー」と言いながら叩いた場合、それは暴力なのか。
「悪気はなかったから暴力じゃないよ」と言う子もいれば、「相手が嫌だと感じたら暴力なんじゃないの?」と返す子もいる。大激論です。もちろん教員の私もこのペナルティの対象になります。私がある子の肩をトントンとした。そうしたらその子が「暴力だよ!」と言った。相手にそう言われてしまったら確かに暴力です。仕方ない。その日、私はおかわり禁止です。おかわりはしませんが、子どもたち全員に向かって言いました。「ねえ、さっきのはズルいと思わない? あれはひっかけだよ」と。そこから子どもたちの議論が始まります。
また、子どもたちの中には友だちを思う気持ちから「暴力だよ」と指摘するのを我慢する場面も出てきます。日常生活の中に「ひっかけ」から「我慢」までさまざまな出来事が、おかわりできないルールによって、意識化されるのです。
「暴力は悪い」という言葉を教えるだけでなくて、「暴力とは何か」を考えさせる。暴力を意識することから始まり、相手を傷つける行為、さらに相手をいたわることまでも学んでいきます。子どもたちが成長していくこと。いじめ問題の解消は、その延長線上にあるのです。このようなことが教育としては必要だと考えています。20年以上私のクラスで続けているルールです。
暴力をふるってしまっても謝れない逆屋さん
暴力は、なかなかなくなりません。子どもが暴力をふるったとき、自分の過ちを意識化させることが大切だと私は思っています。
逆屋さんという男の子は、何度も友達に暴力をふるってしまっていた。結果的に自分が悪いことをしたのはわかっている。けれど、謝ることができません。こういうときにどうするか。私の選択は「必ず謝らせる」というものです。逆屋さんにこう言います。
「悪いことをしたと思っているなら謝りなさい」。黙っていても許しません。大きな声で「謝りなさい」と迫り続けます。先生が怒っているから、逆屋さんだけでなく、周りの子どもたちもだんだん緊張してきます。私は絶対に負けません。謝れない子だからこそ謝らせるのです。私が諦めてしまったら、逆屋さんは成長できません。
結局、逆屋さんが「ごめんなさい」と言います。ここで私は気分を180度変え、「よく謝った!」と今度は逆屋さんをほめます。私は逆屋さんと一緒になって喜びました。暴力を受けた子や、まわりの子どもたちもこれでひと安心です。「逆屋が初めて謝ったー!」と、みんなの表情がほぐれます。
このやりとりでいちばん救われるのは、暴力をふるった逆屋さんです。謝ると心が軽くなる。しかも先生からはほめられるし、クラスもなぜか盛り上がる。謝ることは大切。子どもたちみんながそういう風に思える。
こんな出来事を忘れてしまったころ、私は子どもたちに聞きます。「最近、逆屋さんが謝れるようになったと思わないか?」。「うん、そうだね」と大勢の子が言います。「いや、まだまだ」と辛口の子もいます。こんなやりとりができるのが、学級担任制である小学校の先生の醍醐味です。
気持ちよく謝ることができる子どもは、心から悪いことをしたと反省できる子へ、相手をいたわることのできる子へと成長していけるのです。
“すぐ手が出るタイプ”の浅水さんを叱ったら……
続いて叱り方についてですが、逆屋さんの場合を紹介したように、私はかなり激しく叱るタイプの教員です。「悪い!」と思ったことは大きな声で注意し、謝らせます。これが正しいかと言うと、正直よくわかりません。児童とかかわる時間が取れるのであればじっくりと諭(さと)すことがいちばんなのですが、授業の合間のわずかな時間では仕方がない方法だと思っています。問題なのは、一貫性のないその場だけの叱り方です。
これはごく最近のことですが、やっぱりすぐに手が出てしまうタイプの浅水さんという子がいました。少し発達障害の傾向もあって、特に理由がないときでも、横を通るついでに座っている子の頭をぽんと叩いてしまうようなところがある。当然トラブルになるし、私は強く叱ります。叱るのは浅水さんのためでもあるし、きちんと叱らなければ頭を叩かれた子も、周りの子どもたちも納得しないですから。
でも、強く叱っても後腐れはありませんでした。叱られた直後の休み時間、浅水さんはいつもどおり私のところに来て話しかけてくれます。教室のみんなも私が強く叱ったからといって萎縮しません。私が普段から浅水さんに目をかけ、愛情を注いでいるのをみんな知っているからです。先生は浅水さんがふるった暴力に怒っているだけ。浅水さん自身のことを嫌って攻撃しているわけではない。そういう合意が浅水さん本人を含めて教室内にあったから、私はある意味、安心して強く叱れる。そういう風に長年、子どもたちを叱ってきました。
大切なのは先生の叱り方により、クラスの子どもたちは浅水さんを許せる子にも育つし、浅水さんに批判的になる子にも育つということです。私は「罪を憎んで人を憎まず」が信条です。悪いことは徹底して叱りますが、同時に叱った子に対して、目いっぱい愛情を注ぎます。こうしているうちに、いつの間にかクラスの子どもたちに寛容性が育っていくのです。人の悪を許すことを、体験を通して学んでいるのです。
教室で先生が叱ることには意味があります。本人が反省するだけでなく、周りの人も学びます。他人の行為から間接的に学び、善悪の判断ができるようになります。さらに人の悪を許す寛容性までも学ぶことになるのです。
自身のやり方を反省し、叱り方を変えるよう努めている
ところが、問題が発生しました。最近の学校は体罰調査というものがおこなわれています。子どもたちにアンケートを配り、「体罰を受けたことがありますか?」「他の子が体罰を受けているのを見たことがありますか?」と聞くものです。浅水さんがクラスにいた年、40人のうち1人だけ、この体罰調査に対して「先生の浅水さんへの叱り方がひどい」と回答した子がいたのです。
教室のみんなの合意が取れていると思ったのは、私の大きな勘違いでした。これには反省しました。
それから私は、これまでの叱り方をがらっと変えるように努力しています。大きな声で「やめなさい!」と言えばたった10秒で済む話でも、丁寧に話して聞かそうとして10分、20分と時間がかかってしまうこともあります。
叱り方って本当に難しいんだなと思います。「非暴力」という言葉、思想がありますよね。もちろん方向性は正しいでしょう。でも、現実の学校には日常的な暴力があふれていて、目の前の暴力に対して教員がどう向き合えばいいかというとき、「非暴力」という言葉だけで解決できるのか、今も疑問は残ります。
(取材・文/牧内昇平)
田中まさおさんの裁判を支える「田中まさお支援事務局」は’23年4月23日、第2次訴訟の原告の詳しい募集内容を公開しました。主なポイントは以下の4点です。
《原告の応募条件》
1. 個人的な利益ではなく、本訴訟の趣旨に賛同してくれる人
2. 給特法が適用される、公立学校の現役教員もしくは元教員の人
3. 長時間労働を理由とする国家賠償請求を行いたい人
4. 正式に原告となる場合、訴訟費用として20万円を負担できる人
田中まさお支援事務局によると、すでに教員を退職した人でも、時効(原則3年)が過ぎていなければ裁判を起こせます。また、裁判の費用については、クラウドファンディングなどで寄付を募るため、個人の負担は20万円に抑える、としています。7~8月の夏休み期間に説明会を開き、そこで弁護士や支援事務局のメンバーたちが面談を実施します。詳細は田中まさお支援事務局のTwitterアカウントなどへ。
◎田中まさお支援事務局公式Twitter→https://twitter.com/1214cfs
◎著者・牧内昇平Twitter→https://twitter.com/makiuchi_shohei