登録数3億5000万人を突破したゲーム『フォートナイト』、オープンワールドゲームの常識を変えた『原神』、デジタル漫画の市場を席巻しつつある『Webtoon』……。
世界のエンターテインメント市場をけん引するこれらの作品は、日本発ではありません。アメリカ、中国、韓国など海外企業が発表した作品であり、日本のエンタメ市場でもそのシェアを伸ばし続けています。
“日本のエンタメは世界でも大人気”という時代は大きく変わり、今や“日本発”というブランドだけで勝てる市場ではなくなってきた昨今。日本のエンターテインメント業界は、海外とどう戦うべきなのでしょうか。
今回お話を伺ったのは、「エンターテイメントの再現性を追求し、経済圏を創造する」をビジョンに掲げ、コンサルティング事業を展開しているRe entertainment代表・中山淳雄さん。リクルート、DeNA、デロイトトーマツコンサルティング、バンダイナムコ、ブシロードと数々の事業/エンタメ企業で活躍。さらに、コラム連載『推しもオタクもグローバル』や著作『オタク経済圏創世記』『推しエコノミー』など国内外のエンタメコンテンツの変遷や特徴を独自の見解で述べる、エンタメ社会学者としての一面も持っています。
「もともとオタクではなかった」と話す中山さん。なぜエンタメ業界でのキャリアをスタートし、現在の活動に至ったのか。日本のエンタメが、世界で戦うにはどうするべきなのか。2回にわたるインタビューの第1回は、中山さんのエンタメ業界でのキャリアの変遷を振り返り、等身大の“中山淳雄”をお伝えしていきます。
非オタクからエンタメ社会学者へ。中山さんがエンタメとともに歩んだ10年
―──中山さんがエンタメ業界でのキャリアを歩み始めたのは、そもそも興味関心の高い、または純粋に好きなエンタメジャンルがあったからなのでしょうか?
「実はゲームもアニメも、僕自身あまり好きではなかったんですよ。エンタメ業界に足を踏み入れたのはDeNAですが、それも“いちばん儲かっている業界だったから”というのが大きな理由です。
DeNAに入る前はリクルートで海外事業をやっていたので、勢いのある業界や企業で、海外のM&Aにも興味があったんですよね。当時のDeNAはイケイケで、年々売上が伸びているし海外事業も盛んでした。アメリカの会社を400億円で買っていたような時代だったので(笑)」
──DeNAではどのような仕事を?
「モバゲー(※)が全盛期だったこともあり、アメリカにソーシャルゲームをどう普及させるかを考える部署にいました。初めは海外のM&Aをやりたいと思って入社しましたが、DeNAはそういう会社ではなかったんですよね。入社して早々に“まずはゲームコンサルをやれ”と言われて、行ったこともないアメリカで、話したこともないユーザーのデータを見ながらゲーム開発していました。今思うと結構大変でしたが(笑)」
※モバゲー:DeNAが運営するサービスのひとつ。ゲームだけでなく、コミュニティ、小説、有名人のブログなどが楽しめる。
──デロイトトーマツコンサルティングに入社したのは、DeNAでの経験があったから?
「そうですね。デロイトでは顧客だった大手ゲーム企業がカナダに会社を作るということで、“今の市場的にモバイルゲームがキテる。このジャンルは作りやすい。そのためにはこれくらいの人数が必要で初期投資にはこれくらいの金額が……”みたいなことを考えていました。そこで、ゲームビジネスに対する手ごたえを感じたんです。デロイトを辞めたあとはバンダイナムコに入社し、ゲームの海外展開も手がけました」
『新日本プロレス』や『アサルトリリィ』。エンタメを網羅したブシロード時代
──DeNA、デロイトトーマツ、バンダイナムコを経て、ブシロードに入社。現在の「エンタメ社会学」につながることを始めたのはブシロードからという印象があります。
「そうかもしれません。約5年ほどゲーム業界に身を置いた後、2016年にブシロードへ入社して、5年間さまざまなエンタメコンテンツに触れました。『新日本プロレス』や『BanG Dream!』『D4DJ』『アサルトリリィ』のメディアミックス(※)を含めた海外展開など。ブシロード入社当初は、ゲームのことはわかるけどアニメや舞台などゲーム以外のエンタメは素人に毛が生えた程度だったので、かなり勉強しました(笑)。
そこで培ってきた知識やノウハウを生かす活動として、早稲田大学やシンガポール南洋理工大学で講義をしたり、メディアでエンタメに関する現象分析を書いたりするようになりました」
※メディアミックス:さまざまな媒体を用いて作品の知名度を高めること。ゲームのアニメ化、漫画のグッズ化などが例として挙げられる
──ブシロード時代は相当幅広いエンタメジャンルにかかわっていたんですね。
「『BanG Dream!』の英語版ソーシャルゲームや、カードゲームの海外プロモーションがメイン業務でした。カードゲームのプロモーションでは、北米のアラバマ州からノースカロライナ州まで、車で1日3件ずつ店舗を回っていました。今は終わってしまったのですが『Dragoborne』という北米向けカードゲームを売り込むために、“こんにちは! ブシロードです。カード置いていただけませんか?”とレクチャーしたり。
当時の僕は海外事業の責任者でしたけど、ブシロードはトップの人間も関係なく現地に行く会社なんですよ。代表の木谷(高明)さんもニューヨークからボストンまで回っていましたし(笑)。木谷さんが身近にいる状況で仕事をしたことで、メディアミックスの戦略などの知識を身につけることができました。今の自分にも大きくつながっています」
──『BanG Dream!』『D4DJ』『アサルトリリィ』、そして『新日本プロレス』。これらすべてメディアミックス展開をしているコンテンツですもんね。
「メディアミックス戦略を横断的に担当したのは『アサルトリリィ』くらいですけどね。2.5次元舞台化、アプリゲームなどのプロモーション業務全般を担当していました。
それ以外はメディアミックスの中でも海外デジタル戦略の部分を担当していて。本来は『新日本プロレス』も担当外だったんです。でも、英語とデジタルの事業展開ができるという理由で余計な仕事もやっていました(笑)。映像系イベントへ販売に行ったり、アメリカの担当地域のスポーツ企業からいろいろ話を聞いたり……。
こうやってブシロードでアニメやスポーツなど24時間エンタメに触れたことが、自分の原体験にもなり、今の活動に直結しているように感じています。ブシロードで得た学びを早稲田大学の授業で教えたり、『オタク経済圏創世記』という書籍を書いたりするようになりました」
日本エンタメの海外進出サポートのため、会社を設立
──2021年にブシロードを退職後、独立。’22年1月にRe entertainmentを設立しています。このタイミングで新しいキャリアに踏み切った理由とは?
「抱えていたプロジェクトが自分の手から離れたタイミングが’21年だったんですよ。その前から早稲田の大学院(博士課程)に入学することが決まっていたし、ブシロード外での仕事をきっかけに外部から声をかけられることも増えてきた。ゲーム業界に5年、ブシロードに5年勤めてきっちり成果も残せた。辞めるなら手が空いた今のタイミングがいいだろうと思ったのが主な理由ですね。
Re entertainmentの設立に関しては、単純にニーズを感じたからです。日本エンタメの海外進出は今や必須で、デジタル×グローバルをやっていないエンタメ企業はありません。一方で担当者の方たちの多くはどう進めればよいのか悩んでいる。僕自身の経験を生かせばいろんな企業さんのお手伝いができますし、そういうことをフリーでやっている人があまりいなかったので、ポジションも確立できると考えました。ありがたいことに、現在はみなさんがご存じであろう企業さん10社ほどの海外展開やキャラクター制作のコンサルをしています。
加えて博士号を取るために勉強しつつ、慶應(義塾大学)ではエンターテインメントビジネスストラテジーという授業をしている感じです」
──学生の立場でありながら、教員の立場でもあるんですね。
「そうなんですよ(笑)。学生、教員、立命館研究員として活動しながら、経産省コンテンツIPプロジェクトでコンテンツ制作のアドバイザーとしても活動をしています。博士号を得るために大学院へ通っているのは、そういったアカデミックな人たちと付き合っていくうえでステータスとして必要だからなんです」
──ブシロードから独立されてさまざまなことに取り組まれていますが、約1年たってみて感じていることはありますか?
「今までは意思決定を他人に預けてきていたなと実感しています。会社員時代はこういうインタビュー1つ受けるにも上司の確認が必要でしたし、他社からの協業・相談案件にもどうしてもポジショントーク(※)が出てきてしまう。
※ポジショントーク:自分や自社の立場、立ち位置に由来した発言をすること
だけど、独立してからは自分のやりたい案件を好きなだけ受けられるようになりました。政治家から経営者まで会える人の幅がものすごく広がって、こんなにいろんな人たちがエンタメ領域に挑戦しようとしているんだとわかりました。会社員では得られないとても大きな気づきだったと思います」
◇ ◇ ◇
あまたのエンタメ企業を渡り歩いてきた中山さん。取材の中で「日本エンタメの海外進出は今や必須で、デジタル×グローバルをやっていないエンタメ企業はありません」と語った真意とは? 第2回インタビューでは、日本エンタメが世界で戦ううえで必要になることを聞いてみました。
(取材・文/阿部裕華、編集/FM中西)