「学校の先生に残業代が出ないのはおかしい!」と訴えた現役教員、田中まさおさん(63歳・仮名)の裁判は、2022年8月25日に東京高裁で判決がありました。高裁は「教員の仕事は特殊なので、一般の労働者と同じ時間管理と賃金制度はなじまない」とし、田中さんの訴えを退けました。判決の感想を田中さんに聞きました。
(田中さんが裁判を起こした「本当の理由」を語った過去記事→「先生にも残業代を払って!」定年間際に裁判を起こした小学校の先生の思いと“何よりも求めるもの”)
公立学校の教員には「給特法」という法律があり、給料の4%分の「教職調整額」が支給されるかわりに、働いた時間に応じた残業代が出ない。埼玉県内の公立小学校で教える田中さんの場合、月に平均約60時間も残業していたのに、約1万6千円の「教職調整額」しか支払われなかった。つまり、無賃残業(サービス残業)状態になっていた。
田中さんは「無賃残業をやめさせたい」と思い、問題提起のために裁判を起こそうと思った。2018年9月、埼玉県に対して約1年分の残業代240万円の支払いを求めて提訴。’21年10月のさいたま地裁判決は、「教員の業務は自発的なものが多く、一般労働者と同じ労働時間の管理はなじまない」とし、現在の給特法の制度を認め、田中さんの訴えを退けた。8月25日の東京高裁判決も、地裁判決とほとんど同じ内容だった。
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現場の先生は無賃労働をさせられている
──まずは高裁判決の感想をお願いします。
「判決後に書いた文章がありますので、紹介しますね」(田中さん・以下同)
《きょうの判決はとても残念でした。現場の先生たちは働かされています。児童・生徒が行ったテストの丸付けは仕事に当たりませんか? 授業の準備は仕事に当たりませんか? 欠席児童への連絡はどうですか? 朝の登校指導は仕事ではありませんか? これらは、毎日のように行われている教師の仕事です。
判決は、この仕事を労働として認めず、教師が自主的にやっていることだとしています。どう考えてもおかしいと思いませんか? この仕組みは誰が作ったんですか? 長い、長い年月のあいだに、日本が作ってしまったのです。しかし今、教師が無賃で働かされていることは間違いない事実です。
午後5時過ぎに、近くの学校に行ってみてください。大勢の先生方が職員室や教室で丸付けをしています。授業の準備をしています。欠席児童へ電話連絡をしています。これらはすべて無賃です。これらの仕事が仕事として認められずに、遅くまで働かされることを知ったら、あなたは教師を仕事として選びますか? 自分の子どもを教師にしますか? 周りの人を教師にしますか? いま、教員が足りないという問題は、このようなことが大きく関わっています。皆さんも、もう一度考えてみてください。これからもこのままでいいと思いますか?》
「本来の終業時刻は午後5時です。教員が夕方5時以降にしていることは、どう見たって仕事でしょう。それが、素直な気持ちです」
授業以外の仕事は「密度が低い」?
──高裁判決は、基本的には一審(さいたま地裁)の判決をほとんど変えていませんが、若干書き加えた部分があります。例えば、こんな一文を判決に加えました。
《同じ勤務時間の中でも、授業時間は勤務の密度が非常に高いが、これに比べると、それ以外の時間の勤務の密度は高くない》
「実際は、密度はほとんど同じですよ。例えば、授業と授業のあいだの休み時間は、教員は急いで提出物や宿題の確認をしています。その日のうちに子どもに返す必要がある物もありますから。でも、休み時間こそが、実はいちばん危ない時間なんです。子どもたちは狭い教室の中を走り回るし、いじめも起きます。
だから先生は、休み時間には特に、何気なく子どもたちに目を配らなければいけません。友だちと関われない子は誰なのか。ぽつんとしている子は誰なのか。仕事の密度は低くありませんよ。また、放課後はいろいろな会議が入ります。そういう会議のあいだはダラダラしている、と裁判官は言いたいのでしょうか?」
──保護者への対応とかも、授業よりも緊張感なくやっていることになりますよね。判決には疑問が残ります。裁判官が学校現場の実態を知らないのではないか、と感じました。
「大学教授のような高尚な仕事というイメージがあるんですかね。でも実際は、むしろ製造業の工場で働いている人に近いですよ。時間刻みで、“ああしろ、こうしろ”と言われて、校長には『ほう(報告)・れん(連絡)・そう(相談)』をいつも求められる。個人で判断することを許してもらえない。給特法ができた’70年代は教員に自由があったのかもしれませんが、今は時代が変わっています」
──今後はどうしますか。
「最高裁に上告します。法律がうんぬんと言う以前に、人間がどう生きるかという問題だと訴えたい。みなさんにも給特法を読んでほしい。給特法は、残業代を出さない代わりに、教員には特別な『4項目』(実習・学校行事・職員会議・非常災害)以外の残業を命じてはいけないことになっています。しかし現実には、1か月に60時間も、多い人では100時間以上も残業をしている教員がいる。これは誰が考えてもおかしいですよ」
大切なのは、子どもたちの“心を探す”こと
──さいたま地裁と東京高裁の理屈は同じです。教員の仕事の多くは自主的・自発的な判断に基づいて行われる。『自主的・自発的な仕事』と『校長に命じられる仕事』は実際には混ざっており、どこからどこまでが『命じられた仕事』だと区別できない。だから厳密な時間管理は難しく、固定の教職調整額を支払う今の制度は容認される。こういう理屈ですよね。
「自主的・自発的かどうかを決めるのは誰でしょうか? 雇用者ではなく、働いている本人のはずです。裁判官はそこを間違っています」
──そもそも『自主的・自発的な仕事』とは何ですか?
「いま、ぼくが担任している低学年のクラスには、周りの子とうまく関われない女の子がいます。休み時間になると、“私は教室にいるのが好きなの”と言って、外に遊びに行こうとしません。ぼくは、その子と周りの子との関係をよくしたい。まずは、子どもたちに“一緒に遊びなよ”と声をかけました。その子はいったん遊びの輪に加わりましたが、たぶん、自分の思いを素直に言えず、心にないことを口走ってしまったり、相手が傷つく言い方をしてしまったのでしょう。また友だちの輪からはずれてしまいました。
じゃあ、次はどんな声かけをするか。どうやって、その子の友だち関係をよくしていくか。ぼくはずっと考えます。どうにか援助しようとします。子どもたち一人ひとりの課題を見つけ、その解決をめざす。毎日8時間くらい一緒にいる担任だからできることです。実は、このような仕事が小学校教員の『自主的・自発的な仕事』なのです」
──ふむふむ。
『自主的・自発的な仕事』に専念するためには
「しかし、現在の小学校で校長から言われるのは、“そういう子どもの様子はパソコンに記入しておいてください”ということです。学校向けのコンピューターソフトがあり、そこに記入すると、すべての教員が見られるようになっています」
──「情報の共有」ですかね。管理職としては、何かトラブルが起きたときに、「学校は全く把握していなかった」と責められるのが嫌なのでしょう。
「“●●さんがこういう理由で学校を休んでいる”とか、“●●さんが今日、暴力をふるった”とか、パソコンに記入しておけというのです。前任校では、『毎週水曜に記入すること』というルールまでありました。でも、様子をパソコンに入れてもその子が変わるわけではありません。その子にとっては、教師による援助が大切なのです。文書をつくるのに最低1時間はかかってしまいます。全員分だと合計30時間です。ぼくはその時間がもったいない。そんな時間があれば、子どもとどうやって関わるかを考えたい。子どもたちの心を探すことに時間を費やしたいのです。
パソコンに子どもの状況を記録するのは、校長から『命じられた仕事』です。子どもの心を探すのは『自主的・自発的な仕事』です。先ほども言いましたが、給特法は、特別な4項目以外には残業を命じてはいけないことになっています。それを厳守すべきです。そうすれば、先生たちは本来の『自主的・自発的な仕事』に打ち込めます。そういうことをしなければ、学校や子どもたちは、どんどん病んでいきます」
(取材・文/牧内昇平)