今、世界中で日本の女性作家の小説が翻訳され、海外の読者から熱い支持を得ています。村田沙耶香さんもそのひとりで、今や38の国で村田さんの作品が読めます。
2022年6月に刊行された新刊『信仰』(文藝春秋刊)の特徴は、収録されている小説とエッセイのほとんどが、先に海外で発表されたということ。インタビュー第1弾で「小説を書いているうちに自分も予想外のところに引きずられるのが面白い」と話してくれた村田さんが、新刊の裏話やごコロナ禍におけるご自身の変化、今後の展望について語ります。
翻訳作品も、いつもどおり日本語でのびのびと書く
──コンビニバイト歴18年で、コンビニが「自分を正常な社会の部品にしてくれる」と考える36歳の女性が主人公の、芥川賞受賞作『コンビニ人間』。日本では「普通って何だろう」と改めて考える機会を与えてくれる小説としても読まれていますが、海外では感想に違いがありますか?
「海外では『コンビニ人間』を日本的なカルチャーの描写があるように読んでいただいたり、フェミニズム的な問題を扱ったものだというご感想をいただいたりすることが多いように思います。ですが、なんらかの“生きづらさ”を抱えた人に、大切に読んでいただけることがあって、そこはあまり国によって違いはないように感じています。
ほかには、カップルではなく男女3人で交際する関係性を描いた『トリプル』という小説を読んだ方が、“私も同じような恋愛をしています”と言いに来てくれたこともありました。また、“村田さんの小説を読むことで日本語の勉強を始めました。サインの宛名も日本語にしてください”と言ってくださる方もいて感激しました」
──新刊の『信仰』に収録されている短編の多くは、初めて発表されたのが日本ではなく海外の雑誌です。これは最初に村田さんが日本語で原文を書いて、それを翻訳されたものが、原文より先に発表されたということですか?
「はい。『信仰』に収録された小説とエッセイ全8編のうち、6編がそうです。翻訳家さんを信頼しているので、私はいつもどおり日本語の小説をのびのびと書いて、翻訳家さんに原稿を預けています。
それを読んで、日本語ならではの表現や、主語が不明な箇所などをリストにして私に質問してくれる翻訳家さんもいます。翻訳というのは、原作の『声』を大事にしてくださっている一方で、そのために大変な工夫や創造が必要なお仕事なのだろうな、と尊敬しています。翻訳家さんのお仕事の手助けができるよう、質問に一つひとつ丁寧に答えることを常に心がけています」
『信仰』の主人公が放ったある言葉が物語を導いた
──新刊の最初に収録されている表題作『信仰』は、ダークな作風の小説に贈られるアメリカの文学賞『シャーリイ・ジャクスン賞』にノミネートされています。途中まで主人公は一般的な女性だと思っていたら、好きな言葉が「原価いくら?」だと言い出して、“この物語における一般的ってなんだろう“と考えさせられました。
「私は小説の流れを決めずに書き始めるタイプで、登場人物たちを頭の中にある水槽に入れると自然に動いて物語が展開していくので(※インタビュー第1弾参照)、『信仰』を書き始めた段階では、主人公がここまで現実への信仰に振り切っている人だとは思いませんでした。彼女の妹が中盤で、“お姉ちゃんの「現実」って、ほとんどカルトだよね”と言ったとき、頭がすっきりして、物語がどこへ向かうのか決まったような感覚になりました。
それから構想段階での主人公の似顔絵を描き直して、小説の前半部分も整えて修正し、完成に至りました」
──『信仰』は冒頭の「なあ、俺と、新しくカルト始めない?」という言葉から衝撃的でした。カルトというと恐ろしいイメージがあるのですが、主人公と、主人公の中学生時代の同級生が、あるものを真摯に「信仰」する姿はとても印象的でした。
「私は小説を教会のように思い、書くことを通して“信仰”しています。この作品に出てくる2人の女性も何かをすごく信じている人なのですが、その“信仰”をばかにする人物も登場します。その人は信仰を踏みにじる異分子だったからか、終盤、気づけば物語の中で潰されていきました」
悲壮感のある物語になるはずが予想外の結末に
──先ほどおっしゃっていたように、書いているうちに物語が自然と動いていったのですね。『信仰』に収録された作品のうち、特に予想外だったのは?
「『生存』です。アメリカの出版社からの依頼を受け、テーマが“地球温暖化と社会的な不平等の相互関係”と提示されて書き下ろした小説で、65歳になったときに生きている可能性を数値化した“生存率”によって人間の価値がA/B/Cと分けられる世界を描写しました。
生存率がAの恋人を持つ、生存率Cの女性の物語なので、悲しい味わいになるのかなと思って書いていたら、最後に主人公が思いがけない一面を見せ、作者である私自身も彼女の行動力に驚かされました。まさに予想外のところに引きずられた感覚がありました」
──結末まで読んで「ものすごいパワーを持った小説だな」と圧倒されました。また、『生存』には野性の人間「野人」が出てきます。次に収録されている『土脉潤起』(どみゃくうるおいおこる)にも野人が登場しますが、これは連作ではないですよね?
「はい、よく聞かれるのですが異なる世界での物語です。どちらにも野人が登場するのは意図的にしたことではなくて、気づいたら書いていたので、きっと私自身が野人に興味があるのだと思います(笑)。
『土脉潤起』は構想の段階で、以前に書いた3人で恋愛をする男女の物語『トリプル』のことが頭にありました。『トリプル』の場合は男性が2人、女性が1人のヘテロセクシャル(異性に対して性的な感情を抱くセクシュアリティ)の要素が含まれている関係性を描いた物語だったので、それとはまた違う、女性3人の物語を書きたいとずっと思っていて。
恋愛感情を抜きで家族になった3人の女性が一緒に生活をして、そのうちの1人が人工授精で子どもを産もうとする……『土脉潤起』で描いた家族のかたちは私の理想としてあるようで、構想の段階でぱっと頭の中に出てきました」
新型コロナで「実験されているような感覚」を味わった
──『信仰』に収録されている短編はすべて2019年から2021年までに発表されたもので、新型コロナの流行によって世界中に不穏な空気が漂っていた時期と重なりますね。村田さんの生活や考え方に変化はありましたか?
「誰かが世界中を対象とした大きな心理実験をしていて、自分も試されているのではないか、というような感覚になりました。例えば昨年、新型コロナによる制限が緩和されたとき、朗読ツアーでドイツ、スイス、デンマークをまわったのですが、つけるマスクの形が日本と違っていたり、道路や公園ではマスクをしていなかったりして、その国の情報や状況によって行動が異なっていました。
自分も現地の状況に順応していたのですが、帰国したとたん、日本でみんながつけている形のマスクをきちんとつけて歩いている自分がいて。“自分の意思だと思っていたものは、実は違っているのかもしれない。環境で人は変わるし、自分に入ってきた情報にコントロールされている気がする”と、怖くなりました」
──確かにいろいろな情報が目や耳に入ってきて、私も“この人が言うことだから大丈夫だろう”といった分け方をしていないかな、などと不安になることがありました。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が発令されていた時期は、どのように過ごしていましたか?
「以前はたびたび私の著作が翻訳されている国へ行って、現地の読者さんや海外の作家さんと交流していたのですが、それができなくなり、友だちを含め人と話すのはすべてオンラインになりました。
最近、ようやく喫茶店のテラスなど換気のいい場所を選んで、少人数で友だちと会えるようになって。そのとき、“直接、誰かに会うのはとても大切なことだったのだな”と気づきました」
海外の読者や作家と、英語でも交流したい
──今も世界中のファンが村田さんに来てほしいと願っていると思うのですが、今後、海外に行くご予定はありますか?
「今年は再びデンマークを訪れることができそうです。
これは新型コロナの流行前からなのですが、海外の読者さんや作家さんとは英語で交流ができたほうが、感想をより詳しく聞いたり、創作についての深い話をしたりすることができるので、英語を学び続けています。
英語圏以外の国でもスラスラと英語を話せる方が多いので、英語の勉強は今後も頑張りたいなと思っています」
──世界中の読者さんのことを大切に思われているのが伝わってきます。日本でも新作が発表されるたびに村田さんのファンが増えていますね。国内でこれからしたいことはありますか?
「私が書く小説はそこまで長いものは少なくて、いつか徹底して長編小説を書きたいと願っていたのですが、現在『すばる』(集英社の月刊文芸誌)で連載中の『世界99』が思いのほか長くなってきたので、この作品でその夢はかなえられそうです」
書くことは仕事ではなく、私にとっての大切な“儀式”
──『世界99』は、ラロロリンDNAをもつ「ラロロリン人」という人たちへの、社会の態度のめまぐるしい変化が非常に印象的です。
「はい。今まで私が書いた中でいちばん長い小説になりそうです。『世界99』の完結後は、次に出版社さんとお約束している小説があるのでその執筆を始めて……と考えています。書く場をいただけるのはありがたいことです。一方で、もし小説が売れなくなっても、私は書き続けるつもりでいます。
私はもともと、小説を書くことを仕事だとはあまり思っていないんです。小説家として生計を立てられなくなったら、またコンビニなどでアルバイトをしながら書き続けると思います」
──「著作が売れてほしい」というより、「自分が書きたい小説を出したい」という気持ちに近いのでしょうか?
「“出す”のももちろん私にとって大切なことですが、それ以上に、“作りたい”という思いが強いような気がしています。世の中に出す著作だけが自分の創作のすべてではなくて、頭の中で、とりとめのない物語もずっと作っています。頭を休めるために夜、物語を思い浮かべて展開させると、なんだかとてもリラックスして寝ることができるんです。
自分がおばあさんになったときの理想像でもあるのですが、想像の世界でこの物語を作り続けながら年を重ねていきたくて。誰にも読まれない物語も、私にとって大切なものです」
──今や村田さんの小説はいろいろな国で読まれ、アメリカの文学賞にノミネートされるほど世界的な評価を受けていますが、村田さんの小説を執筆するときの思いはずっと変わらないのですね。
「子どものころからずっと、小説を書くことを大切な“儀式”のようにとらえていたので、たぶん10年後、20年後も変わらず小説を書き続けていると思います。こののんびりとした感じをずっと保っていたいですね」
(取材・文/若林理央)
《PROFILE》
村田沙耶香(むらた・さやか) ◎1979年、千葉県生まれ。玉川大学文学部卒。2003年に『授乳』で群像新人文学賞優秀賞を受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞、2016年『コンビニ人間』で芥川賞を受賞。著書に『マウス』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』『生命式』『変半身』『丸の内魔法少女ミラクリーナ』、エッセイ集に『きれいなシワの作り方』『となりの脳世界』などがある。