2月23日、天皇陛下は62歳の誕生日をお迎えになった。
事前に皇居・宮殿『石橋の間』で開かれた記者会見に臨まれた陛下は、日本画家の前田青邨が描いた『石橋』を背景に終始穏やかなご表情だった。
会見の冒頭ではこの1年を振り返り、新型コロナで亡くなった人々やその遺族などに哀悼の意を示されて、医療関係者らをねぎらった。
「誰もがお互いを思いやりながら、痛みを分かち合い、支え合う努力を続けることにより、この厳しい現状を忍耐強く乗り越えていくことができる」とも述べられた。
続いて、名誉総裁を務められた東京2020オリンピック・パラリンピックでは、多くの関係者の尽力に敬意を表されて、
「国境を越えた選手同士の交流が各所で見られたことにも感慨を覚えました」と、ご自身が子どもの頃にご覧になった札幌冬季オリンピックの思い出を交えて語られた。
陛下のご関心が高いといわれてきた気候変動問題の改善やトルコの震災ついても述べられ、今年、発生から間もなく11年目を迎える東日本大震災については、
「雅子(皇后陛下)と共に、引き続き被災地に心を寄せていくつもりです」と道半ばの復興のなか、近年は精神的サポートが必要な人たちがむしろ増えているということも話した。
今後の公務においては、オンライン活用を続けていかれるという。一方、コロナ禍で人との関係がじかに会うなど難しい状況のなかであっても、
「皆がお互いのつながりを大切にしながら、心に希望の火を絶やさずに灯(とも)し続け、更には、国や地域の境界を越えて人々や社会がつながり、お互いを認め合い、支え合える年になってほしいと願っています」と希望をされた。
上皇上皇后両陛下から受け継がれた沖縄への思い
今年5月に本土復帰から50年となる沖縄については、
「幼少の頃より、沖縄に深い思いを寄せておられる上皇・上皇后両陛下より、沖縄についていろいろなことを伺ってまいりました」とはっきりと述べられた。
子ども時代の沖縄との関わりについては、
「毎年夏を過ごした軽井沢での沖縄の豆記者の皆さんとの交流がありました。そうした機会は、幼少の私にとって、沖縄について知るとても良い機会でした」と振り返られた。
愛子内親王殿下も5歳の時から、総理官邸や国会議事堂などを取材する小中学生から選ばれた「豆記者」と懇談されてきた。沖縄県から派遣された豆記者から沖縄の歴史などの話を実際に聞かれることの大切さを、陛下から受け継がれて学ばれてきたのかもしれない。
陛下は沖縄の苦難の歴史を「決して忘れてはならない」とし「今まで沖縄がたどってきた道のりを今一度見つめ直し、沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたいと思います」と意欲的に語った。
そして、多くの人が沖縄の歴史や文化などへの理解を深めていくことも訴えられた。
「会見は、昨年同様に予定通りの午後5時からのスタートでした。北京オリンピックの閉会式が終わってからというタイミングで、押し迫った21日に会見が行われたのではないでしょうか。コロナ禍でお誕生日の一般参賀が行われないことから、多岐にわたりお考えを述べられるとは想像していましたが、昨年よりもさらに長く言葉に力強さを感じました」(宮内庁担当記者)
陛下を一番悩ませた「質問」と「回答」
会見は、昨年10月に結婚した眞子さんと小室圭さんについても質問が及んだ。陛下はふたりについて、
「今後、幸せな人生を歩んでいってほしいと思いますが、同時に、この間、多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています」と述べられた。
陛下が「心苦しい」と踏み込んだ表現をなさったことに驚いた。
「これまで秋篠宮皇嗣殿下も眞子さまも関係者らに労をねぎらったことはあっても、国民に対して心配をかけたと述べられることはありませんでした」(宮内庁担当記者)
実は宮内庁関係者によれば、陛下は会見前の宮内庁担当記者からの質問の中でも、この眞子さんの結婚についてどのように答えるかをいちばん悩まれたという。
「陛下にとって眞子さんは、今でも可愛い姪であることに変わりはないでしょうし、皇后陛下もとても心配なさってきたと言います。ただ結婚に至るまで長期的に異例な対応が続いたことや一時金が支払われず儀式も執り行わないということで、関係者だけではなく国民へも心配をかけているのではないかと思っておられた。結果、皇室の長として、国民への言葉をためらわずに述べられたのです」
このような陛下のお気持ちを眞子さんと小室圭さんは、どのように受け止められているのだろうか。
週刊誌やインターネットの書き込みについは、表現の自由を尊重しつつ、
「他者に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要があると思います。他者の置かれた状況にも想像力を働かせ(略)、尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願っております」と述べられた。
雅子皇后陛下が皇太子妃時代に、眞子さま以上に長期にわたり多くのメディアから批判され続けてきただけに、見守り続けてきた陛下の言葉は重かった。
両陛下にとって大切な愛子さまの存在
昨年12月に成年皇族となった愛子さまについては、無事に諸行事を終えられて、
「私たちも安堵(あんど)しました」と笑顔を見せられた。
「いつの間にか二十歳(はたち)という年齢を迎え、大人の仲間入りをすることになったことを感慨深く思いました」
ご成長までに印象深かった出来事として、学校行事で沼津(静岡県)の海で3キロの遠泳を果たせたことや、修学旅行で広島県を訪れた時に受けた衝撃と平和を願って書かれた作文を挙げられた。現在のご様子として、
「愛子は、家族との時間を大切にしてくれており、愛子と3人でいると、私たちの団欒(だんらん)は、笑いの絶えない楽しいものになっています」
と両陛下にとって愛子さまの存在はとても大切であることが分かる。
愛子さまが20歳を迎えられた12月1日の夜、両陛下はどちらからともなく、ご自分たちも子離れしていかなくてはならないことを冗談で語られたという。
(取材・文/友納尚子)