映画や舞台の衣装のようなヨーロッパのアンティークファッション。海を隔てた日本で、その本物にこだわって収集と研究を続けているのが、「衣服標本家」として活動する長谷川彰良さんです。
18世紀や19世紀の稀少な洋服をコレクションするだけでなく、バラバラに分解してその構造も研究し、ファッション史の専門家から喜ばれることも。今では『半・分解展』という企画展を継続的に開催しています。なぜ海の向こうの古きファッションに魅せられたのか、その原動力を聞きました。
服飾専門学校時代に出合った1着の消防士の制服
長谷川さんは、自宅を兼ねたアトリエに18~19世紀を中心にした、欧米のアンティークファッションを所蔵している。貴族が着用するようなロココ調の衣装から、軍服、日常服に至るまでさまざまで、すべて当時に着用されていた本物だ。簡素な和室の中にずらり並んだ映画に出てくるようなドレスやコート。ミスマッチのようでいて、畳の素朴なレトロ感ともマッチしておもしろい。これらを見比べるだけで、近世から近代にいたるファッションの移り変わりを知ることができる。
長谷川さんがアンティークファッションに惹かれたきっかけは、服飾の専門学校生時代に出合った、20世紀初頭のフランスの消防士が着用していた制服のジャケットだった。
「専門学校ではスーツのパタンナー(デザイン画などから服の型紙を作る人)になるために学んでいたんですが、古着屋で見つけたその服が気になって買って分解してみると、現代の高級スーツにも使われているような仕立ての技術が使われていたんです。
昔の服ですからもちろん手縫いですが、今ではオーダーメイドの高級スーツでしか用いられないような高度な技法が、当時は人々の衣服にふんだんに使われていたことに感動すら覚えました」
もともと中学生くらいのころから、軍服やジーンズなどヴィンテージファッションに興味があったという長谷川さん。ただ、決してトレンドの先端に身を置いていたわけではないようだ。
「中学生のころ住んでいた茨城県の町では誰も理解者がいませんでした。古着屋で購入したなけなしのスタジャンを家族がボロボロの服と勘違いして、返却しに行くなんてこともありました」
そんな環境でもレトロなモノ、そしてスーツへの興味を忘れなかったところは、今の探求心の強さにも通じる。アンティークファッションへの興味はこの消防士ジャケットとの出合いで加速し、本物を知りたいという熱意が芽生えていった。
縫製の技巧にびっくり! 服飾の技術者ならではの視点
長谷川さんは専門学校時代はスーツのパタンナーの勉強をしていて、2011年に卒業後、会社員として東京のアパレルメーカーで紳士服のパタンナーとして勤務。パタンナーとしての実務経験もあった。この経験と視点が、本物の衣服を分解し研究する長谷川さんならではの活動につながっていく。
「昔の衣服はお針子の女性や仕立て屋の男性たちの手縫いでつくられています。分解してみると、そういった細かな縫製技術が使われていることがわかるんです。縫製も機械化が進んだ現代ではロストテクノロジーのようでもありますね」
2016年の10月にフリーランスで衣服標本家として独立した。海外の専門ディーラーとの交渉で本物を収集するようになり、18世紀や19世紀の欧米ファッションの流行史がわかるようになってきた。
18世紀のロココ時代の貴族衣装「アビ・ア・ラ・フランセーズ」や、軍服を思わせる男性用上着の「ジュストコール」、明治時代の日本陸軍も採り入れた「肋骨服」と称される軍服などもアトリエにはある。
女性服ではナポレオン時代のスレンダーなエンパイア・ドレスや、スカートを豪華にふくらませた19世紀中盤のクリノリンスタイルのドレス、ヴィクトリア朝時代に流行したバッスルスタイルのドレスなど。いずれも本物で、博物館さながらの品ぞろえだ。
これらはただデザインが違うだけでなく、人々の美意識までもが衣服とそのデザインからわかってくると語る。
「18世紀のロココの時代は、今でいうベストやジャケットはゆったりとしたシルエットでつくられています。例えば詰め物もないのにお腹のところが突き出していたり。貴族の時代なので色使いも華やかですね。
これがフランス革命を経て19世紀前半になると、身体のラインにぴっちり沿ったデザインで、肉体美を目立たせるものになります。だから19世紀中ごろまでの男性服のシルエットは逆三角形で、ウエストはかなり絞ったつくりになりますね。
ロココの時代から新古典主義や人文主義の時代になって、身体への美意識も変わります。現代のスーツになっていく過程で、こんな歴史があるんです」
もちろん、コレクションを集めるのは並大抵ではない。価格が7桁にのぼる、イギリスの美術館所蔵のドレスを長谷川さんいわく「おばあちゃんディーラー」から紹介されたことがある。彼女は長谷川さんのインスタグラムを見て活動を知り、「お代は後でいいから、まずは本物を見なさい」と、現地から海を越えて先にドレスを送ってくれたとのことだ。多数の海外ディーラーと取引してきた長谷川さんにとっても初めてのことで、最も印象深い人物だったと話す。
パタンナーのスキルを持っているだけあって、長谷川さんの視点は縫製技術にも注がれている。
「18世紀から19世紀に時代が変わると、びっくりするほど緻密で丁寧な縫製でつくられるようになります。特に19世紀中盤からは現代の既製服のように衣服の大量生産が始まる時代なのですが、それら1着ずつを当時はまだ手縫いでつくっていました。今はごく一部のオーダーメイドファッションにしか残っていない縫製のテクニックが使われていて、私が学んできた現代ファッションともつながっていると実感できるのも楽しいですね」
アンティーク衣装の型紙も作ることができるので、型紙から当時の衣服を再現することも可能だ。
「分解したものを当時の技法でもう一度縫製しつつ、少し現代風にアレンジすることもできるんです」
また、ファッションに関するこんな発見も。
「現代の女性服はポケットがない、あるいは少ないものが主流ですが、19世紀の日常の衣服ではポケットもちゃんとついているんです。なくなった理由はいろいろ推測されていますが、シンプルにコスト面で手がかかるようになったから徐々になくなっていったのかなと思います」
歴史学や美術の視点とはひと味違う、職人ならではの視点からアンティークファッションの文化をひも解いていく。
西洋アンティークの本物に出合える! 研究者も注目
衣服を実際に分解して調べてみることで、ファッション史の研究者とはまた異なる、長谷川さんならではの発見を発信してきた。アンティークファッションをコレクションしてSNSで発信していくことで活動の幅も広がり、プロの研究者とも情報交換するようになってきたとのこと。
「研究者の方からも、“本物を手に取って調べられるのは貴重な機会”と役立ててもらっています。博物館や美術館でも、なかなか本物の衣服に触れる機会は少ないので、史料的価値も提供できているのかなと。他には西洋ファッションや、映画や舞台が好きな方も私の『半・分解展』に来ていただいています」
所蔵のコレクションを展示する『半・分解展』は2016年に始め、これまでに東京だけでなく京都・大阪・名古屋・福岡でも開催してきた。2022年は東京と福岡で開催。服飾の専門学校や公共施設を借りつつ、長谷川さん制作の試着サンプルで当時の着心地も体感できるものに。
「私が昔の衣服を手に取ってみたときの感動を少しでも伝えられれば、という気持ちで始めたのが『半・分解展』です。ファッション業界や研究者の方々の協力もいただいて、継続的に開催できるようになりました」
紳士服の原点は1666年のイギリスにあり
こうして服飾史にかかわる仕事や、ファッション業界で収集の成果をプレゼンする仕事も受けるようになり、フリーランスで幅広く活動中。しかし長谷川さんには、コレクションを続ける中でひとつの目標があるそうだ。
「今は18~19世紀の衣服が多く集まっていますが、スーツの原点になった17世紀イギリスのチャールズ2世時代のファッションに出合いたいです。
1666年10月7日に国王チャールズ2世が『衣服改革宣言』を発します。今後はこれまでの宮廷衣装とは違う、新しい衣服を着用するというものでした。服装の簡素化を意図したこの宣言で、貴族のファッションに現代のスリーピーススーツの基本スタイルが生まれました。
例えば派手に見える18世紀のベストも、見えない背中や袖には刺しゅうのない薄い生地を使っていて、現代と同じ発想で作られています。デザインはまるで違いますが、ロココ時代のアビ・ア・ラ・フランセーズも、現代のスーツと同じく上着・ベスト・ズボンで成り立っているんです」
チャールズ2世の衣服改革宣言がスーツの基本スタイルを作ったことにちなみ、1666年がスーツ誕生の年、10月7日はスーツの日とされる。フリーの研究家として独立した2016年10月はこの宣言から350周年でもあった。
長谷川さんは今も、ファッション業界に進む原点だったスーツへの興味を忘れていない。貴婦人の華やかなドレスの陰に隠れていたかもしれない男性服のジャンルにも着目し、コレクションと研究を続けてきた。紳士服350年の歴史を体感し、現代に蘇らせる取り組みは続く。
(取材・文/大宮高史)