新人の精神科ナースがさまざまな患者さんと関わり合いながら人間の“こころ”と向き合う様子が描かれ、精神科についての先入観をなくしてくれる『こころのナース夜野さん』(小学館刊)。書店員を中心とした有志による漫画賞「マンガ大賞2022」にもノミネートされました。
作者の水谷緑さんは、精神科の医師やナース、専門家に取材をして、当事者研究や訪問看護にも同行、自ら取材交渉をすることもあります。
また数年前、自分自身が乳がんだと診断され、医療を受ける当事者になった経験もある水谷さん。心身の痛みに苦しむ人や、彼らを治療する医療者の心に寄り添う漫画を、どのようにして作りあげるのでしょうか。取材や漫画制作の過程で意識していることや、今後の展望についてインタビューしました。
【水谷さんが漫画家を志し、精神科に興味をもったきっかけや、忘れられない出来事については、第1弾の記事で語っていただいています:父親の死に直面し30歳でOLから漫画家に転向、水谷緑さんが描く「人のこころ」と「精神医療」】
治療をしてハッピーエンド、とはいかない精神科
──精神科をテーマにフィクション漫画を描くうえで意識していることは何ですか?
「どのような人にもある“ダメな部分”を自分の目で見たくて取材をして、“人間って、こんな個性があるんだ”、“こういった状況になると、こんなふうになるのか”と実感しながら漫画を描いています。
ただ、実は私の中に自信のなさがあって、他人からの意見をくみとりすぎてしまったり、“真面目に描きすぎているのかな”と反省したりすることもあるんです。
それから、精神疾患は全快が難しい病気。一度退院しても再入院になる人もいるのが精神科病棟です。だから、“ハッピーエンドの話にしないといけない”という気持ちを持ちすぎないようにしています」
──現在連載中の『こころのナース夜野さん』はマンガ大賞2022にノミネートもされましたし、生きづらさを抱えている読者の救いになっていると思います。
「ありがたいですね。今後は精神科に興味がない人にもこの作品を読んでほしいと考えているので、エンターテインメント要素を取り入れたほうがいいのかな、と考えることもあります」
精神疾患に対する先入観をなくしたい
──『こころのナース夜野さん』のための取材で興味深かったことはありますか?
「作中にも出てくる、DVをした父親の会にいる方たちは、実際に行って取材をしたとき、“どこにでもいそうな人たちだな。むしろ、合コンとかに行ったらモテそう”と思いました。
薬物依存症の方にも同じ印象を持ちました。モデルにした方は親御さんがお金持ちで名門大学を出ているのですが、寝ないで働きたいからという理由で覚せい剤に手を出し、だんだんとエスカレートしたと言っていました。
薬物依存症は反社会的なイメージを持たれますが、その人は異常なほど真面目な方だったんです。
精神疾患に関しては、本当にビックリするような事例もあるため、想像できる範囲で勝手に描いてはいけないし、自分自身も“実際に起きている、予想外のことを読者に伝えたい”という気持ちがあります」
──2巻では、優しくて周囲にも好かれていたのに突然、自殺してしまう人や、父親から性的虐待を受けたのに「自分も快楽を感じたんじゃないのか」と自身を責める人が登場して印象に残っています。
「優しい人の話は、モデルにした患者さんが何人かいます。医療者に話を聞きながら、“すごく優しい人が自殺するのはなぜなのだろう”とずっと考えて続けて得た答えが、“人の心って、キャパシティが決まっているのかもしれない”というものだったんです」
身体と同じで精神にも寿命があるのではないか
──作中にある「身体の寿命があるように、精神にも寿命があるんじゃないだろうか?」という言葉は、その気持ちを言語化したものだったんですね。
「強いとか弱いとか関係なく、身体には寿命があり、精神もそうなのではないかと思いました。
もうひとつの話は、性的虐待を受けて育った女性の一時期を切りとったエピソードです。彼女は虐待を受けながらも快楽を感じたことに罪悪感を抱き、加害者である父親と共犯者であるかのような意識になります。これはよくあることなのですが、あまり知られていなくて。
──私も「虐待を受ける人はみんな苦痛を感じているはずだ」と思っていて、あのエピソードを読んで、自分の中にある先入観に気づきました。
「刺激や快楽を感じるのは心身が自分を守ろうとするからで、性的虐待の被害者は何も悪くないのだ、と伝えたかったんです」
精神科の医療者も「心の病の鍵を握る存在」
──水谷さんは患者さんだけではなく、医療者のメンタルにも目を向けていますね。
「今、実際に医療者同士の対話の会に参加しているんですよ。“みなさん、いろいろなことを思って我慢もしているのだな”と感じ、医療者もひとりの人間であり、心の病の鍵を握る存在なんだと思いました」
──一方で、あえて患者さんと人間関係を築こうとしない側面もあるのかな、と読みながら感じました。
「精神病棟では、患者さんが部屋着を着ているし、“自分は患者さんを指導して導いてあげる存在“と思い込み、患者さんとの間に自然と上下関係を生むことでアイデンティティを保っている医療者もいるようです。でも、同時にそういった関係性に自覚的でありたいと考える医療者も数多くいます。
いま描いているエピソードは医療者のメンタルケアをテーマにしたものなんですが、私は“医療者って、自分のことをあまり話さない方が多いな”と思っています。彼らは医学部や看護学校で“主観や感情で動かず正しい情報を提供しなければならない”と指導を受けているため、つらくなっても周囲に言わないままでいる人も多いそうです。実際に、医療者の心のケアをしようという動きもあまりないんですよ
ただ、私が描いているのはあくまでも創作漫画なので、医療者の主観も大切にして描くようにしています」
乳がんになってわかった、友人や理解者の大切さ
──数年前、水谷さんは初期乳がんと診断され手術をして、自らも治療を受ける当事者になりましたね。
「仲のいいナースに相談したら“初期で見つかってよかったね”と言われて、こちらは初期でも不安で怖かったのに、友人というより医療者としての視点で反応するんだ、とショックでした。
でも、親身になってくれる医師もいたし、“友達がいれば気持ちの面で病みすぎないで済むんだな、大丈夫だ”と思えることもありました」
──病気になった友達に声をかけるなら、どんな言葉がベストだと思いますか?
「私の場合、地方に住んでいる友達から“手術が終わったら一緒に味噌を作ろう”と言ってもらえたことがいちばん嬉しかったです。
病気にフォーカスしすぎず、いつもどおり接しながら、どんな治療を受けるのか客観的に聞いてくれたり、“手術するんだね、困ったらいつでも言ってね”って伝えてもらったりしたのにも励まされたので、病気になった人にかける言葉としていいのではないでしょうか。
やめたほうがいいのは、無反応になること。つらいときは、“この人は自分に興味を持ってくれているんだな”と感じたかったので」
──のちにその体験をコミックエッセイ『32歳で初期乳がん 全然受け入れてません』(竹書房刊)にしたときは、どのような工夫をしましたか?
「がんの闘病で経験したことをマイルドにせず、“正直に、ありのままを全部描くぞ”という使命感がありました。
自分も病気になったことで、病気の人に“みんないろいろあるよね”という気持ちで話を聞けるようになり、病を患った人とのあいだに仲間意識のようなものが芽生えた気がしています」
──取材のときは「自分も病気になったことがある」と言うことで距離感も自然と近くなりそうですね。ほかに日常生活では、どのようなときにほかの人との仲間意識を感じますか?
「乳がんになる前からそうだったのですが、人間、誰にでもダメな部分があるとわかったときです。それを知ると愛着がわきますよね。
例えば、人生がうまくいっているように見える人と会っても個人的には興味を持てませんが、そういう人が失敗している姿を見ると“人間らしいな、可愛さがあるな”と感じるし、そんなときに人間としての距離の近さを感じます」
意識して自分の心の声を聞くようにしたい
──乳がん治療をへて今、精神科の漫画を描きながら考えることはありますか?
「取材などを重ねる中で、重めの精神疾患がある方は、“ありがとう”と“ごめんね”が言えなくなると気づきました。だからこそ、その2つの言葉は意識して使いたいし、自分の子どもにも大切にするように教えながら育てたいですね。
それと、私は無意識のうちに自分の気持ちを抑え込みながら我慢して頑張って、最終的に爆発してしまいがちなんです。頑張っている最中は、なぜか気づかないんですよね。
だから今の自分は(我慢をしないように)自分のやりたいことを大事にして生きているし、今後も自分の感情の声をちゃんと聞くようにしたいです」
──いま気になっているテーマは何ですか?
「医療とは異なるのですが、不思議なものだと感じているのは“女性の性”です。それと、今は実在のモデルがいるオリジナル作品を描いているので、漫画家としては、恋愛漫画などゼロから設定を考えてエンタメ作品を作る練習をもっとしたいです。メンタル関連では、何かを書く人限定の対話の会を開いてみたいと考えています。書く仕事をしている人は、いつもひとりで作業することが多いので、それぞれが考えていることや孤独感、悩んでいることを共有したいですね」
──書く人だけの対話の会、実施されたらぜひ私も参加したいです! 『こころのナース夜野さん』の今後の展開についても教えてください。
「今まさに、夜野さんが医療者の対話の会に参加するエピソードを描いています。ナースの夜野さんも精神病棟で働くうちに、自分の情緒をどのように安定させればいいか、悩むようになるんです。患者さんのこころについて言及されることは多いのに、その回復のために働く医療者のこころについて世間が目を向けることは、なかなかありません。そういった意味でも意義のあるエピソードにしたくて描いているので、いろいろな方に読んでいただいて、理解が進めばいいなと思っています」
(取材・文/若林理央)
【PROFILE】
水谷緑(みずたに・みどり) ◎神奈川県生まれ。2013年にKADOKAWA/メディアファクトリーの「コミックエッセイプチ大賞」を受賞。翌年、受賞作を『あたふた研修医やってます。』として書籍化し、デビュー。著書に『精神科ナースになったわけ』(イースト・プレス刊)『大切な人が死ぬとき』(竹書房刊)『32歳で初期乳がん 全然受け入れてません』(竹書房刊)など。現在、『月刊!スピリッツ』で『こころのナース夜野さん』(小学館刊)を連載中。
ホームページ→https://mizutanimidori.com/
Twitter→@mizutanimidori