学校側と東宮職の話し合いが続き、雅子妃が病をおしながら愛子さまに付き添われて登下校なさるようになった。
マスコミからは「公務はできなくてもお付き添いはできるのか」と批判されたが、雅子妃の付き添いは続いた。
のちに、そのときの胸中を「与えられた状況の中で唯一とれる可能性として続けてきたものでした」と説明。実際に、愛子さまが5か月ぶりに学校へ行ける日も出てきた。
3年生の9歳のお誕生日には、おひとりで写真撮影に臨まれた。公開された3枚の写真には、笑顔の写真と書道の練習をなさるお姿が写っていた。
「愛子さまは、撮影のときには堂々となさっておられました。立派になさらなくては、という自覚があったようにお見受けいたしました。書道を習い始めたころから、文字が大きくてのびのびとなさっていましたが、9歳になってもしっかりとした文字で、上達されていました。皇族としてのご自覚が芽生えていらっしゃることを、何回も練習なさったという文字からもうかがえました」(当時の東宮職)
わが子を信じて添い遂げ続ける
4年生になると、愛子さまの不規則登校があと少しで通常になるかもしれない、というところまで来ていた。
雅子妃は、愛子さまがお友達と行きたがっていた2泊3日の郊外学習で山梨県山中湖村へ行くことに賭けた。
通常、保護者は同行しない行事だったが、雅子妃はお付き添いを決心された。メディアから“母子密着”、“異常な親子”などと批判を浴び続けたが、後の会見で「このことが学校に戻るための自信と励みになった」と、きっぱり語った。
子どもが困難な状況に陥ったときに、言葉で強く叱(しか)るだけではなく、あきらめて放っておくのでもなく、子どもを信じて添い遂げ続けるという信念が感じられた。
小学校6年生の初等科最後の運動会で行われた組体操で、いちばん下の列で歯を食いしばって、上に乗った生徒を支える愛子さまの姿は印象的だった。
雅子妃は、愛子さまのご様子や頑張っている生徒たちをご覧になって、涙を浮かべていた。お住まいに戻られてから、両殿下から改めて、
「本当によく頑張りましたね」
そんな言葉をかけられた愛子さまは、これを機にさらにご成長をされて、皇族としての意識が垣間見えるようになっていった。(続)
(取材・文/友納尚子)