昭和時代の名残を残す「純喫茶」を愛(め)でる難波里奈さん。普段は会社員として働きながら、仕事帰りや休日に全国各地の喫茶店をめぐっている。これまでに訪ねたお店は、なんと2000軒を超えるという。
いまやテレビや雑誌、そしてSNSなどで「純喫茶」という言葉を見かけることも少なくない。そうしたブームの立役者が難波さんで、2012年に刊行した最初の1冊『純喫茶コレクション』をはじめ、『純喫茶、あの味』『純喫茶とあまいもの』など数々の著作を発表してきた。
そんな難波さんに、2022年3月末をもってその歴史に幕を下ろした東京・神田の『コーヒーショップ カスタム』(以下:カスタム)で、閉店の前日にインタビューをした。純喫茶の魅力や通いつめることになった経緯、カスタムでの思い出と、長年の活動を経た現在の関心について話を聞いた。
若い女性をほとんど見かけなかった時代から純喫茶を“開拓”
──大学時代から昭和の古着やインテリアがお好きで、それがきっかけで純喫茶に興味を持たれたそうですね。
「心が惹(ひ)かれるのは、今はやっているものではなく、なぜか昔のものばかりだったんです。今もそうですが、洋服も、昭和のころに着られていたワンピースをよく着ています。『ゆらゆら帝国』というバンドがすごく好きで、ライブでよく見かけるカップルのファッションがとてもすてきだったんです。女性のほうを勝手に『夢子ちゃん』と呼んでいたんですけど、その方のワンピースがとっても可愛くて。“私も同じようなテイストの服が着たい”と思って、古着屋めぐりを始めました。
そういう格好をしていると、蛍光灯に照らされた明るいカフェよりも、純喫茶のようなお店のほうが、光の加減や自分の気分とマッチするなと思いました。そのことや、昭和の時代に使用されていた家具や雑貨が好きだったこともあって、いろいろな純喫茶に足を運ぶようになったんです。マスターと面識ができておしゃべりをするようになったら、さらに愛着もわくので何度も通ったりして。好きなお店がどんどん増えていきました」
──当初はお店に入りづらいとは思いませんでしたか?
「それは多少ありましたね。今はお店の名前を検索したら、SNSなどで多くの情報が出てくるじゃないですか。でも、私が行きはじめたころは、まず純喫茶に若い女性がいることがほぼなかったんです。サラリーマンや近所の人たちがたばこを吸って団らんしている場所でした。
ある対談で『難波さんは純喫茶の開拓者だね』と言われたんですけど、本当にそんな感じ(笑)。情報のないお店のドアをどんどん開けていく感じでした。勇気を出して中へ入っても、今度はお店の方が驚いていて(笑)。特に地方だと、顔見知りの地元の人しか来ないお店が多いんですよ。私が入ると“え、なんですか? 勧誘? お手洗い?”みたいな(笑)。用件を伝えて座らせてもらって、コーヒーを頼んでボーッとしていると、常連さんが珍しがって話しかけてくれたりしました」
──開拓していく中でわかった、純喫茶の魅力とは? 著書では「恋」をする、という表現もされていますね。
「通いはじめたら、お店によってそれぞれ違う魅力があることに気づきました。100人の店主がいたら、100の個性があるんですよ。チェーン店ではないので、メニューも内装もマニュアルも違う。行くタイミングによって変わったりもする。ものすごく奥深いんです。
最近は若い女性向けに、クリームソーダやホットケーキなど、インスタ映えするメニューがピックアップされることも多いですね。もちろん、それも好きなんですけど、私は照明や仕切りなどの内装に惹かれますね。“いったい中はどうなっているのだろう?”とわくわくしながら扉を開けて、圧倒的な内装が視界に飛び込んできたときの胸が震える感じは、何度味わっても誰かを好きになるような感覚なんです」
──特に思い入れのあるお店はありますか?
「いっぱいありますが、神田の『珈琲専門店 エース』は、純喫茶に通いはじめた原点のお店です。最初に訪れたエースでの時間がとても楽しくていい思い出だったので、ほかのお店にも行きたくなりました。みなさんニコニコしていて、いつも優しいんです。かといって、ベタベタする感じではなくて、適切な距離感で放っておいてくれる。コーヒーも、名物の「のりトースト」をはじめとするパンのメニューもおいしくて、いつ訪れてもお店が清潔に保たれている。自分の職場から近く、通いやすかったことも理由のひとつです」