遊びながら興味を持たせる

 両陛下は、日本の伝統的な遊びも欠かさずに教えられてきた。愛子さまは、かるたや神経衰弱から始まり、百人一首にいたっては、後に学習院女子中等科の大会では優勝されている。正月には、餅つきやたこ揚げ、羽根突き、書道などをなさるのも恒例だった。

 書道は専門の先生もいたが、雅子さまも教えられた。雅子さまの祖母の江頭壽々子さんは達筆で、孫たちに書道を教えたといわれている。愛子さまの字は大きく、雅子さまが幼い頃に書いた字と似ているそうだ。半紙いっぱいに書かれているのが印象的だった。

 天皇ご一家はスポーツ観戦もお好きだ。幼い頃からオリンピック中継をよくご覧になったという。陛下は幼児期から夕方になると相撲中継を見るのを欠かさなかったといわれる。

 昭和天皇も相撲好きといわれた。今では陛下と愛子さまがおふたりでご覧になることが多く、愛子さまはマニアとして知られている。4歳にして、力士の四股名だけでなくフルネームや番付、出身地まで覚えられていた。

 愛子さまは「愛子山」という四股名で陛下や職員たちと相撲を取ったそうだ。陛下も外国人力士の母国を訪問される前後には、地図でその国の位置を示されて、どのような国なのか写真をお見せになって話しをなさるという。

 両陛下は、愛子さまの幼少期には遊びながら興味を持たせ、学ぶ楽しさを教えられてきた。

お友達も増えて、笑顔で遠足にご参加になった。(雑誌協会代表)

不規則登校を乗り越えた初等科時代

 学習院初等科に通うようになってから報道陣の前で笑顔を見せられるようになった。だが乱暴な男子生徒の振る舞いから、2年生を機に不規則登校になってしまう。「学校に行きたくても行けない」という愛子さまに雅子さまの付き添い登校が始まった。療養中の雅子さまが付き添いをなさるということに批判が出ることは承知の上だったが、「今できることの最善策」として愛子さまを守り抜いた。

 専門家の中には「不登校から学校に行けなくなってしまうと、社会に出た時も集団行動が取りにくくなる」という見方がある。雅子さまのご体調が良くない日には、陛下だったり、職員だったり、愛犬の「由莉」も一緒だった時もあった。

 愛子さまの学校生活に光が差したのは、6年生の時。「学校で歴史の授業が始まり、修学旅行で奈良・平城宮跡などを訪問されましたが、このころから皇族というお立場を改めてお感じになられたようにお見受けします。殿下(現・陛下)とお話しをなさる機会も増えて、とても意気揚々となさっていました」(元東宮職)

 陛下は歴史研究家でもあるが、学校の教えがいちばん大切であるというお考えがあった。幼い頃から高いレベルの体験を積むというよりも、年齢にあった知識の習得を重視されていたように思う。愛子さまが授業でご関心が高まり、質問をしてきたタイミングで丁寧にお答えになっていたという。

 愛子さまは放送委員として校内放送を担当なさっていたが、その年の伊勢神宮二十年遷宮について紹介をすることになり、放送する原稿を事前に時間を掛けて書き上げられるなど準備なさったという。

「原稿が詳しいだけでなく文章が上手だったので、先生たちも驚いていました。愛子さまも伊勢神宮のことが紹介できて、実にうれしそうだったと言われています」(宮内庁担当記者)

伊勢神宮をご参拝。厳かな雰囲気のなか、神妙な表情で。(雑誌協会代表)

 2014年の中学生の時には、初めて伊勢神宮をご参拝。雅子さまにとっても20年ぶりのことだった。愛子さまは中等科のセーラー服姿で両陛下に続いて砂利道をゆっくりと進み、玉串を捧げて拝礼された。

 中学生活最後の夏休みは、神武天皇陵の参拝、登山などお忙しい毎日だった。両陛下と愛子さまの外出が増えればニュース映像がテレビから流れるようにもなる。