そういえば、先日、わたしが主催している団体の集まりに来た60代ぐらいの女性が、母も死にひとりになってしまい生きているのが辛い、と話しかけてきたので、わたしは言った。

「猫を飼いなさいよ。その日から明るく生きていけるから」でも、その女性にはあまりいいアドバイスではなかったようだ。猫を飼ったことのない人にはわからないので、今後は猫を勧めないようにしようと思う。

 振り返れば、わたしのひとり暮らしは幸せだった。泣くこともなく、死にたくなることもなく、いつも心が穏やかだった。それは、自分の力ではなく、猫の力を借りていたおかげだったのだ。

グレのいる風景こそがわたしの幸せの原点

 先生が静かに帰って行った。グレはいつも、お気に入りのスツールに座り、わたしを見ている。何も変わらないいつもの光景だ。夕飯の時間になると、テレビをつけ、ひとり晩酌するわたしをグレは飽きもせずに見ている。素敵な光景だ。そのいつもの光景が、失われようとしている。

 その日も、グレはスツールに座り、テレビではなくわたしを見ていた。しかし、その日は、もう見られなくなるかもしれないという気持ちでいっぱいになり、写真に残そうと、慌ててシャッターを切った。それがこの写真だ。なんて穏やかなのだろうか。グレとマミーの素敵な時間だ。

いつものように晩酌中のマミーを見つめるグレ

 人生というのは、特別なことではなく、なんでもない日常が大事なのだと思わされる。グレのいる風景。これこそがわたしの幸せの原点だったようだ。友達や家族とは違う大事な大事な存在、それがグレだ。

 グレの命が消えるかもしれない。毎日、わたしと一緒に暮らしてくれた相棒がいなくなる日が近づいている。わたしは受け止めることができるのか。不安がよぎる。先代のメッちゃんが亡くなったときの身を切られるような辛さがよみがえる。誰もいない家の玄関を開けることができず、昼は、ひとり代々木公園を彷徨い、夜は友達と遅くまで飲み、その勢いでベッドに飛び込む……あの辛さを再び味わうときが迫っていた。

*第13回に続きます。