仕事もプライベートもとにかく全力投球の日々をへて

 振り返ると、ちょっとした舵(かじ)取りをしながら、10年単位で人生を考えてきました。京都市立芸術大学を卒業し、20代は京都で作品制作に励んでいました。大学4年でデビューして東京のギャラリーとすでに関係ができていたこともあり、京都の狭い世界から脱出したいと考え、本格的にアート活動をスタートさせるために30歳で上京。

 31歳から、鎌倉にある海のそばのアトリエで仕事を始めました。雨漏りがするようなボロ家で、プレス機が濡れないよう室内に傘を立てて、作品を制作していました。他人には大変に見えただろうけれど、意欲満々の若いアーティストにとっては、なんの苦でもありません。30代のころは、「あとは野となれ山となれ」の気概がありましたね。

山本容子作品『おめでとう』('13年) 技法:ソフトグランド・エッチング、手彩色

 トルーマン・カポーティの小説シリーズを絵にしたのが27歳のときで、オリジナルのポートフォリオにしました。その後、「カポーティを山本容子が描いている」ということが編集者から編集者に伝わり、村上春樹さんのカポーティ翻訳本の挿画につながりました。30代、40代は鎌倉のアトリエで、いただいた仕事はほとんど受けていました。

 自分では、才能があるのかどうかもわからない。でも、仕事にはとにかく必死に取り組みました。そのうち、吉本ばななさんのベストセラー小説『TUGUMI』(中央公論社刊)や『世界文学全集』(集英社刊)、『赤毛のアン』(講談社刊)と大きな仕事が舞い込み、怒涛(どとう)のように制作を重ねていました。

 そのころは、プライベートにも全力投球で、料理教育機関『ル・コルドン・ブルー東京校』でフランス料理を習い、そのためにフランス語も始めていました。鳥の羽をむしるところから始めて、いずれは本場フランスの『ル・コルドン・ブルー・パリ』での最終過程に通うためにパリにアトリエを構えようかと、本気で準備をしていたんです。

山本容子作品『秋茜』('20年)

 60歳になったら、フランスに住んでいたはずでした。40代のころの移住の夢はどうなったの、と振り返っていたところ、友人が移住した北海道の富良野に行ってみたら、フランスの田舎に似ている。フランスの代わりに富良野にアトリエを建ててもいいかな、と夢がふくらんだこともありましたが、現実には '19年に、栃木県の那須にある名門ゴルフクラブの敷地内にアトリエ兼住居を作り、東京とゴルフ場との半々の生活になりました

 初めは、夫がゴルフ好きだったので、練習に付き合う程度だったんです。あるとき、何の気なしに受けた人間ドックで突然、がんが見つかって。まったく病気知らずだったのに、「転移していたら余命1年」と告げられ、55歳の誕生日には、なんと手術台の上にいました。「お腹を切ったあとは足腰を鍛えるといい」と主治医にゴルフをすすめられ、50代半ばで本格的に取り組むようになったら、すっかりハマってしまったんです。緑の中で4時間も歩けば季節を楽しめるし、クラブを振ることが適度な運動にもなります。

 ゴルフ場が庭って、ぜいたくですよね。気が向いたらすぐにプレーできるから、体力もつきます。クラブには、私より年上で、凛とした佇(たたず)まいが魅力的なプレーヤーがたくさんいらして、「自分も見習わないと」と励まされています。

ゴルフ場レストランのベランダからの風景。緑がいっぱいで、心身ともに癒されそう

愛犬と自然に囲まれながら、“驚きの循環”を楽しんでいきたい

 那須の家は木々に囲まれていて、東京とは違い、ダイレクトに自然を感じることができます。トンボが入ってきたり、ムカデが部屋で這(は)っていたり。獣や鳥の鳴く声とか、木の葉が風に揺れる音が、自然と耳に入ってくる。雨が降ると、雨音がものすごい勢いで襲ってくる。森の中で暮らすことは、とても賑やかなんだということがわかりました。一度死にかけたこともあってか、自然の中では、いかに自分は小さな存在なのか、とか、今日もなんとか生きているんだな、と実感するものです。

 そんな自然を喜んでくれるのが、愛犬のルカ。盲導犬になるには少し身体が弱い、そんな子犬の飼い主を探すネットワークで、足が悪くて盲導犬には向かない子を引き取ってから5年。以前に飼っていたルーカスは、捨て犬で、海のほうからうちの庭に迷い込んできて、うずくまっていたんです。忙しくて飼えない、と思いつつご飯をあげていたら、そのまま居ついてしまいました。亡くなってしばらくはペットロスだったのですが、新しい子犬はルカと名づけ、一緒にいるときには、ずっと話し相手になってくれています。

山本容子作品『冬牡丹』('21年)

 今までは、アーティストとして、人をあっと驚かすためにトリックを使ってきたわけですが、もう必要ないかなぁ、と。それよりも、自分を驚かすために絵を描く、そのほうが楽しい。どんな評価を受けるかは、どうでもいいと思えるようになり、ラクになりましたね。

 絵ひと筋で生きてきて、貧乏なときもあったし、売れた時期もあった。70代になれば、明日、この世からいなくなるかもしれない。これからの時間は、楽しく遊びたい。遊び続けるって、けっこう大変です。歳をとってからも、ワクワクできることにアンテナを張っていたいものです。

 古希を迎えて初挑戦したのは、クレパス画。大阪のサクラクレパスの本社にミュージアムがあり、作家の描いたクレパス画をコレクションしているとのことで、1点描かせていただいたのがきっかけです。

 そういえば、クレパスって子どもの画材のように思われていて、プロはなかなか使わない。でも、やってみたら面白いかも、と思って初めて描いたら、今まで知らなかった特性がたくさん発見できました。色を重ねると、重なったところの色が透けて出てきたり、不思議な色合いになるんです。こういう驚きを、自分に対して常に継続させていきたい。

 人を驚かせる、自分も驚く。そんな驚きの循環があって、人はいつまでもビビッドでいられるんですね。常に何か新しいことに手を出してみて、自分で自分をびっくりさせること。それが、シミやシワに負けないで前進していける源なんでしょうね。

(取材・文/Miki D'Angelo Yamashita)


【PROFILE】
山本容子(やまもと・ようこ) ◎1952年埼玉県生まれ。銅版画家。京都市立芸術大学専攻科修了。都会的で軽快洒脱な色彩で、独自の銅版画の世界を確立。絵画に音楽や詩を融合させ、ジャンルを超えたコラボレーションも展開。その他数多くの書籍の装幀、挿画を手がける。'05 年からは“ホスピタル・アート”に取り組み、医療現場での壁画制作にも活動の場を広げている。最新刊に『山猫画句帖』(文化出版局刊)がある。

『山猫画句帖』(文化出版局刊/山本容子著) ※記事中の写真をクリックするとアマゾンの商品紹介ページにジャンプします