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人物

【要一郎さんの唐揚げ】不思議な縁に導かれてきた料理人のエッセイ 第5回:新しい家族

SNSでの感想
要一郎さんの唐揚げ 撮影/伊藤和幸
目次
  • 要一郎さんの唐揚げ
  • 本業は日々の食卓
  • プリン食べる?

 高齢の老姉妹の養子になるのと前後するように、要一郎さんは人生のパートナーに出会う。老姉妹とパートナー。苗字が変わり、新しい家族ができ、現在へと続く要一郎さんの物語、いよいよ完結です。(全5回の最終回)

麻生要一郎さんの唐揚げ 第1回:養母の死
麻生要一郎さんの唐揚げ 第2回:新しい人生のはじまり
麻生要一郎さんの唐揚げ 第3回:母との別れで運命が変わった
麻生要一郎さんの唐揚げ 第4回:お告げ

●麻生要一郎/ASO Yoichiro
建設会社の3代目として働いたのち、知人に誘われ新島で宿を始め料理人の道へ。その後、不思議な縁に導かれて高齢姉妹の養子となる。主な著書に『僕の献立』『僕のいたわり飯』(ともに光文社)がある。
Instagram:YOICHIRO_ASO
Twitter:@YOICHIROASO

要一郎さんの唐揚げ

 苗字が変わったからと言っても「現実」はそんなに変わらない。

 お告げをくれた友人が薦めてくれた、足の裏を鑑定してくれる方がいて「表参道、根津美術館の近く、本がたくさんあって、新しいものと古いものが混在して、上って下りる……上って下りるって何かしら……」

 そう言ってくれたのは、引っ越しをする半年くらい前のこと。何のことかよく分からず、その場所が一体何なのかと尋ねたら「あなたの居場所です」とだけ言われた。特別、意識して探したわけではないけれど、自然と導かれるようにその場所へたどり着き、パートナーと出会った。

 ビルの入り口に面した階段で2階まで上って、店内の客席へ階段を何段か降りるような作りだった、その場所はパートナーが営む本と珈琲のお店だった。

 毎日、時間を持て余していた僕は、夕方になるとそのお店の大きなテーブルの端っこに座って、コーヒーを飲んで時間を潰していた。養子になっても、特に何かをするわけでなく、どうしたらよいのかもよく分からない、関係性を探る日々。料理の仕事もほそぼそと始めたけれど、得意料理が「唐揚げ」なんて凡庸な人間に一体、何の料理の仕事ができるのかと思ったりもした。

 ある時、編集者の友人にお弁当を作ってよと頼まれて、雑誌の撮影現場へお弁当を届けた。そういうお弁当のニーズがあるなんてことは、僕は知らなかった。いつも通りのおかずを詰めて届けると「美味しかったよ」と、友人に喜んでもらえたことがただ嬉しかった。

新しく作ったアトリエ 撮影/伊藤和幸

 その現場にいたという方から、また違う現場にお弁当を依頼されて、どんどん名もなきお弁当が一人歩きしていった。そのうちに雑誌にお弁当が掲載されたり、レシピを取材されたり、パートナーのお店でお弁当の会もした。

 お弁当が世界を広げてくれた感じがする。今でこそ青山の母と慕う、『DEE'S HALL』の土器さんに「美味しかった!」と言ってもらえたことは、とても嬉しかった。いろいろ美味しいものを食べてきただろうし、料理上手な友人もたくさんいる、ご自身も本を何冊も出している料理上手、お世辞も言わない、そんな彼女に認めてもらえたのは太鼓判を押された感じがして、自信がついた。

 そして年は近いが娘のように思っている、坂本美雨さんが「タベタイ」という児童番組向けに作った歌、世界中のタベタイものが綴られた歌詞の中に「要一郎さんの唐揚げ」として登場させてもらったことは、生涯の思い出。

 自分の作った、ごく普通の家庭料理が名前とともに、歌の中に登場するなんて経験はなかなかあることではない。

 子供の頃から好きな食べ物は唐揚げ、料理を仕事にしても得意料理は唐揚げ、そんな唐揚げ人生に大きな勲章を頂いたような出来事だった。僕のお別れ会をする時には大事なタイミングでこの歌を流して欲しいと思っている。

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