縫製の技巧にびっくり! 服飾の技術者ならではの視点

 長谷川さんは専門学校時代はスーツのパタンナーの勉強をしていて、2011年に卒業後、会社員として東京のアパレルメーカーで紳士服のパタンナーとして勤務。パタンナーとしての実務経験もあった。この経験と視点が、本物の衣服を分解し研究する長谷川さんならではの活動につながっていく。

「昔の衣服はお針子の女性や仕立て屋の男性たちの手縫いでつくられています。分解してみると、そういった細かな縫製技術が使われていることがわかるんです。縫製も機械化が進んだ現代ではロストテクノロジーのようでもありますね」

 2016年の10月にフリーランスで衣服標本家として独立した。海外の専門ディーラーとの交渉で本物を収集するようになり、18世紀や19世紀の欧米ファッションの流行史がわかるようになってきた。

 18世紀のロココ時代の貴族衣装「アビ・ア・ラ・フランセーズ」や、軍服を思わせる男性用上着の「ジュストコール」明治時代の日本陸軍も採り入れた「肋骨服」と称される軍服などもアトリエにはある。

ロココ時代のフランス貴族衣装「アビ・ア・ラ・フランセーズ」
18世紀の男性用上着「ジュストコール」

 女性服ではナポレオン時代のスレンダーなエンパイア・ドレスや、スカートを豪華にふくらませた19世紀中盤のクリノリンスタイルのドレスヴィクトリア朝時代に流行したバッスルスタイルのドレスなど。いずれも本物で、博物館さながらの品ぞろえだ。

19世紀中盤の女性服。ただ保管しているだけだと素朴な日常着のようだが、右の画像のようにパニエを使ってふくらませると当時流行したクリノリン・スタイルの衣装だとわかる
19世紀後半のヴィクトリア時代を代表するバッスルスタイルのドレス

 これらはただデザインが違うだけでなく、人々の美意識までもが衣服とそのデザインからわかってくると語る。

18世紀のロココの時代は、今でいうベストやジャケットはゆったりとしたシルエットでつくられています。例えば詰め物もないのにお腹のところが突き出していたり。貴族の時代なので色使いも華やかですね。

 これがフランス革命を経て19世紀前半になると、身体のラインにぴっちり沿ったデザインで、肉体美を目立たせるものになります。だから19世紀中ごろまでの男性服のシルエットは逆三角形で、ウエストはかなり絞ったつくりになりますね。

18世紀のベスト。腹部がせりだしてゆったりしたシルエットでつくられていることがわかる。しかしこれが19世紀になると……
19世紀前半の男性用燕尾服。開いた胸元と肩に対し、ウエストを絞って体型を目立たせるデザインに。18世紀のゆったりとした衣装との体型差がわかる

 ロココの時代から新古典主義や人文主義の時代になって、身体への美意識も変わります。現代のスーツになっていく過程で、こんな歴史があるんです」

 もちろん、コレクションを集めるのは並大抵ではない。価格が7桁にのぼる、イギリスの美術館所蔵のドレスを長谷川さんいわく「おばあちゃんディーラー」から紹介されたことがある。彼女は長谷川さんのインスタグラムを見て活動を知り、「お代は後でいいから、まずは本物を見なさい」と、現地から海を越えて先にドレスを送ってくれたとのことだ。多数の海外ディーラーと取引してきた長谷川さんにとっても初めてのことで、最も印象深い人物だったと話す。

 パタンナーのスキルを持っているだけあって、長谷川さんの視点は縫製技術にも注がれている。

「18世紀から19世紀に時代が変わると、びっくりするほど緻密で丁寧な縫製でつくられるようになります。特に19世紀中盤からは現代の既製服のように衣服の大量生産が始まる時代なのですが、それら1着ずつを当時はまだ手縫いでつくっていました。今はごく一部のオーダーメイドファッションにしか残っていない縫製のテクニックが使われていて、私が学んできた現代ファッションともつながっていると実感できるのも楽しいですね」

 アンティーク衣装の型紙も作ることができるので、型紙から当時の衣服を再現することも可能だ。

分解したものを当時の技法でもう一度縫製しつつ、少し現代風にアレンジすることもできるんです

 また、ファッションに関するこんな発見も。

「現代の女性服はポケットがない、あるいは少ないものが主流ですが、19世紀の日常の衣服ではポケットもちゃんとついているんです。なくなった理由はいろいろ推測されていますが、シンプルにコスト面で手がかかるようになったから徐々になくなっていったのかなと思います」

18世紀の衣装でも、ベストの表と背中で別の布地を使うことは現代と同じ。見えないところは簡素にするコンセプトはすでにあった

 歴史学や美術の視点とはひと味違う、職人ならではの視点からアンティークファッションの文化をひも解いていく。