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埼玉県内のとある小学校で教える「田中まさお」さん(仮名)。全国の先生たちの“働きすぎ状態”を変えるため、たったひとりで裁判を起こしたことで大きな注目を集めています。でも、田中さんの本当の活躍の場は「法廷」ではありません。「教室」です。教員生活40年、教え子の数は約1000人。ベテラン先生がいま、伝えたいメッセージとは……。

社会

「子どもの心の奥深さに気づいた」田中まさおさんが、最初は不服だった小学校教員という仕事にハマった理由

SNSでの感想
田中まさおさんはいつも教室に造花を置いている。「クラスの雰囲気を明るくしたいですから」と田中さんは話す=筆者撮影
目次
  • 中学校の教員になりたかった
  • 給特法の趣旨が生きていた時代
  • 子どもの心の深さを知れた
  • 生涯、小学校の担任として
「教員にも残業代を!」と裁判を起こした小学校教諭・田中まさおさん(仮名)。2023年3月に敗訴が決定したものの、「第2次訴訟にチャレンジする」と宣言しています。この連載では裁判のことだけでなく、田中さんが教員生活40年で培った「教育観」「子ども観」についても紹介します。子育てや教育のヒントが、きっとつまっているはずです。

 今はベテラン教員の田中まさおさんにも、初々しい「新人時代」はあったはず。どんな教員だったのでしょうか。そもそもなぜ、田中さんは教員を目指したのでしょうか。聞いてみました。(聞き書き/牧内昇平)

※本文中に登場する子どもの名前はすべて仮名です。

中学校の教員になりたかった

 教員になろうと思ったのは中学生のころです。埼玉県内の公立中学校に通っていましたが、2年生のとき、「川瀬先生」という若い女性の先生がクラスの担任になりました。この人の影響が大きかったです。生徒を管理しようとせず、一人ひとりの人格を認め、自由に行動させてくれました。大学を出たばかりでとても若かったのですが、授業もわかりやすく、社会科の授業では、ただ覚えるのではなく『その時代の背景を考えることから歴史を理解していく』ような学び方を教えてくれました。そして、いつも何か熱いものが伝わってくる先生でした。

 川瀬先生は授業中に自分の考えを主張する先生でした。黒板の前に新聞記事を広げ、社会情勢について話してくれました。そのとき「教科書にはこう書いてある」と言うのではなく、「私はこう思う」ということをきちんと話していたのが印象に残っています。授業中はみんなが自由に発言できる雰囲気があり、生徒から反論があると対等に議論してくれました。今の先生たちの多くは「教科書に載っていることをいかにわかりやすく伝えるか」に腐心しています。でも、川瀬先生は「教科書を使って何を語り合うか」を考えていたと思います。まさに今求められている主体的かつ対話的な深い学びの授業が、あのころからあったのです。

 私は当時、生徒会長を務め、いろんなことにトライさせてもらいました。期末テストの後に生徒が球技大会を企画・運営したり、近所に廃校舎があったので夏休みにクラスのみんなで行って泊まったり。担任が川瀬先生だったからできたことかもしれません。そういった楽しい経験がたくさんあったので、私は自然と中学校の教員を目指すようになりました。

給特法の趣旨が生きていた時代

 ところが、思いどおりにはいきませんでした。大学卒業後、教員採用試験を受けましたが、その時代は中学校の採用枠が極端に少なくて、私は小学校に回されました。最初は不服だったんです。異動希望を出して、なるべく早く中学校で働かせてもらおうと思っていました。

 それくらいの気持ちで、初めて教員として小学校の門をくぐったのは1981年4月のことでした。驚きましたね。初出勤のとき、「田中先生は5年生のクラスの担任をお願いします」と言われました。それはいいのですが、その後誰からも指示がないのです。隣のクラスを担任する先輩教員も、校長ら管理職も、「ああしなさい、こうしなさい」とは一切言いませんでした。

 手探りで準備しているうちに4月8日の始業式になって、それ以来、授業から生活の指導まで自分ひとりでやりました。今思えばそれでよかったのだと思います。知識や経験がないので子どもたちに自由にやらせて、ただ見守るしかありませんでした。子どもを管理せず、自由にやらせたうえで、教員というよりもひとりの大人として、「それは違うんじゃないか」と思った点を伝えました。結果としては、私が憧れた川瀬先生に近いことをしていたように思います。

 今の学校では、新任の先生に対して校長経験者が張りつき、「こういう風に指導してください」と指示を出します。大学で教育についてたくさんのことを学び、すぐにでも実践したいと意気揚々としているのに、さらに校長経験者が知識を詰め込むのです。その知識は結局、「教育はこうあるべきだ。子どもはこうあるべきだ」という方向にいきます。要するに、子どもを管理する方向です。私は賛成できません。若い先生たちには自由にやらせるべきです。そうすれば、その先生たちは子どもを管理せず、自由に学ばせます。そうした教育の広がりが自由な社会をつくります。「管理された社会」よりも「自由な社会」のほうがいいと思います。

 教員たちの働き方は今よりものんびりしていました。ベテランの人たちは夕方5時すぎに帰っていったし、新人の私も夜7時より遅くなることはほとんどなかったです。いちばん大きいのは「やらなきゃいけない仕事」が少なかったことです。例えば、「週案」(1週間の授業計画)を書いて管理職に提出する必要はなく、自分の頭の中で考えておけばよかった。「音読カード」を子どもたちに毎日提出させる決まりもなかった。自分が必要だと思う仕事だけをやっていました。私の場合、授業の準備とか、学級通信とか、子どもたちの作文を入念に読むとか、そういうことに時間をかけていました。仕事を「こなしている」感覚はなく、「楽しんでいる」感覚でした。

 公立学校教員の給与の仕組みは「給特法」という法律が定めています。教員の仕事が「自主的・自発的なもの」であることを前提にして「超勤4項目」を除いて残業を命じることができないようにしています。今の教員の仕事は「自主的・自発的なもの」ではないので、給特法の前提が崩れています。でも、私が働き始めた40年以上前は、給特法の趣旨がまだ生きていたと思います。

放課後に教室の掃除をする田中まさおさん。現在の公立学校では、教員に対して多種多様な仕事が求められている。(筆者撮影)
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