1986年、39歳でのデビューから現在まで「ひとりの生き方」をテーマに、多くの著書を発表してきたノンフィクション作家の松原惇子さん。松原さんが愛してやまない猫たちとの思い出と、猫から学んだあれこれをつづる連載エッセイです。
第12回→内臓が悲鳴を上げていたグレちゃん、迫り来る別れの時──いつもと変わらない平凡な光景に涙があふれた
第13回
2020年3月3日は群馬の友人を訪ね、二人でひな祭りの食事をすることになっていた。いつもは、楽しい時間をゆっくりと過ごし、高速道路の渋滞を避けた夜の7時過ぎに帰るのだが、その日は、渋滞前の5時に友達の家を出た。グレのことが心配だったからだ。
「今、帰るからね。待っていてね。ごめんね」を呪文のように繰り返しながらの運転だ。
自宅に着くと、玄関のお迎えはなく、グレは書斎の椅子の上に丸くなっていた。いつもはわたしが帰るとテレビのある部屋に来るのに、その日は来なかった。やはり体調が悪いのかもしれない。
翌朝もいつもとは違っていた。わたしの枕もとに座り、「早く起きろ」とばかりに、顔にパンチをあびせるのに、グレは枕もとに座ったまま、じっとわたしを見ているではないか。こんなに何もしないグレは今までにはなかった。グレらしくないこの行動こそが、別れのあいさつだったのか。
突然、グレの悲鳴が聞こえたと思ったら
夕方になり、ひとりで夕飯を食べる。いつもはテレビの前のスツールに座るグレは、書斎の椅子に座ったまま来ない。
しばらくすると、突然「ギャー!!」という天地がさけるほどの悲鳴とともに、グレが階段をものすごい勢いで駆け下りる音がした。ドンドンドンドン……そして静かになった。
わたしは、グレが、今、旅立とうとしていることを察知した。最も恐れていたときが、ついに来たわけだが、自分の想像とは違い、わたしは冷静だった。静かになった数分後に、階段を下りていくと、旅立ったグレが横たわっていた。もう息はしていない。口から小さな血の塊を吐いている。グレ3月4日に死す、享年14歳。
わたしは心の中で言った。「グレはえらいね。そんな小さな体で、騒ぎもせず、ひとりで旅立てたんだものね。立派だね。尊敬しちゃうよ」
何事かと駆けつけた母が横たわるグレを見つけ「キャー」と叫んだが、グレの魂が去ったあとだったのでよかった。
「お母さん、グレは死んだのよ。だから静かにしてちょうだい」とわたしが強い口調で言うと、母が猫好きとは思えない言葉を返してきたので仰天した。
「ここにいられると、トイレに行くとき通れないのよ」だってさ。自分の猫ではないから、そんなことが言えるのね。人の猫と自分の猫とでは愛情に差があるのは当然かもしれないが。
わたしは固くなり始めたグレを両手で抱え、2階の部屋に戻った。軽い。さあ、帰ろう。二人のお部屋にね。
覚悟ができていたせいか、泣きも動揺もしなかった
静かな夜だ。特別な夜だ。覚悟ができていたせいか、そこには、泣きも動揺もしない自分がいた。わたしは、グレの定位置だったスツールをどかし、ムートンの毛皮の上にグレを寝かせた。白い毛皮がゴージャスなグレにはぴったりだ。なんて美しいのだろうか。
グレは目を開いていたが、そこには魂はない。なんとも不思議な感覚なのだが、グレの亡骸を見ているだけで心が落ち着いた。死んだという悲しみより、二人でいる幸せとでもいうのだろうか。なでてみた。冷たい。ごつごつしている。静かで美しい夜。初めてグレに言葉をかける。
「グレ、長い間、ありがとうね。一緒にいてくれて本当にありがとう。あんまりいいマミーではなかったかもしれないけど、マミーは幸せだったよ。だって、マミーはグレが世界で一番好きだったから」
そう言うと、わたしはおもむろに、古い大きなスケッチブックをとりだし、グレの姿を焼き付けようと、夢中で鉛筆を走らせた。そのときに描いたスケッチがこれだ。
不思議な感覚なのだが、亡骸であるにも関わらずグレが部屋にいると、寂しくなかった。先代のメッちゃんのときは、亡くなった翌日に、実家の裏の河原にこっそりと埋葬したので、亡骸と一緒にいることがなかったが、グレをペット葬儀社に埋葬してもらうまでに数日あったので、二人の時間を楽しむことができた。
*第14回に続きます。