銅版画家として活躍する山本容子さん(70)。吉本ばななさんの人気小説『TUGUMI』の挿画と、累計160万部以上のベストセラーとなった同作品の単行本の表紙絵を担当し、注目を集めました。それ以降も数多くの挿画や食器、舞台衣装のデザインなどを手がけ、また、美術以外の分野でも、音楽や旅行についての挿画を交えたエッセイの出版や、「ベストジーニスト」受賞、“ホスピタル・アート”への取り組みなど、活躍の場は多岐にわたります。今もなお、広く愛される作品を作り続ける山本さんに、ご自宅でインタビューをさせていただきました。
俳句を始めてから、見える世界が広がった
2022年の7月に、還暦に始めた俳句と、新聞に連載してきた銅版画を合わせて1冊にまとめた『山猫画句帖』(文化出版局刊)を出版しました。’22年3月までの10年間で描きためた銅版画240点、小林恭二さん率いる俳句会で詠んだ600句の中からセレクトし、色彩と17文字を組み合わせる作業は、とても刺激的でした。
短い言葉の中に自分のイマジネーションをすべて詰め込む俳句は、絵と同様のアートです。これまでは、音楽や本から触発されて絵のテーマを探してきたのですが、俳句を始めてからは、今まで気がつかなかった日常の細かいことにも目を向けるようになりました。
毎日のように目にしている風景が、時間の流れだけで変わって見える。庭を真剣に眺めることなんてなかったのですが、俳句をたしなむようになり、小さな庭にも四季があるんだと気がついたりして、自然を描くことも多くなってきました。“自然はそのままで美しい、だから描く必要はない”というのが持論だったのですが、何年も絵を描いてきて、もう自分は、これまでテーマにしてきたことに飽きてきたんじゃないかな。フランス画家のアンリ・マティスだって、晩年、切り絵を始めたりしていますけれど、今、そんな気持ちがよくわかるんですよね。
俳句を始めた第1の理由は、歳を重ねると頭も弱っていくし、ちょっとオイルを入れてあげないと干からびてしまう、と考えたからです。「還暦になると生まれ変わる」というけれど、そのためには、何が必要? と自分に問いかけたときに、俳句が浮かんだんです。
「俳句を教えたいな」と友人の俳人・小林恭二さんが言うのを聞いて、「やりましょう!」と、仲間を集めました。役者もいれば音楽家もいる、ジャンルの違う、何かものを作り出す人たちばかりで、全員が俳句は未経験です。句会では、それぞれが作った句に点数を付け合うのですが、高得点の句に対しては、その理由を述べる。そうすると、読む力がつくんです。正解はないですから感じたことだけを言えばいいのですが、とても頭を使うし、集中力も必要になります。
何の変哲もない光景に風が吹いたり光が射したりして、いつもと違う見え方をしたときに、言葉が紡ぎ出される。これは、人間の持つすてきな能力ですよね。
例えば以前に、庭を見てこんな句を詠んでみました。
《おだやかな 不満のごとき 南天紅》
南天の実が、冬になるとだんだん赤くなってくる。その様子を見ていたら、南天が、ぶつぶつ言っているように聞こえてきて、南天が発する穏やかな不満を感じたんです。
今まで、南天がどうなろうと関係なかったことなんですけれど、南天の気持ちがわかるようになったんですね。
初めは、カッコいい句を作ろうとして、ひとりよがりの内容になってしまったり、シュールな句にしたいと思って、変に意気込んだりしてしまいましたが、このように自分の中から自然に言葉が出てこないと、いい句にはならないのだと気づきました。
仕事もプライベートもとにかく全力投球の日々をへて
振り返ると、ちょっとした舵(かじ)取りをしながら、10年単位で人生を考えてきました。京都市立芸術大学を卒業し、20代は京都で作品制作に励んでいました。大学4年でデビューして東京のギャラリーとすでに関係ができていたこともあり、京都の狭い世界から脱出したいと考え、本格的にアート活動をスタートさせるために30歳で上京。
31歳から、鎌倉にある海のそばのアトリエで仕事を始めました。雨漏りがするようなボロ家で、プレス機が濡れないよう室内に傘を立てて、作品を制作していました。他人には大変に見えただろうけれど、意欲満々の若いアーティストにとっては、なんの苦でもありません。30代のころは、「あとは野となれ山となれ」の気概がありましたね。
トルーマン・カポーティの小説シリーズを絵にしたのが27歳のときで、オリジナルのポートフォリオにしました。その後、「カポーティを山本容子が描いている」ということが編集者から編集者に伝わり、村上春樹さんのカポーティ翻訳本の挿画につながりました。30代、40代は鎌倉のアトリエで、いただいた仕事はほとんど受けていました。
自分では、才能があるのかどうかもわからない。でも、仕事にはとにかく必死に取り組みました。そのうち、吉本ばななさんのベストセラー小説『TUGUMI』(中央公論社刊)や『世界文学全集』(集英社刊)、『赤毛のアン』(講談社刊)と大きな仕事が舞い込み、怒涛(どとう)のように制作を重ねていました。
そのころは、プライベートにも全力投球で、料理教育機関『ル・コルドン・ブルー東京校』でフランス料理を習い、そのためにフランス語も始めていました。鳥の羽をむしるところから始めて、いずれは本場フランスの『ル・コルドン・ブルー・パリ』での最終過程に通うためにパリにアトリエを構えようかと、本気で準備をしていたんです。
60歳になったら、フランスに住んでいたはずでした。40代のころの移住の夢はどうなったの、と振り返っていたところ、友人が移住した北海道の富良野に行ってみたら、フランスの田舎に似ている。フランスの代わりに富良野にアトリエを建ててもいいかな、と夢がふくらんだこともありましたが、現実には ’19年に、栃木県の那須にある名門ゴルフクラブの敷地内にアトリエ兼住居を作り、東京とゴルフ場との半々の生活になりました。
初めは、夫がゴルフ好きだったので、練習に付き合う程度だったんです。あるとき、何の気なしに受けた人間ドックで突然、がんが見つかって。まったく病気知らずだったのに、「転移していたら余命1年」と告げられ、55歳の誕生日には、なんと手術台の上にいました。「お腹を切ったあとは足腰を鍛えるといい」と主治医にゴルフをすすめられ、50代半ばで本格的に取り組むようになったら、すっかりハマってしまったんです。緑の中で4時間も歩けば季節を楽しめるし、クラブを振ることが適度な運動にもなります。
ゴルフ場が庭って、ぜいたくですよね。気が向いたらすぐにプレーできるから、体力もつきます。クラブには、私より年上で、凛とした佇(たたず)まいが魅力的なプレーヤーがたくさんいらして、「自分も見習わないと」と励まされています。
愛犬と自然に囲まれながら、“驚きの循環”を楽しんでいきたい
那須の家は木々に囲まれていて、東京とは違い、ダイレクトに自然を感じることができます。トンボが入ってきたり、ムカデが部屋で這(は)っていたり。獣や鳥の鳴く声とか、木の葉が風に揺れる音が、自然と耳に入ってくる。雨が降ると、雨音がものすごい勢いで襲ってくる。森の中で暮らすことは、とても賑やかなんだということがわかりました。一度死にかけたこともあってか、自然の中では、いかに自分は小さな存在なのか、とか、今日もなんとか生きているんだな、と実感するものです。
そんな自然を喜んでくれるのが、愛犬のルカ。盲導犬になるには少し身体が弱い、そんな子犬の飼い主を探すネットワークで、足が悪くて盲導犬には向かない子を引き取ってから5年。以前に飼っていたルーカスは、捨て犬で、海のほうからうちの庭に迷い込んできて、うずくまっていたんです。忙しくて飼えない、と思いつつご飯をあげていたら、そのまま居ついてしまいました。亡くなってしばらくはペットロスだったのですが、新しい子犬はルカと名づけ、一緒にいるときには、ずっと話し相手になってくれています。
今までは、アーティストとして、人をあっと驚かすためにトリックを使ってきたわけですが、もう必要ないかなぁ、と。それよりも、自分を驚かすために絵を描く、そのほうが楽しい。どんな評価を受けるかは、どうでもいいと思えるようになり、ラクになりましたね。
絵ひと筋で生きてきて、貧乏なときもあったし、売れた時期もあった。70代になれば、明日、この世からいなくなるかもしれない。これからの時間は、楽しく遊びたい。遊び続けるって、けっこう大変です。歳をとってからも、ワクワクできることにアンテナを張っていたいものです。
古希を迎えて初挑戦したのは、クレパス画。大阪のサクラクレパスの本社にミュージアムがあり、作家の描いたクレパス画をコレクションしているとのことで、1点描かせていただいたのがきっかけです。
そういえば、クレパスって子どもの画材のように思われていて、プロはなかなか使わない。でも、やってみたら面白いかも、と思って初めて描いたら、今まで知らなかった特性がたくさん発見できました。色を重ねると、重なったところの色が透けて出てきたり、不思議な色合いになるんです。こういう驚きを、自分に対して常に継続させていきたい。
人を驚かせる、自分も驚く。そんな驚きの循環があって、人はいつまでもビビッドでいられるんですね。常に何か新しいことに手を出してみて、自分で自分をびっくりさせること。それが、シミやシワに負けないで前進していける源なんでしょうね。
(取材・文/Miki D’Angelo Yamashita)
【PROFILE】
山本容子(やまもと・ようこ) ◎1952年埼玉県生まれ。銅版画家。京都市立芸術大学専攻科修了。都会的で軽快洒脱な色彩で、独自の銅版画の世界を確立。絵画に音楽や詩を融合させ、ジャンルを超えたコラボレーションも展開。その他数多くの書籍の装幀、挿画を手がける。’05 年からは“ホスピタル・アート”に取り組み、医療現場での壁画制作にも活動の場を広げている。最新刊に『山猫画句帖』(文化出版局刊)がある。